ら・れゆにおん

西インド洋アフリカ的フレンチアイランド~レユニオン島雑記帖

サン・ポール

2007-11-29 | レユニオンの町

ちょっと歴史から 
17世紀に入って、ヨーロッパ人たちによる陣地取り合戦が世界中で始まると、レユニオンもフランスが所有を宣言します。フランスはすでに南マダガスカル(フォールドルファン)を領有していました。そこで起こった暴動事件の指導者たち12人をレユニオンへ島流しの刑として送ります。受刑者たちはサン・ポールに着き、これがレユニオン初め住人だったのです。1646年 か1647年。

1649年、レユニオンはフランスの島として
、『サンポール』置きました。アフリカ大陸、マダガスカル、インドなどから多くの奴隷が連れてこられ、植民地として本格的な開拓めます。やがてコーヒーの栽培のおかげで島は栄えていきました。
この時、レユニオン島は『ブルボン島』と呼ばれていました。

1790、都は『サンポール』から『サンドゥニ』と移り、現在に至ります。この後、1974年に今の『レユニオン島と改名されました
マスカラン → ブルボン → レユニオン
何度も名前が変わって、ややこやしいです...


サン・ポールの海岸には、フォール・ドルファン(南マダガスカル)とレユニオン島の共同追悼記念の『奴隷ルート』の像があります。




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