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クリエイティブが大好きなのに、なぜか商社マンになってしまった私のマニアバース!

ブルース・リー『死亡遊戯』幻のメイキング本、“A Warrior’s Journey"!

2024-04-26 20:32:09 | ブルース・リー、アクション

先日、これまでなかなか入手出来ていなかったブルース・リー本をまた新たにゲットした。

ブルース・リー研究の第一人者でもあるJohn Little氏が2001年に執筆した“Bruce Lee / A Warrior’s Journey”という英書なのだが、実はJohn Little氏は同タイトルのドキュメンタリー映画を2000年に監督しており、この本はいわばこのドキュメンタリー映画の”メイキング本”的な位置づけなのである。

ドキュメンタリーの方は、米国版のDVDを随分前にアメリカで買って当時何度も見ていたのだが、米国と日本ではリージョンが異なるので、今は日本のDVD/ブルーレイプレイヤーでは見れなくなっているため、長年見ていないうちに内容をかなり忘れてしまっていた。しかし、今回このメイキング本を入手したことで、またドキュメンタリーも観たくなり、日本リージョン版が手に入らないか探していたところ、なんと以前発売されていた『燃えよドラゴン』のDVD映像特典として、この”A Warrior’s Journey”が収録されているバージョンがあることがわかり、こちらも早速購入した。余談だが、これで『燃えよドラゴン』は、普通版やデジタルリマスター版などを含めてDVDで5バージョン、ブルーレイで2バージョン、VHSで3バージョンも保有していることになり、どんだけ『燃えよドラゴン』を見れば気が済むのか、と言いたくなるようなコレクションになってしまった(笑)。

さて、話をメイキング本の方に戻そう。この本はドキュメンタリーを観ながら読むと、ガイドブック的な使い方が出来ることがわかり、なかなか面白い。カラー写真はあまりないのだが、ドキュメンタリーの内容とほぼ同じ展開で進行するし、貴重な資料もかなり掲載されている。前半はブルース・リーの生い立ちを、リンダ夫人やブルース・リーの弟子でもあったターキー木村氏など、ブルース・リーに近い人々のインタビューなども交えながら振り返っていく。彼が如何に中国武術を世界に広めようとしていたか、如何に悟りの境地に達し、型や流派などに拘ることの愚かさ、そして哲学も相まって、如何に自分のスタイルである“截拳道(Jeet Kune Do)”に辿り着いたかなどを丁寧に解説していく。映画の紹介というよりは、“武道家・自己表現のアーティスト“、ブルース・リーとしての側面を取り上げている。また、米国で受けた中国人・アジア人への偏見を何とか変えたいと必死にもがき続けた人生を見事に捉えたドキュメンタリーである。

また、このドキュメンタリーの60%は上記内容である為如何にもドキュメンタリー映画らしい内容だが、後半の40%はブルース・リーの遺作ともなった最後の映画、『死亡遊戯』の未公開映像(当時)をノーカットで一気に収録したものである点で、このドキュメンタリーに遺産的な価値が詰め込まれたと言える。

『死亡遊戯』は1978年に公開された作品だが、ご存知の通り、1972年に撮影に着手し、クライマックスのアクションシーンをかなり撮影していたものの、途中でハリウッドより『燃えよドラゴン』への主演オファーがあったため、撮影が中断されて未完となっていた作品。その後1973年に『燃えよドラゴン』撮影後、ブルース・リーが急死してしまった為、結局『死亡遊戯』も未完のままとなってしまった。

しかし、この撮影済の映像を何とか活かそうと、『燃えよドラゴン』を監督したロバート・クローズ監督を再び起用し、ブルース・リーのそっくりさんなども使って、一つの全く新しい物語として完成させて1978年に世界に公開されたのが、今我々が観ることが出来る『死亡遊戯』である。

