ともちの小さなGLOBE

人生は一期一会のLong and winding road。小さな地球儀をめぐる日々をブログにしました。

2008年8月1~3日 しばしの夏休み 糸魚川サバイバルツアー

2009-04-10 21:07:20 | サイクリング
社会人である自分には、夏休みと呼べる期間は余りに短く、2008年の夏に高校3年生の息子と自転車で行った糸魚川サバイバルツアーについて記します。
今、この旅を思い起こせば、世界でなく国内、そして内なる自分に向かったものだったかもしれません。
やはり特別な旅でした。

サイクリングの道程は、浜松を出発して標高1060mの新野峠を越え、飯田⇒松本⇒長野⇒妙高⇒上越⇒糸魚川までの、太平洋から日本海を結ぶ420kmを自転車で丸1日かけて走破するというもの。
浜松ののイチヤサイクルさんが毎年企画し、今年初参加で親子での完走を目指しました。

高校3年生にもなれば、親離れは当たり前だが、自分の大きなハードル超えという目標に向かって挑む事の大切さと、得られた達成感を忘れられない記憶に刻み付けてあげたいという、照れくさいけれど親父としてのそんな思いがあったのも事実です。
また、自分自身も体力と精神力のハードル超えに挑戦して達成感を得たい、それを親子で達成してみたいという思いもありました。


出発に当たっては、安全に配慮し、チェックポイントとサポートカーが配備されています。
いざ浜松を出発しても突然の雨が降る中の深夜の新野峠越え、補給を取り体調を維持し、声を掛けながら睡魔を抑えて走る飯田市街、息子に押され頭から水を掛けながら走る灼熱の妙高越え、体調不良でサポートカーに移る友人との別れ、日本海が見えたときの喜び、ゴールで待ち構える友人達との再会は、何事にも得がたい喜びと達成感がそこにありました。


結果的には擦れた尻の痛みを抑えながら、25時間かけて親子共々何とか一緒に完走することが出来たのは生涯忘れられない思い出になりました。

自分のハードル超えと、その後に続く達成感。
これは、視点を変えればこんな身近なところから世界中まで、どこにでも、その場があるのかもしれないと振返り思っています。

僕の好きな言葉に次のものがあります。
これは故坂井三郎さんが自身の戦記「大空のサムライ」の中で記述していた言葉だが、中学生の時に読んだその一節が今も脳裏に焼きついて離れません。
「どんな悪条件下に立たされても、またこれが最後だと思われる事態に直面しても、日頃試した己の力を信じて、頑張って頑張り抜かなければならない。またそういう者にのみ活路は開けて行くものである。」

今回の経験が、日頃鍛えた己の力として、息子のこれからの人生の大きな糧となってもらいたいと願えた事が、2008年の夏の大きな思い出だったのかもしれません。


2008年12月26日 安全率7の世界観

2009-04-10 20:43:32 | 徒然なるままに
2008年は車の買い替えを3度見送った。
諸般の事情はあったが、最後はリーマンショックに釘を刺された。
現在乗っている車は、平成4年式のR32スカイライン。
新車で購入して16年の伴侶となるが、4月の車検切れを前にネットでタイヤを購入し、車検を通した。
愛車はそれなりのメンテを怠らず、今でも乗るたびにファントゥドライブを与え続けている。

表題の安全率7というのは想定される応力の7倍の強度を持たせて設計すると言う事。
古くは良く使われていた手法であるし、日本の品質を支えてきた数字がこれかもしれない。
欧米の車に比べて、発展途上国で多く見かけるのが、日本では考えられないくらい古い日本車達であるし、Made in Japanの神話がここにある。
20年以上前のカローラでさえ、それなりの高値で海外では取引されている。

