ちょっと歴史から…
17世紀に入って、ヨーロッパ人たちによる陣地取り合戦が世界中で始まると、レユニオンもフランスが所有を宣言します。フランスはすでに南マダガスカル(フォール・ドルファン)を領有していました。そこで起こった暴動事件の指導者たち12人をレユニオンへ島流しの刑として送ります。受刑者たちはサン・ポールに着き、これがレユニオン初めの住人だったのです。1646年 か1647年。
1649年、レユニオンはフランスの島として、『サン・ポール』を都に置きました。アフリカ大陸、マダガスカル、インドなどから多くの奴隷が連れてこられ、植民地としての本格的な開拓を始めます。やがてコーヒーの栽培のおかげで島は栄えていきました。
この時、レユニオン島は『ブルボン島』と呼ばれていました。
1790年、都は『サン・ポール』から『サン・ドゥニ』と移り、現在に至ります。この後、1974年に今の『レユニオン島』と改名されました。
マスカラン → ブルボン → レユニオン
何度も名前が変わって、ややこやしいです...。
サン・ポールの海岸には、フォール・ドルファン(南マダガスカル)とレユニオン島の共同追悼記念の『奴隷ルート』の像があります。
コロニアル(植民地)時代の名残が溢れる街並みのサン・ドゥニ。のんびりと散歩してくださ~い!
街の北端の臨海公園『バラショワ』はサン・ドゥニ市民の憩いの場。インド洋に沈む夕日が素敵なスポットです。
街の南端には『ジャルダン・ドゥ・レタ』という公園があります。ここにはレユニオンに生息する殆どの植物が植えられています。また、公園の南ゲート側に『自然動物博物館』があります。(現在改装工事中ですが、園内に入れます。)
ショッピングを楽しみたいなら、終日歩行者専用通りの『マルシャル・ルクレール通りrue de Maréchal Leclerc(黄緑色の通り)』です。この通りを中心に衣料品店、みやげ物屋、飲食店などが集中しています。この通りの東西の両端に大小のマルシェ(市場)があります。東は『プチ・マルシェ(小さい市場)』、主に生鮮食品で、市民の台所として賑わっています。レユニオンの人たちの食生活を垣間見ることができるので、社会見学(?)を兼ねて覗いてみてください。
西には『グラン・マルシェ(大きい市場)』があります。こちらは市場といっても、みやげ物を売ってきます。
街はお昼の12時から2時まで、殆どの店がクローズして閑散としてしまいます。マルシャル・ルクレール通りの『ヴァージン・メガストー』という大きな本屋は開いていますので、涼をとりがてら行ってみてはどうでしょう?最上階にはカフェもあります。
私はサン・ドゥニに出かけると、お昼はレストランに入らず、サンドイッチを買って公園で食べるのが好きです。
というわけで、お薦めのパン屋を地図にマークしました。
私がいつもサンドイッチを買うのは、コンパニー通りにある『カステルCastelle』というパン&ケーキ屋です。ここはサン・ドゥニで一番美味しいと評判の店で、朝、昼、夕方には店の外まで人が並びます。店内にはカフェがあり、軽食ランチが食べれます。
ジャン・シャテル通りにはカステル直営のアイスクリーム店があります。テイクアウトはもちろんですが、洒落た内装のカフェになっていて、昼はランチができます。
でもサン・ドゥニ市民には『リグロ L'igloo』のアイスクリームの方が人気があるかな~? ソフトクリーム店とアイスクリーム店の2店舗が向かい合って、アイスクリーム店では軽食メニューがあります。(コンパニー通りとジャン・シャテル通りの角)
街の名前の由来ですが、1665年『エチエン・レニョ』というフランス人のお偉いさんが乗ってきた船『サン・ドゥニ 号』が川の河口付近に到着したそうです。それでその川に船の名前をつけたのが最初で、街の名前になったのはその後です。(街の西の外れにあるこの川は、観光名所ではないので、地図には載せませんでした。あしからず)
