現実妄想ごっこ

ぼくが過ごす日々の
現実の妄想や妄想の現実を綴ります。

泣いてばかりいます

2013-06-03 09:57:12 | Weblog



1人になると、泣いてばかりいます。



どうしてだか溢れてこぼれてしまいます。





 学生相談室のカウンセラーさんに、アームカット・リストカットが多く深くなっていることを相談していました。希死念慮があることもずいぶん前から伝えていました。そして先日、死に方も具体的に考え始めた、という話をしたところ、学校から両親に連絡がいき、翌日に両親そろって上京してくるという急展開に。
 
 両親は僕を実家に連れ戻しに来たと言っていましたが、いろいろ言い訳をしてなんとか東京に1人留まることができています。

 去年、離人や鬱で休学した時も、希死念慮があることは知られていました。誰が見ても明らかに無気力で心此処に非ずという感じが見て取れたので知識のない両親にもわかりやすかったと思います。ですが今回は違います。自ら思考し判断し行動する力があります。形振りも常人のそれと何等変わりありません。専門家からすれば、今の状態で希死念慮が強くなることは去年より危険であるのは確かですが、専門知識のない両親にはそれがわかりません。
 私は両親と過ごした一晩、饒舌に父とAKB48の総選挙について語り、大学の授業で学んだ知識や課題の大変さや学習を楽しんでいることを伝えました。そんな僕の様子に両親は安心してしましたが、腕の包帯は隠しきることができません。直接、包帯の下に隠している傷のことには触れてきませんでしたが、包帯が見える度に父は「帰ろう」と言っていました。その都度、4月からなんとか通っている授業を無駄にしたくないこと、実家に帰って何が改善するのか僕には見当がつかないことを説き、こちらで早急に医療に掛かることと、急いで単位を取ることに固執するより健康を重視することを約束することで妥協してもらいました。

 翌日の朝、帰り際に玄関で母が僕の腕を掴み、「とにかく、自分で生きるのをやめないでよ。それだけは約束して。」と念を押されました。僕は約束できないので、「善処します。」とだけ答えて、見送りました。この時、本当に申し訳ないと思いました。それと同時に、愛されているなぁ、と思いました。
 6月8日に父と妹との約束があり、それを終えたら死ぬ予定にしていて、母や祖母にはそれまでに電話で声を聴こうと思っていたので、思いがけずとも母に会えてよかったと思います。予てより僕はおばあちゃん子で母を蔑ろにしてしまうところがありましたが、死ぬと決めた頃から急に母が愛おしく思っておりました。本当に、会えて、愛されているんだと実感できて、よかったです。

 父とも別れ、その足で大学に向かい授業をひとつ受ける予定でしたが、どうしようも切なさに耐えがたく、部室棟のトイレに逃げ込み手首を切りました。カミソリで何度か腕を切り、便器の中に血を滴らせながらただ泣きました。申し訳なさと愛されていることへの感謝と両親と別れることへの悲しみが綯い交ぜになり、それを綻ぶ様に涙と血を垂れ流しました。しばらくそうして気持ちが落ち着いた後、其々への手紙を書くに止めようと思っていたこと改め、しっかり遺書を書こうと決心しました。僕が今死ぬことを、理解はされずとも受け入れてもらえるような記述を残そうと決めました。僕が長い間、死と向き合いそちらに向かうことを望んで生きてきたこと、幸せに生きてきたこと、さいごの夢を叶えようとしていること、自分以外の人間に知ってもらおうとは考えていなかったけれど、ちゃんと記そうと思います。


お母さん、お父さん、会いに来てくれてありがとう。
かおるは幸せです。




死ぬのが怖いと思うのは、僕の本能だと思います。
ですがそれを含めても死にたいと僕の理性が言います。
僕は人間です。
理性的な生き物です。



涙が出るのは、本能でしょうか。
それとも理性を以て泣いているのでしょうか。




あぁ、そろそろ泣き止まないと。
午後から授業があるんだから、支度を始めよう。
続きは帰ってきてからにしましょう。


いってきます。
    



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2 コメント

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Unknown (おたっぴー)
2013-06-03 20:10:20
帰ってこいでばぁ。
Re:おたっぴーさん (でんちゅう)
2013-06-05 15:08:44
おたっぴーさん、お久しぶりです。
いつもありがとうございます。

帰りたいですよ。
帰りたいです。

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