ともちの小さなGLOBE

人生は一期一会のLong and winding road。小さな地球儀をめぐる日々をブログにしました。

2006年10月 西アジア:インド グジャラットにて

2009-04-06 22:09:23 | 
今回訪ねたのはパキスタン国境に接するインドのグジャラット。

空港を出ると、サウジの郊外のような様相で、およそインドにいる気がしなかったが、州都Porbandar市内に近づくとサリーとパンジャビンドレスの女性。そして人、車、牛も一緒の雑踏に出くわし、インドである事を痛感する。

グジャラット州は禁酒ということで、モスレムの人々が多数を占めると想像していたが、ヒンドゥーの人々も非常に多い。
なぜ禁酒か、訪ねると、GujaratのPorbandarがガンジー生誕の地で、ベジタリアンであり酒も飲まなかった彼に敬意を表してとの事。
グジャラットの漁村は活気に溢れていた。ロブスターが獲れた網を少年が自慢げに見せてくれた。


宿泊したホテルの早朝は何やら、ガサガサした音で目が覚めた。
下の庭のパーティ跡に牛の群れ。野牛が群れで残飯を漁っている光景に遭遇した。
グジャラットでは野犬よりも野牛がはるかに多い。
目の前の海では皆が沐浴している…

ホテルに帰着後、スタッフを交えてミーティングしていると、TVから、いきなりのカーチェイスのようなニュース映像。何事かと尋ねると以下の通り。
インドの首相がケララ州の州立記念日(11月1日)を祝う為、空港に降り立ったが、信じられない事に普通のタクシーに乗ってしまった。
結局そのタクシーを多数のパトカーがチェイスする事になり、道路は大パニック状態。
事情が飲み込めないタクシー運転手は緊張のあまり到着後倒れて入院。ベットに横たわるタクシー運転手の哀れな映像と、怒り心頭の彼の奥さんのコメントが延々と続く。
いずれにせよ、だれも怪我せず良かったわけだが、日本では考えられないニュース。インド人のスタッフも笑いながら「これがケララだからね」の一言。

道程の帰路、ボンベイにトランジット宿泊した。
ボンベイは空から空港を見るとスラム街が空港の壁まで押寄せている。空港からのキャブはエアコン無しの窓全開。信号待ちでは乳飲み子を抱えた少女が殺到して物乞い。財布をトランクのかばんに入れている自分は成すすべも無い。
金が払えないのを見て取ると、こちらの頬を指で触って侮辱の態度、複雑な気持ちだ。
グジャラットのガスステーションでも年の頃で言えば15才ぐらいの綺麗な少女が物乞いをしてきた。裸足の上に質素な身なり…
貧困と言うキーワードは取り分け発展途上国では深刻な意味合いを持つ。
乞食たちを束ねるブローカーの存在や、子供の目を潰し、手足を切りものの哀れを誘い乞食の糧を得ようとする輩の話もあり、暗い影を落としている。
その中の一筋の光明として貧困救済に立ち上がったバングラディシュの経済学者のヤヌス氏。
本年度ノーベル平和賞を得た彼のマイクロクレジットの提唱という功績が発展途上国に普及している現在。テロの根源を見る時、「貧困層の生活改善に対する資源投入は、兵器への出費に勝る戦略だ」と語る氏の姿には痛く感銘した。

貧富の差が極端に大きな発展途上国。貧困と言う現実を見るに付け心が痛むと同時に深く考えさせられるものがある。

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2005年9月 中東:ヨルダンにて

2009-04-06 22:00:25 | 
リアドからドバイに戻りそこからヨルダンの首都アンマンに向かった。
ドバイからアンマンまでの移動はゆうに4時間以上かかった。
そしてドバイとの時差は2時間。
イラクやイスラエルを初めとした紛争地体に囲まれるこの国は、安全と言う言葉からは遠い気がしていたが、死海や遺跡などのツアーで有名な、観光地の側面も持っている。
アンマンの空港では中国語が飛び交うおばちゃんツーリストの一団にも遭遇した。

空港から市街までは起伏に富んだ荒涼とした大地が続き、その中からベージュ色の建物が見えると、古来の歴史を感じるような気がした。

現地関係者の話では、この国には四季があり夏は32℃冬は20℃で比較的すごし易いらしい。
町並みや道路はヨーロッパのそれに近く、女性の服装も華やかでサウジを後にした出張者には華やいだ空気を感じさせる。

