ともちの小さなGLOBE

人生は一期一会のLong and winding road。小さな地球儀をめぐる日々をブログにしました。

2008年8月10日 インドを想う

2009-04-10 20:40:28 | 徒然なるままに
先日、インド駐在から5年ぶりに帰国した旧友と飲み交わした。
毒舌の彼の言うインド人に対する罵詈雑言も確かに一理あるかもしれないとも思った。
ここではインドの素晴らしさについても述べたことがあるが、今回インドのネガティブな部分に焦点を当てて記述してみたいと思う。

今回残念ながら状況を伝える適切な写真が手元に無い。より理解を深めるのであれば、
「ムンバイ スラム」「カースト」「プーランデビィ」「バラナシ」でWeb検索していただきたい。
猛暑で沸騰する季節の中で、混沌とした世界を知る刺激になるかもしれない。

私自身もインドを訪れて目の当たりにする貧富の差は筆舌に尽くしがたい。ムンバイ(=ボンベイ)の空港を上空から見るとスラム街が空港を侵食する勢いで迫っている。
また、親子三代、石切り場から出た事が無く外の世界を知らない人々、その子供達を命がけで外の世界へ開放しようとするNGOが存在するという話も聞く。
そしてカーストによって今もって職業が決められる世界の存在。
私が訪れる南部ケララの漁民はカーストとしては非常に低い位置にあり、高位のカーストのインド人は、彼らに近寄る事さえ拒むのが現実だ。

近年、欧米から心臓手術を行うのに安価で腕の良いインドの病院に患者が訪れる話も聞く。
病室は高級ホテルのようで、医師も場数を踏んで腕が立つ英語が堪能な方々らしいが、看護婦は南インドの看護婦カーストの女性達が付くと言うのも、言いようの無い世界を感じる。
さらにIT大国インドと言うが、ITというカーストが存在しないから才能が開花するという笑えない矛盾もある。
また、インド現地の新聞を見るとレイプ事件も数多い事が分かる。プーランデビィという女盗賊から国会議員になり暗殺された彼女の生涯を綴った本の中には、カーストが低いからと言う理由で家畜同然に扱われ、レイプを繰り返された事実も語られている。
カースト制は禁止されていると対外的には言うが、その実、インド社会の中で非常に根深く人々を支配している現実がそこにある。
そしてイギリスがインドを支配できたのもこのカースト制を利用して反対勢力を分散させたからに他ならない。

一方、選挙シーズンになると貧しい村に井戸が次々作られ、大局そっちのけで、選挙人集めに翻弄する選挙運動。
その選挙期間以降は、貧民層を除いたインド人口の半分だけ食べさせれば良いとして政策を立てるから国がまとまっているという友人の意見もある。
もし、それをしないのなら、もう一方の巨大人口を抱える中国のように共産主義に走らなければ国を纏められないと言う意見には自分も頷きながら考え込んでしまった。

現在、海外の大学には多くのインド人の富裕層が留学している。
価値観の違いと言えばそれまでだが、自由社会を見た彼らに、インドでの矛盾はどのように映るのか。
少なくとも、カースト制の現実に対して異議を唱える者は、表立っていないし、石切り場から子供達を命がけで助けるNGOの世界にも彼らの姿は見えない。

まさに、自身の世界観では図れない、混沌とした世界がインドだ。
格差社会と言う言葉が日本ではもてはやされるが、インドのそれは全く異次元と言っていい。そして、「人」とは何かを改めて深く考えさせられるものがある。

ガンジス川の辺にある聖地バラナシ。
ここは火葬場が大きくなって街を作ったと言っても過言ではない。
BRICSの台頭と世間では言うが、ガンジスの水で沐浴し、対岸の彼岸に向かって祈る彼らの姿はどこに向かうのだろうか。


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