サン・ドゥニは最初は港町として開かれます。現在のバラショワに港がありました。地図のピンクの通り『ヴィクトワール通り Avenue de la Victoire』から『パリ通り Rue de Paris』に続く通りには、18~19世紀に建てられた役所や当時の有権者たちの豪邸ストリート。コロニアル(植民地)様式の建築物がたくさん見られますよ! 頭をキョロキョロ動かしてこの通りを歩いてくださいね。
県庁舎 L'hôtel de la préfecture(1773年)写真1
カテドラル La cathédrale (1829年)写真2
市役所 Hôtel de ville (1860年)写真3
アートテック L'artothèque (1829年)
地元アーティストの近代美術館
レオン・ディルゥックス美術館
Le musée Léon – Dierx (1845年)写真4
ルノアール、ピカソ、シャガール、ドラクロワ、ゴーギャンなどの作品があります。
自然歴史博物館
Le muséum d'histoire naturelle (1855年)
インド洋に生息する鳥、昆虫、小動物の剥製があり、コレクションは豊富です。
(カッコ内は建築された年です。)
世界地図を見ると、レユニオン島はモーリシャス島、ロドリゲス島の3島で『マスカレン諸島』と書いてあります。
外国では島や土地の名前を、よく第一発見者にちなんでつけられたりしますよね。しかし、『マスカレン』の根源である、『ペドロ・デ・マスカレーハス Pedro Mascarehas(ポルトガル人)』という人は、3つのどの島の発見者でもなく、航海中に島を『見た』だけだそうです。しかし、偉大な冒険家でしたからね~。その名がつけられたわけです。発見者でない人の名前をつけるのは、この時代も珍しかったそうですよ。
各島の発見者
モーリシャス→ドミンゴ・フェルナンデ(1516年)
ロドリゲス →ディオゴ・ロドリゲス (1528年)
とありますが、レユニオンの発見者は少し曖昧で、1505~1516年頃『名無しの水兵さん』と記録されています。これでは悔しいでしょうね、発見者も…。島は『サンタ ・アポロニア』と呼ばれ、これは発見した日が、キリスト教の聖人『聖アポロニア』の日(2月9日)だからでは?といわれています。
無人島だったレユニオンに最初に上陸したのは、1528年、ポルトガル人です。この時、名前が『マスカラン島』と変えられましたが、留まるにはいたりませんでした。水や果物が豊富にあることが知られた島は、その後、一世紀に渡って、ヨーロッパ人の商人がインドを往来するための航海路、いわゆる『スパイス・ルート』の補給地に立ち寄られていただけだったのです。
ちょっとタイム!
ちょっと、頭が混がらってきますが、はじめに『モーリシャス』『ロドリゲス』『レユニオン』の3島一絡げで、『マスカレン諸島』と書きましたが、正式名は『マスカレーニュ諸島 Mascareignes』です! ローマ字の綴りを見ると、最後に複数の『S』がついてますから、わかりやすいですけどね。それで、『マスカレン Mascarin』というのは、1528年~1649年のレユニオン、一島だけを指して呼んでいました。
レユニオン島は世界地図で見るとマダカスカル島の東南にある米つぶぐらいの小さな島です。でもここはフランス海外県ということもあって、インド洋の島国の中では一番発展しています。
レユニオンは300万年前に海底火山の噴火で誕生した火山島。『海』いいのは島の特権ですが、『山』もいいのはレユニオンの特権!なんですよ。
サン・ドゥニ ・・・ 県庁所在地
サン・ポール ・・・ 金・土曜日の午前中にある野菜や雑貨のマルシェが楽しい
サン・ジル・レ・バン ・・・ ここからグラン・アンスまでがビーチエリア
サン・ピエール ・・・ レユニオン第2の街。土曜日の午前中の野菜や雑貨のマルシェが楽しい
ラ・プレーヌ・デ・パルミスト ・・・ 山岳地域の村
シラオス ・・・ トレッカーたちの拠点となる村。アクセスはサン・ルイから
ヴォルカノ ・・・ レユニオンの目玉。アクセスはサン・ピエールかラ・プレーヌ・デ・パルミストから
プレーヌ・デ・パルミストから見た
ピトン・デ・ネージュ(ネージュ峰)
サリーヌ・レ・バンのビーチ