宿泊したHYATTホテルにはローマ字表示で「IKEBANA-SCHOOL」や日本の某大手商社のミーティング案内を表す表示がされていた。(1ヵ月後このホテルのロビーはテロにより爆破された)
町の活気からもイラク特需を感じさせるものがある。

昼食時に訪れた郊外の中華レストランや、夕食時に招待されたフレンチレストランのメニューには酒類も載っており、禁酒国ではない。人々は大いにワインを楽しんでいる。
夕食時に飲んだワインはアルコールから遠ざかっていた自分には格別な味だった。

空港への車窓には荒涼とした大地とそれに対比する建物が見える。
美しい風景に見とれてシャッターを切ると風景の一角にパレスチナ難民らしい人々が暮らすらしい粗末なキャンプも見えた。


空港のチェックインで、小柄な小学校6年生程に見えるアジア系の少女が、叱られながら召使としてヨルダン人一家の子供の世話をしている姿を見た。
自分の娘の姿ともラップし、複雑な思いをむねに機上の人となった。

US、ヨーロッパ、中部アフリカ諸国、西アジア諸国、そして今回の中近東諸国。
それぞれの異なる文化と価値観。
一般的と思っていた常識が世界に対して如何に懸け離れているかの実感。
この旅を終え、真の意味での「コモンセンス」を基軸にした自己の、思想、行動、を確立する事が、世界を相手にしたビジネスの成就、自己の実現の為には、特に必要であると感じずにはいられなかった。
今回の紀行も人生における1コマに過ぎないかもしれないが、大きなインパクトを自分自身に与えてくれたのは間違いない。

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2005年9月 中東:サウジアラビアにて

2009-04-06 21:57:40 | 
UAEのドバイを離れ、サウジアラビアの首都リアドに着いた。
中近東でキングダムと言えばサウジアラビアを指す。
サウジは出張自粛国であるが、空港に降りた第一印象は、近代的な設備の整った美しい国。
水平線は黄色味を帯びており、砂塵が舞う様相を呈している。
空港からホテルに向かう道路も非常に美しく、近代的な国家という印象は拭えない。

内陸に位置するリアドに住む若者の娯楽の一つが4輪駆動のRV車やATVによる巨大な砂山でのエキストリームな登坂チャレンジ。

平均斜度20度以上はある急斜面に向かって車が砂塵を立てて駆け上って行く。
その斜面の途中からハンドルを切ってUターンして行くさまを目の当たりにすると驚きを隠しきれない。
夜になってもヘッドライトを点けてエキストリームなチャレンジは続く。
ヒルクライムの近くでは写真の「空気屋」が、空気圧を落として遊んだ車への空気補給の為に店を開いている。

面白いことに、この地で中国製のハイラックスサーフのコピー車と思しきセーフなる車に出くわした。
留まる事を知らない中華パワーには呆れてしまう。

宗教戒律の厳しいこの国には女性と言うキーワードがアクティブなスポーツには存在しない。
男だけの砂の海でのチャレンジは何を目指すのか。
限界への挑戦、ストイックな日常からの逃避。
しかし、非常にフレンドリーな彼らは、活気に満ちた目を持つ、世界中どこにもいるスポーツを楽しむ普通の好感の持てる若者達だった。
彼らから色々なもてなしを受け、感謝しつつ巨大な砂丘を後にした。

夜、現地関係者の案内でショッピングセンターを訪れた。
酒が無い事、女性が黒装束なのと、御祈りの時間に店がシャッターを下ろす事、そして、アラビア語表示をを除けば、何らUSAのモールと変わらない景色がそこにあった。
実際、日中は暑い為、商店は午後5時ごろからオープンし始める。
まさにスペインのシエスタと同じ。

ショッピングセンターを訪れる人々の表情は、非常に明るく笑顔に満ちていた。
黒装束の女性ティーンエイジャー達が店の前のフロアにしゃがみこみ車座になって雑談している様子は、日本のコンビに前で若者が座って雑談している様子と全く変わりが無く。同行したドバイ在住者と思わず顔を見合わせてしまった。

