goo blog サービス終了のお知らせ 

blue deco design lab

クリエイティブが大好きなのに、なぜか商社マンになってしまった私のマニアバース!

僕の好きな女性像の原点、『ノラ・ミャオ』

2024-03-04 22:13:20 | ブルース・リー、アクション

僕は小学生の頃、恐らく1976年頃だったと思うが、アメリカで初めてブルース・リーの映画を観た。たぶん、アメリカのテレビで放送していたのではないかと思うのだが、この時にブルース・リーを見た衝撃が、50年近く経った今でも僕の中で変わらず息づいていると思うと、僕の人生にとって如何に大きなインパクトであったかがお分かり頂けるかもしれない。そしてこの時、既にブルース・リーは他界していたことにも衝撃を受けたのだった。

物心をついた頃からブルース・リーに触れ、そして恐らく人生で最初に好きになった女優が“ノラ・ミャオ”だったのだと思う。彼女はブルース・リーの香港時代の3作品(『ドラゴン危機一発』、『ドラゴン怒りの鉄拳』、『ドラゴンへの道』)で共演した香港女優で、当時ゴールデンハーベスト社が売り出し中の女優だったのだ。清純で可愛く、それでいてキリっとした力強い眼差しが魅力的な女優で、ブルース・リーファンの誰もが恋をしたものだ。

ブルース・リー主演第1作、『ドラゴン危機一発』はノラ・ミャオのデビュー作でもあったが、映画の中ではキャンディー売りの女性役なのでやや脇役だった。しかし、それでもキュートさは隠せなかった。そして続く第2作『ドラゴン怒りの鉄拳』では、ブルース・リーがスクリーンで演じた唯一のキスシーンをノラ・ミャオと演じている。続くローマロケを慣行した『ドラゴンへの道』で見せた、ちょっとツンデレのレストランオーナー役を演じたノラ・ミャオも捨て難い。

今振り返って自己分析してみると、彼女の魅力・可愛らしさがそのまま僕の好きな女性のタイプとして登録されて行ったのではないかと思う。そして、その後好きになった倉木麻衣や少女時代のユナも、どこかノラ・ミャオに似た要素を持っているように思うので、ノラ・ミャオを好きになったことが後々まで僕の好きタイプとして色濃く影響しているのである。

(ノラ・ミャオとユナ)

ノラ・ミャオは1952年生まれで、現在72歳。1990年にカナダ/トロントに移住して今も平穏に暮らしているらしいが、どうやら2017年に香港のテレビドラマに出演したらしく、今でも女優としてご健在なのは嬉しい。1940年生まれのブルース・リーとは12歳違いで、当時恋仲ではないかとの噂も多かったようだが、実際には彼女を妹のように可愛がっていたらしい。ブルース・リーの死後に聞いたノラ・ミャオへのインタビューなどでもその関係性が裏付けられている。

そんな中、何とも感動的なノラ・ミャオグッズを入手してしまった!彼女が1975年にサインしたと思われる直筆サインだ。それなりに高価であったが、ノラ・ミャオファンとしてはぜひとも欲しい逸品だったので、思わず購入した。49年も前のサインだけあって色紙はかなり痛んでおり、シミなども多いが、その経年劣化も含めてお宝である。

色紙の信ぴょう性を確かめる為、1975年当時の資料などを色々と調べてみたが、雑誌『ロードショー』によると、ノラ・ミャオは1975年の1月13日から4-5日くらいの間、『ドラゴンへの道』の日本公開タイミングに合わせて、プロモーションで来日を果たしていたとの記事があった。この際に東京・大阪・福岡などを周っているが、恐らくこの来日時にどこかでサインした色紙が流通したのだろうと思うので、かなり信ぴょう性は高そうだ。

1973年にブルース・リーが亡くなってから、遡って日本でも香港時代のブルース・リー作品が次々と公開され、これは上述の通り全てノラ・ミャオが共演している。よって1975年頃は空前のブルース・リー/クンフー映画ブームが世界で巻き起こっていた真っただ中であった。

映画ファンの間で一番人気であった雑誌『ロードショー』では、毎月男優・女優の人気ランキングを掲載していたが、1975年当時は常に男優1位はブルース・リーで、女優1位はノラ・ミャオだったし、1980年代までランクインしていた。今振り返ってみてみると、如何に2人が当時人気であったかわかると思う。

ノラ・ミャオが表紙を飾っている『ロードショー』1975年4月号や、当時の雑誌を何冊か保管しているが、記事の中には、“もし1973年にブルース・リーが亡くなっていなかったら・・・”と題して、色々な興味深い取材なども載っており、今読みかえしてみるとかなり興味深い。『燃えよドラゴン』の世界的なプロモーションの為、ブルース・リーは色々な国を周ることを計画していたらしく、日本に来ることも計画に入っていたようだ。そして、『燃えよドラゴン』の撮影で中断されていた『死亡遊戯』のことも当時から良く知られていたが、亡くなっていなければすぐに再開される予定であった撮影には、ノラ・ミャオが共演する予定だったらしいので、ブルース・リーがもし亡くなっていなければ、『死亡遊戯』もまた違った映画になっていたことだろうし、ノラ・ミャオとの魅力的な共演作となった筈なので、亡くなってしまったことが本当に悔やまれる。

今回、1975年代に書かれたノラ・ミャオのサインを入手したことで、またノラ・ミャオに関して振り返る良い機会となったが、こういったグッズはタイムマシーンのようで、一期一会の貴重な出会いでもあるので、その意味でもまた新たな宝物を入手出来たのは本当に嬉しい出来事であった。


念願の“ブルース・リー“ルーム!

