ら・れゆにおん

西インド洋アフリカ的フレンチアイランド~レユニオン島雑記帖

サン・ジル・レ・バン

2008-05-05 | レユニオンの町

サン・ジルって何汁?と、つい、いいたくなる名前のこの町は、写真ではわかりませんが、レユニオン島のオシャレ発信地!ヤングの憧れの町です。とはいえ所詮レユニオンですから、そう期待して行くと、どこが?と思うのが本音でしょう。

おそらくヤングが憧れるのは、サン・ジルのナイトライフなのだと思います。ニワトリの就寝とともに町も眠るレユニオンですが、ここなら朝方まで楽しめるバーやディスコなどがいくつかあります。



各地名の語尾に付いている『レ バン les Bains』は海側という意味です。
山側という意味の『レ オ les Hauts』とつく地名もあります。


日本は端午の節句ですね~!
こいのぼり、菖蒲湯、ちまき、柏餅・・・。
あ~、柏餅。もう何年も食べてないな~。
食べて~
食べて~
食べて~
ちょっとおセンチになってる私に、元気をつけてみませんか?
ワンクリックで元気はつらつ
元気の素はココ!クリックお願いしま~す!→


ブラ・パノン~バニラ農協

2008-03-31 | レユニオンの町

ブラ・パノン Bras Panon にはバニラの農協 coopérative de vanille があります。ここでは各地の生産者(主に島の南東部)が収穫したバニラを集めて、加工作業を行っています。

施設(有料)はバニラの栽培、作業工程の見学ができ、またバニラの直売(でも高いよ!)、バニラ料理が味わえるレストランがあります。

アルビウス印のバニラフレーバーきび砂糖
(お菓子作りなどに使います。)




ボンジュール、日本のみなさん!バニラの父、アルビウス、中年期です。
この僕、笑顔が素敵でしょ?
アルビウス印のベーキングパウダーのパッケージイラストです。

下の僕はバニラフレーバーの砂糖のパッケージの僕です。


ちょっと、黄疸入ってますが、ま~、いいでしょう。
問題は下です。



この僕って、怨霊入ってますよね~。
バニラスティックのパッケージです。
目玉商品だっていうのに、これじゃあ台無しだ~!
だれか祈祷師よんでくれませんか?
涙も汗も若いファイトで、ここを押してね!クリックNo.1!
 ブログランキングへ


サン・ポールのマルシェ(その2)

2007-12-12 | レユニオンの町

植民地時代からレユニオン島とマダガスカル島は深い関係。だからレユニオン人には元祖マダガスカル人がたくさんいます。マルシェで売っている工芸品の多くは、メイド・イン・マダガスカルですが、これもまた、レユニオンの特徴なのです。

マルシェは金曜と土曜の午前中、海沿いの通りであります。



サン・ポールのマルシェ (その1)

2007-12-05 | レユニオンの町

サン・ポールのマルシェはレユニオンの中で出店数が一番多く、トロピカルな気分がたっぷり味わえる、いかなきゃ損!スポット。
野菜・フルーツ・肉・魚...。マルシェの定番素材はもちろん。さらに現地やマダガスカルの工芸品など、お土産になるブースも豊富なので、観光客のお目当てでもあります。



サン・ポール

2007-11-29 | レユニオンの町

ちょっと歴史から 
17世紀に入って、ヨーロッパ人たちによる陣地取り合戦が世界中で始まると、レユニオンもフランスが所有を宣言します。フランスはすでに南マダガスカル(フォールドルファン)を領有していました。そこで起こった暴動事件の指導者たち12人をレユニオンへ島流しの刑として送ります。受刑者たちはサン・ポールに着き、これがレユニオン初め住人だったのです。1646年 か1647年。

1649年、レユニオンはフランスの島として
、『サンポール』置きました。アフリカ大陸、マダガスカル、インドなどから多くの奴隷が連れてこられ、植民地として本格的な開拓めます。やがてコーヒーの栽培のおかげで島は栄えていきました。
この時、レユニオン島は『ブルボン島』と呼ばれていました。

1790、都は『サンポール』から『サンドゥニ』と移り、現在に至ります。この後、1974年に今の『レユニオン島と改名されました
マスカラン → ブルボン → レユニオン
何度も名前が変わって、ややこやしいです...


サン・ポールの海岸には、フォール・ドルファン(南マダガスカル)とレユニオン島の共同追悼記念の『奴隷ルート』の像があります。