今の景気を見ると、不景気と言う報道が購買意欲の減少を呼び、負のスパイラルに庶民感情を向かわせていると思う。
結局、人々が購買欲望の中で、大きな買い物はせず、小さな買い物に動いているのが実態だろう。
故にユニクロやH&Mが賑わい、かつて3年スパンで新車購入していた意識は停滞し、壊れなければ良しとして、実際の車購入が減少している。
一方で、魅力ある商品開発が出来ず、若者の車離れを招き、いつしか車に乗ることが楽しみではなくなり、車を利用するのみに終始するマーケット。
北米偏重の浅い物創りと経営思想が生んだ景気衰退とも見えないわけではない。

サブプライムの話は、去年から言われていた事ではあっても表立った対応を怠ったのも、PCにおける西暦2000年問題とラップするものがある。
また、1バレル130ドルを超える異常な石油価格の高騰は、消費者にオイルショックの時と同じようにガソリンが限りある資源である事を強烈に印象付けたが、その後のサブプライムバブルが弾けた事による景気収縮と重なり、嫌でも消費者の車買い控えに繋がっている。
一度上げた品質は戻せないし、信頼性を否定してはMade in Japanをも自ら否定する事になる。
今が正念場。

ただし、人間は物欲を無くせない生き物である以上、数年後の物欲の大津波による景気回復の時に、いかにエポックメイキングな商品をさせるかで、淘汰されるかもしれない企業が決まると思う。
ピンチをチャンスに変える時が今だろう。

2008年8月10日 インドを想う

2009-04-10 20:40:28 | 徒然なるままに
先日、インド駐在から5年ぶりに帰国した旧友と飲み交わした。
毒舌の彼の言うインド人に対する罵詈雑言も確かに一理あるかもしれないとも思った。
ここではインドの素晴らしさについても述べたことがあるが、今回インドのネガティブな部分に焦点を当てて記述してみたいと思う。

今回残念ながら状況を伝える適切な写真が手元に無い。より理解を深めるのであれば、
「ムンバイ スラム」「カースト」「プーランデビィ」「バラナシ」でWeb検索していただきたい。
猛暑で沸騰する季節の中で、混沌とした世界を知る刺激になるかもしれない。

私自身もインドを訪れて目の当たりにする貧富の差は筆舌に尽くしがたい。ムンバイ(=ボンベイ)の空港を上空から見るとスラム街が空港を侵食する勢いで迫っている。
また、親子三代、石切り場から出た事が無く外の世界を知らない人々、その子供達を命がけで外の世界へ開放しようとするNGOが存在するという話も聞く。
そしてカーストによって今もって職業が決められる世界の存在。
私が訪れる南部ケララの漁民はカーストとしては非常に低い位置にあり、高位のカーストのインド人は、彼らに近寄る事さえ拒むのが現実だ。

近年、欧米から心臓手術を行うのに安価で腕の良いインドの病院に患者が訪れる話も聞く。
病室は高級ホテルのようで、医師も場数を踏んで腕が立つ英語が堪能な方々らしいが、看護婦は南インドの看護婦カーストの女性達が付くと言うのも、言いようの無い世界を感じる。
さらにIT大国インドと言うが、ITというカーストが存在しないから才能が開花するという笑えない矛盾もある。
また、インド現地の新聞を見るとレイプ事件も数多い事が分かる。プーランデビィという女盗賊から国会議員になり暗殺された彼女の生涯を綴った本の中には、カーストが低いからと言う理由で家畜同然に扱われ、レイプを繰り返された事実も語られている。
カースト制は禁止されていると対外的には言うが、その実、インド社会の中で非常に根深く人々を支配している現実がそこにある。
そしてイギリスがインドを支配できたのもこのカースト制を利用して反対勢力を分散させたからに他ならない。

一方、選挙シーズンになると貧しい村に井戸が次々作られ、大局そっちのけで、選挙人集めに翻弄する選挙運動。
その選挙期間以降は、貧民層を除いたインド人口の半分だけ食べさせれば良いとして政策を立てるから国がまとまっているという友人の意見もある。
もし、それをしないのなら、もう一方の巨大人口を抱える中国のように共産主義に走らなければ国を纏められないと言う意見には自分も頷きながら考え込んでしまった。