しかし、セーフティな印象も宿泊先のRadissonホテルに近づくと一変する。
ひとつ隣の政府関係ビルの道路脇に置かれた機関銃陣地、そしてホテル前に設置された自動車テロ防止用のバリケード。
ホテルに一歩入れば、高級ホテルであるにもかかわらず、この状況はこの国の置かれている暗部を的確に表している。
サウド家のアラビア、有り余るオイルマネーによるインフラ整備にもかかわらず、富の一極集中による貧富の差。
サウジのオイルマネーの80%は王族が支配し20%で国家運営がなされているとも聞く。
王族支配のオイルマネーを財政危機から50%にすると決めた首相は翌日に国王から罷免される国。
ダーティーワークはインド、パキスタン等からの出稼ぎ労働者に頼っているにせよ、各種マスコミ、TV番組等から多くの情報が民衆に与えられる事から、富の一極集中に不満を持つ人々が政府と、その関係者に対するテロ行為を行っているのが、この国の暗部か。

富の一極集中を目の当たりにすれば、軍事クーデターによる政権転覆が世界中で引き起こされている事実は単純明快な帰着点かもしれない。

もし、イラクと同じような形で政権転覆が起きたら、テロリストに流れるオイルマネーから、この国はイラク以上の混沌をきたすであろうことは、想像に易しい。
ただ、その石油と言う富があまりに大きい為、国際社会取り分けUSAの箍によって安定は保たれているように感じた。
確かに戒律の厳しい国の中にあっても好むと好まざるに係わらず、各種ファーストフード店やコーラのビルボードを見るにつけUSAの文化はあちこちで見られるのも事実だ。

一方、別の考え方をすれば、イラクの民主化を最も恐れる国の一つが、この国ではないだろうか。
フセインはその生い立ちから、湾岸諸国の国王達には許しがたい物であったろうし、その政権が転覆し、王政ではない状態で国内が混乱する事こそ望むべき姿なのかもしれない。

リヤド郊外では、古びた民族衣装を纏った1人のストリートチルドレンにも出会った。
UAEでは見なかった落書きも裏街角や郊外には多く存在している。
この国でも、さまざまな問題は色々な形で顔を覗かせている。
その一方で見られる若者達の明るい笑顔、活気ある街角。
複雑な思いが胸中に飛来した。

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2005年9月 中東:UAEにて

2009-04-06 21:25:03 | 
始めて訪れる中近東地域。
ドバイで購入した中近東地図 にはパレスチナと言う国名はあってもイスラエルと言う国名は無かった。
ドバイの第一印象は非常にクリーンなこと。
中部アフリカ、西アジアと比べても各々は全く違う文化体系の上に成り立っており、全てを好奇の目で見てしまう。
街角にはゴミも無く、落書きひとつ無い。
乱立するビルディングは何れも目新しく文化の重みを感じることが出来ない。


昼食を摂ったカバブ料理のローカルレストランには14時に入ったが、その後続々人々が訪れていた。15時には長蛇の列。
我々の常識からすれば、遅い昼食そして遅い夕食となるのだろうが、これも当地の文化。
アジア方面からの出稼ぎ者が多いのか、人種は多種多様。
聞けば自動車修理などの機械修理を行う出稼ぎインド人が1ヶ月で稼ぐ給料は5万円ほどとの事。
本国に比べれば大幅に稼げる為、出稼ぎは後を絶たない。
しかし、現地在住者に聞けば、ガソリンの値段も、この頃¥30/Lから¥40/Lに値上げされ、物流コストを押し上げている事から、じわりじわりと物価上昇をきたしているとの事。
現実的には家賃も値上がり傾向にあり、出稼ぎ労働者の生活を逼迫しているらしい。

オイルマネーで潤う国ではあるが、労働者は外国人、行政のブレーンも海外コンサルタントとして一国が成り立っており、文化としての宗教色や服装による文化の差異は感じることが出来ても、表立ってこの国の人々の姿は見えてこなかった。

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2006年5月 西アジア:スリランカにて

2009-04-06 06:11:56 | 
スリランカは何度か訪れた場所だが、常に新しい感動を与えてくれる。

スリランカの首都コロンボ。久しぶりに訪れたかの地の街角には多くの歩哨が立ち、ゴミも少なく一抹の不安のある美しい街並となっていた。
これもタミルタイガーとの内戦が頻発している事の余波である事は紛れも無い事実。

コロンボから南に下り、Bentotaを目指した。
途中の街並にはいつものことながら日本の中古車がひしめいており、車だけ見ていると日本かと錯覚してしまう。なんと中古車屋には黒塗りの街頭宣伝車も売られていた。
道路工事車両も中古の日本車で工事看板も日本語。日本語の意味は解らなくてもやっている工事は皆が理解する不思議な世界。


