現実妄想ごっこ

ぼくが過ごす日々の
現実の妄想や妄想の現実を綴ります。

聞いてくれる?どんなにつまんない話でも。

2019-01-22 14:33:55 | Weblog
仕事終わりに大森靖子ちゃんのブログを読んで駅の臭いトイレでぼろぼろ泣いた。
こんなところでこんなに泣いちゃうの、なんだか私らしいなと思った。
うける。
愛とか結局は自己満足だし、与えるのも受け取るのも主観でしかない。
もっとあげたいって思う方も思われる方もどんどん疲弊していってしまう。
そういうの、解るって人としか一緒に居たくない。

ほんの少しの好きなものを、全力で楽しもうとか絶対に大切にしようとかって、
精一杯になりすぎて息が詰まっていく。
自分自身の至らなさで招いた失敗が余りにも重くて立っていられなくなる。
悪いのは自分だって分かってるのに、私は世界の全部に裏切られたんだって被害者面で泣き喚いてしまう。
悪いのは自分だけじゃないって分かってるのに、私の全てを余す事なく信じられなくなってしまう。
逃げ道なんてない。
そんなの用意できるほど要領よくやれない。

できるだけ人に優しくしようとしているけれど優しいねって言われると罪悪感に襲われるのは、
自分の本質が「優しい」とはかけ離れている最低な人間だからだと思っていた。
最低な人間であることの罪滅ぼしのつもりで誰にでも優しくしてきた。
でも結局のところ私は、
優しくした相手からの見返りや過去に優しくしてほしかったけど優しくしてくれなかった特定の人からの愛情が欲しいだけなのかも知れない。
下心がないと人に優しくできない最低な人間であることに変わりはないけれど。

自分の中で消化する以外に、もう何もできない過去の事が大半で、つまり自分を救えるのは自分しか居ない。
私は私を信じて向き合って、地道に解きほぐしていくしかないのだ。
救われたいのならば。













孤独な夜を超えていこうね。

超えた先に誰も待っていなくても、

朝にひとかけらの希望がなくても、

超えていこうね。