現在、海外の大学には多くのインド人の富裕層が留学している。
価値観の違いと言えばそれまでだが、自由社会を見た彼らに、インドでの矛盾はどのように映るのか。
少なくとも、カースト制の現実に対して異議を唱える者は、表立っていないし、石切り場から子供達を命がけで助けるNGOの世界にも彼らの姿は見えない。

まさに、自身の世界観では図れない、混沌とした世界がインドだ。
格差社会と言う言葉が日本ではもてはやされるが、インドのそれは全く異次元と言っていい。そして、「人」とは何かを改めて深く考えさせられるものがある。

ガンジス川の辺にある聖地バラナシ。
ここは火葬場が大きくなって街を作ったと言っても過言ではない。
BRICSの台頭と世間では言うが、ガンジスの水で沐浴し、対岸の彼岸に向かって祈る彼らの姿はどこに向かうのだろうか。


2008年8月9日 成果主義の終焉

2009-04-10 20:38:48 | 徒然なるままに
近頃、企業が競って採用した成果主義の弊害が取り沙汰され、政府もそれを否定する見解を述べるに至っている。

正直言って、何をいまさらと言う感が強い。
ここでも何度か述べたかもしれないが、目先の利益のみに囚われれば、中国製のアフターサービスが皆無なコピービジネスと何ら変わらない。

僕はPartner and Customer and Social Satisfaction の繰り返しによる永続的なビジネスの成長思想、そして物創りに対する創意工夫と愛情が日本企業を支えてきたと信じている。
これに歯止めを掛けたのが、言葉だけ先行し目先の利益に特化した成果主義だ。
成果主義が闊歩した時期は、「堀江モン」「村上ファンド」「住宅強度偽装」「リコール隠し」そして「日本製を疑うようなリコール問題の数々」数え上げたら切りが無い…

一概に成果主義からの転換と言っても、この後遺症から立ち上がるには働く意味への原点復帰が不可欠だと思う。成果を求めるあまり横への連携を忘れ「個別最適主義」に走り、「全体最適」が見えない組織。人を増やしても伝言ゲームに終始し業務効率が低下する組織… Made in Japanは余りに大きな物を無くしてきた。
そしてこれを打開するキーの中心にあるのは「人」に他ならないと思う。
僕が、Partner and Customer and Social SatisfactionとしてPartner を真っ先に書いたのは企業を支える「人々」の幸せが無ければ企業理念は絵に書いた餅でしか無いと信じるからだ。

ここで企業活動のキーポイントであるマーケティングに目を向けると、これは、企業の価値観の映し鏡にも見える。
マーケティングと一言で言っても、それは”人”と"人”との関係作りであり、それをリレーション作りというならば、”IR(Investor Relations)”と”PR(Public Relations)”と”ER(Employee Relations)”のバランスがマーケティングに他ならない。
とかく企業は建前と体裁作り(=Investor Relations)にはしりがちで、その化粧道具として”Public Relations”を使いたがり、最終的には、建前論ばかりで”Employee Relations”を忘れ、気がついたときには”後の祭り”状態になっているのが泥沼にはまった日本企業かもしれない。

システムだ、ロジックだと言って箱物を作っても“人”としての魂を入れなかったら意味は無い。

自分自身、世界の新興国と言われる国々を歩く中、Partner and Customer and Social Satisfactionの考え方に行きつく国は知らない。
“人”を中心にすえる考え方はその日の糧に終われる新興国には難しいかもしれない。
BRICSが台頭する今だからこそ、Partner and Customer and Social Satisfaction のビジョンの元、目線を遠くにおいて、感動を創造する商品をもって社会を潤していくのが、新しい日本株式会社であって欲しいと願ってやまない。