2024-02-26 20:52:34 | ブルース・リー、アクション

実家にあるもう一つの空き部屋(Y Room)を改造したことを紹介したばかりだが、この部屋の構想として、まずは自宅のロフトにあるブルース・リー関連グッズを全て実家に引っ越しさせることを計画した。

自宅のロフトは既にパンパンになっていて、これ以上拡張できない為、ロフトは主に横山光輝、手塚治虫、ウルトラセブンだけに限定し、ロフトでかなりスペースを占領していたブルース・リー関連グッズを実家のY Roomに引っ越しさせることにしたのだ。

ロフトから段ボール8箱に詰めて、自分で全て車に乗せて輸送したので、相当骨の折れる力作業となったが、おかげて相当な筋トレとなった(笑)。その結果、本棚の約半分をブルース・リー関連書籍やDVD/ブルーレイで埋めることとなった。大型本は下の棚、小型・中型本とDVD/ブルーレイを上段に配置。下から3段は扉があるので、扉を閉じてしまうとすっきりするし、レコードや本などを飾ることも出来るので便利だ。

更に、扉付き収納の方にはブルース・リーフィギュアを全て飾ることが出来たので、何とも収まりがいい。60cmの高さに設定しているので、計算通り大きめのフィギュアも楽々入るのだ。そして一部上の棚には僕の持っている15本のヌンチャクと、ブルース・リーが考案した“オープンフィンガーグローブ”を収納。これで完璧である。

本棚の横には、僕が以前出版したブルース・リーブログ集“ブルース・リー/世界を変えた怒りの美学!”の表紙イラストをB2ポスターとして制作したので、それを飾ることに。

まだ本棚は半分くらい空いているので、まだどうしようか悩み中だ。もう欲しいと思っていたブルース・リーの本やグッズは殆ど手に入れてしまったので、あと半分の本棚を埋めるだけの量は無いだろう。残りの本棚スペースは、ブルース・リーと同じく尊敬する“ウルトラセブン”関連グッズを自宅のロフトから引っ越しさせようかと現在検討中なのである(笑)。

このY Room(仮)は元々結構見晴らしが良かったのがお気に入りだったが、”新生ブルース・リールーム”として久々に息吹を受ける形でリスタートを切ることが出来て、また新たな眺めを手に入れることが出来た。


香港のブルース・リーコレクション本、『The Bruce Lee Memorabilia』!

2024-02-15 12:53:16 | ブルース・リー、アクション

ブルース・リーに関する本は世界中で実に様々なものが出版されており、コレクションするのも実に楽しい。僕もブルース・リー関連本は相当数コレクションしており、欲しいと思ったものは殆ど入手済だが、1冊だけ前から欲しいと思っていたにも関わらず、手に入っていない本が1冊あった。それが、香港ブルース・リークラブが編集・出版していたこちらの『The Bruce Lee Memorabilia』という本だ。それを今回ネットで安く手に入れることに成功したが、長年狙っていた本なので嬉しい限りである。

ハードカバーで大判の本だが、内容はブルース・リーに関わる過去の出版物(本、雑誌、パンフ、ポスター、レコード等々)を中心に集めたいわばコレクターズブックだ。日本でも『ブルース・リー大全集』と『ブルース・リー超全集』という分厚いコレクション本が出版されており、こちらの方が収録しているグッズなどの量や掲載内容はより充実してはいるが、これに先立ち、1998年に出版されていたこちらの『The Bruce Lee Memorabilia』はぜひ手に入れたいと思っていた1冊である。

1998年に出版されたやや古いものなので、最近の出版物やグッズなどは収録されていないが、それでも香港、米国、日本を中心に世界中のものを結構集めて掲載している。特に日本の出版物やレコードなども多く収録されており、写真のクオリティや構図が良いことに改めて気づかされる。

欲を言えば、フィギュアやグッズの掲載がやや弱いし、特にコレクターの間で一番人気のあるフィギュアに関してはメジャーなものは殆ど載っていないのが残念であった。まあその当時はENTERBAYなどのクオリティの高いフィギュアはまだあまり出ていなかったのかもしれない。

それでも、この本はブルース・リーの様々なグッズを眺めて楽しむにはとても良い1冊で、日本の2冊などと比べながら、ブルース・リーの写真集の一種として見るのも面白いかもしれない。


ブルース・リーの美しき胸像!