Bentotaの海に近い入り江には写真のオオトカゲも生息している。

また、海沿いのリゾートや夕日に映える浜辺も本当に美しかった。


しかし、海岸線には津波被害の爪あとを残した建物が、まだまだ見受られるのも事実だ。
多くの人々の命を奪った津波被害。漁民相手に船外機を売る現地の方々と話をした際、彼らは自分達は決して拝金主義者では無いと言い切っていた。

以前、出張の帰路、ポケットの1ドル札を見て畏怖の念を抱いた異文化を結び付ける貨幣。
表面的に見れば世界共通の価値観を得る為の貨幣経済は、単純に拝金主義の価値観に結び付く輩の流出も否めないのも事実であり、それが、ソロモンでの中国人に対する暴動にも結び付いている。
しかし、津波の援助活動では利益度外視で漁民の救済に乗り出した彼らのプリンシプルは確かに「愛」だったと思う。

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2005年11月 西アジア:モルディブにて

2009-04-06 06:01:39 | 
インドからの帰路、モルディブに立ち寄った。


インドの喧騒を離れると別世界である事を感じざるを得ない。
青い海の中、久しぶりにJETに乗った。

現地の人間に乗り方を教えたりして楽しい時を過した。

首都のマレにある博物館に、日本の小判を発見。

展示案内には、出所不明の記述があるが、写真からは間違いなく日本の小判だと思う。
大昔、こんなところまで誰がこれを持ち込んだのだろう…
歴史のロマンを感じる。
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2005年11月 西アジア:インド バックウオーターにて

2009-04-06 05:51:46 | 
2006年11月に訪れた、美しいインドの一コマについて書き記したい。

インドと言うと、不衛生というイメージを抱く事も多いかもしれない。
確かに町のいたるところにゴミはあるし、川の流れの中で全てを洗い流してしまうところでもある。
また、カースト制は禁止されていると言っても潜在的に強く残っている部分もある。
まさに全てが混沌としているのがインドである。

しかし今回紹介するKERALA州にあるALLEPPEYを中心としたバックウオーター(海岸線と平行して内陸部にある淡水の運河地帯)は、ある意味インドの桃源郷とも言える素晴らしい景観で訪れる者を魅了してくれた。
(写真は景観をあえて転地逆にしてみた。完全なフラットウォーターだ)

運河の所々で目にするのが、写真のチャイニーズフィッシングと呼ばれる大きな金魚すくいの様な網を上げて魚を捕らえるネット。古くは中国人が伝えたらしいが中々ゆったりとした時間を感じさせる。

運河が海に交わる地域であるコチンでは写真のような漁船が海からの漁を終え帰ってくる姿が見られる。
18人の漁師が乗る船の船側には、ちっぽけな日本製船外機が2機…これが彼らの家族全員を食べさせていると思うと、人々の生活を支える技術の尊さを改めて感じた。


このバックウォーターにはハウスボートと呼ばれる、トラディショナルスタイルの木製の貸切滞在型観光船が浮かんでいる。

この船は、古くからこの運河で使われていた運搬船の船体を再利用し、そこに1~2のベットルームを有する構造物を乗せたものが代表的である。
それが、波も立てないほどの極低速でゆっくりと水面を移動している。


この地の運河は、植民地時代に英国が作ったものの名残だが、写真のように周囲の田よりも高いところを流れており、不思議な景観をかもし出している。



このハウスボートが流行り出したのは、ここ3年程。
現在は近代的な観光船を駆逐する勢いで、トラディショナルが近代を凌駕している様は、非常に興味深いものがある。

しかし、この地も動力船から出る廃油や排ガス、そして観光地化に伴うゴミの増大による環境汚染問題を抱えている。
自己主張の強い地域性に加え、明確なイニシアチブを示せない協会。個人意識の向上と言う時間延ばしの逃げ口上ではなく、大局的に見る政治ビジョンが無い限り、この桃源郷も無に帰してしまうような気がしてならなかった。

教育、そして政治。人々が抱える問題は世界のどこにも凝縮していると思う。

道中、運河沿いのローカルレストランに立ち寄った、厨房を覗くと写真のようなカレーの数々。

椰子の実から作られるアラックと呼ばれる酒造りも見せてもらった。甘い匂いに蟻が寄ってきて大変。瓶の底には蟻が積もっていたりしている。

これも楽しからずや。
この景観が損なわれない事を願ってやまない。

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