2024-02-05 19:50:09 | ブルース・リー、アクション

昨年10月に、ブルース・リーの没後50周年という記念すべきイヤーを自らも祝う意味で、2010年にENTERBAYから発売された、“生誕70周年記念”『燃えよドラゴン』大型フィギュアをゲットしたことは以前ブログで取り上げたが、最近この同じシリーズで『燃えよドラゴン』のバストアップ胸像フィギュアを新たにゲットした。

昨年購入した1/4サイズフィギュアと同じ大きさだが、こちらはフィギュアというよりは胸像なので、像として部屋に飾っておくには、こちらの方が座りが断然いいのだ。便宜上、昨年購入したものをフィギュアと呼び、今回のものは胸像と呼ぶが、どちらもサイズやディテールは基本同じで細部まで良く出来ているのが嬉しい。ただフィギュアと胸像には面白い違いがある。

フィギュアの方は『燃えよドラゴン』で、敵のハンから付けられた爪の引っかき傷が入っているのに対して、こちらの胸像の方はその引っかき傷が無いクリーンバージョンとなっているのが面白い。やはり胸像の方は、映画のシーンを再現しているというよりは、ブルース・リーの肉体美を披露する“彫刻的な美しさ”がより強調されているとも言える。

台座にはブルース・リーの生涯(1940-1973)や、ブルース・リーの中国名、“李小龍“や龍のデザインが刻まれており、全体的な重さもずっしりで、なかなか見事な重厚感である。

このENTERBAYの生誕70周年記念フィギュアは『燃えよドラゴン』の2体と、同じく昨年購入した『ドラゴンへの道』モデルの計3種類しかないが、今回、これで全3種類を入手することに成功した。どれも1/4サイズで、集め甲斐のあるリアルで良く出来たフィギュアシリーズである。


ブルース・リー驚きの新事実!

2023-12-11 20:43:03 | ブルース・リー、アクション

ブルース・リー没後50周年、そして『燃えよドラゴン』公開50年となった今年は、ブルース・リーの様々なイベントや話題で大いに盛り上がった最高の1年であった!世界中で多くの記念出版物もリリースされ、これまでに幾つか取り上げてきたが、そんな中で今年を締めくくる新たな記念ブックが日本で出版された。宝島社から発売された本のタイトルは、『燃えよ!ブルース・リー 猛龍伝説』!宝島社のTJ MOOKシリーズの特別編集されたブルース・リー本である。装丁もなかなか良いデザインだ。

なんと、この本で初めて知った驚き事実があった。それは、あの『燃えよドラゴン』でブルース・リーが着ていた3ピーススーツが、メンズビギ初代デザイナー、菊池武夫氏が手掛けたスーツだったというのだ。この本では、なんと截拳道後継者の一人である中村頼永氏が所蔵するブルース・リーが実際着ていた当時のスーツを、今回デザイナーであった菊池武夫氏のもとに届け、感動の再会を果たした際の模様を、菊池氏にインタビューしているのだ。

ちなみに、このスーツを着たブルース・リーは実にカッコよく、やはり逆三角形の見事な体系が映えるスーツだった。そんな彼の姿はフィギュア化されており、こちらもコレクションしている。

僕はあのスーツが日本製、しかも菊池武夫氏が手掛けたメンズビギのスーツだとは全く知らなかったので、また新たな日本との縁に思わず感動してしまった。どうやら当時、ブルース・リーは香港でセレクトショップを経営していたアンジェラ・ホーさんに衣装を任せていたらしいが、このアンジェラさんが当時表参道でメンズビギの店を出したばかりの菊池武夫氏から幾つかのスーツをセットで買っていったというのだ。現在の表参道ヒルズの向かいにあった“BIGI”は、憧れのブティックであり、ブランドでもあった。しかし『燃えよドラゴン』公開前であった為、当時ブルース・リーは日本で全く無名だったし、当時ブルース・リー用の衣装としてアンジェラさんが買っていったとも知らなかったというが、このスーツは1点ものだったらしく、それをブルース・リーが劇中のみならず、プライベートでも愛用していたというのを聞いて痛く感動していた。またブルース・リーが当時着ていたコーデュロイのスーツや、花柄のシャツも全てメンズビギのものだったというから、如何にブルース・リーがメンズビギを気に入っていたかがわかる。

『燃えよ!ブルース・リー 猛龍伝説』は、これ以外にもブルース・リーの懐かしい写真や主演作品を解説したページなどもあるが、ブルース・リー好きで有名な竹中直人と浅野忠信の対談、みうらじゅんと山田五郎の対談、香港時代のブルース・リーを知る貴重な存在である倉田保昭へのインタビューなどが収められており、特徴を持たせた充実したコンテンツとなっている。

没後50年も経って、いまだに新事実を入手できるというのは何とも嬉しい限りだし、こうしてまた新たなブルース・リー本に触れることが出来て、改めてブルース・リーが人々を引き付ける力の凄さ、そして彼のカリスマ性に驚かされるばかりである。