しかし、元々ブルース・リーが当初描いていた『死亡遊戯』のプロットは全く違っており、長らく詳細不明となっていた資料が後で見つかったことから、このドキュメンタリー映画では、ブルース・リーの構想資料なども紹介しながら、John Little氏が監督したロケ予定地の模様や、映画『死亡遊戯』ではカットされてしまっていた未公開映像部分などもふんだんに盛り込まれているのだ。これはかなり貴重な映像資産である。元々の構想はクライマックスでブルース・リーは他に2人の武道家と共に、五重の塔に向かい、上の階に登っていくのだが、各階に武道の達人がおり、倒してからでないと上の階に行けないというシナリオ。映画『死亡遊戯』では、3人で上に上がっていくという設定ではなく、ブルース・リー単独でビルの上の階に上がっていくという内容に変更された関係で、3人のシーンなどが全てカットされてしまったのだ。しかし、この貴重な3人のシーンはこのドキュメンタリーではたっぷり確認することが出来る。

数多く存在するブルース・リーのドキュメンタリーの中には、幾つか秀逸な作品も存在するが、このJohn Little氏が手掛けた”A Warrior’s Journey”は、上記の通り貴重な未公開映像もあり、2000年公開当時、ブルース・リーファンの間では歓喜が巻き起こった作品であった。その意味でもなかなか良く出来たドキュメンタリーで、今回久々に観賞したが、改めてブルース・リーの偉大さ、そして『死亡遊戯』がブルース・リーの理想通りの姿で完成していたなら・・・と思いを馳せてしまう作品であった。

ちなみに映画『死亡遊戯』は、その70%以上をそっくりさんの多投で繋いだ作品であり、ブルース・リーファンからは公開当時かなり酷評されたものだが、それでもやっぱりクライマックスのアクションの素晴らしさに酔いしれ、大ヒット。今ではあの黄色いトラックスーツを含め、映画界でも有名な伝説のカルト映画となった。酷評したい気持ちもわかるものの、でもさすがハリウッドが手掛けただけあって映画としては上手く考えられており、それなりに見どころのある“愛すべきB級映画”になっていて、個人的には好きな作品だ。しかも、未公開になっていた3人の武道家が上に上がっていくくだりも、純粋に映画としてはちょっと間延びしてしまう要素も正直あり、映画『死亡遊戯』ではかなり編集したというのは、映画としては正解だったと思う。その上で何とか未完成映画を公開まで漕ぎつけた努力は高く評価したい。

メイキング本の入手がきっかけとなって、また24年ぶりにこのドキュメンタリーも振り返ることが出来たが、とても感慨深いものがあった。


偉人ブルース・リーの秀逸な絵本!

2024-04-22 06:06:41 | ブルース・リー、アクション

先月末にシアトルに立ち寄った際にWing Luke Museumで購入したブルース・リー本のことは紹介したが、実はこの時もう1冊、こちらの小さな絵本を購入していた。

ブルース・リーの人生を全20ページほどの絵本にして紹介したもので、『Who Was Bruce Lee?(ブルース・リーとは誰だったのか?)』というタイトル。2022年に出版されたものなので、比較的新しい絵本だ。手に取って見てみたところ、結構良く出来ていた絵本だったので、思わず購入してしまった。ブルース・リーの絵本は何種類か出回っているが、今回発見したこの絵本は、これまで見たブルース・リー絵本の中では割と良く出来ている方だと思う。

まず表紙のイラストがなかなか秀逸だ。割と似ている絵だし、顔の部分だけがめくれるようになっており、めくると幼少時代のブルース・リーの絵が現れる仕掛け。

まずはサンフランシスコで生まれたブルースが、俳優であった父の力もあり、ブルース幼少の頃から、子役で映画などに出演しており、幼い頃からエネルギッシュな子供であったことが語られる。

そして香港で育った子供の頃は、けんかばっかりしてトラブルに巻き込まれることも多く、けんかに強くなるため、カンフーも習い始めたことなどが語られる。そしてイップマンの教えを乞うことになる。

しかしブルースはなかなか自分の怒りをコントロール出来ず、ある日ボートに乗っていた時、むしゃくしゃして水面をパンチしたところ、水は幾ら強くパンチしても破壊したり、動きを止めることは出来ないことに気づくエピソードが紹介される(後にブルース・リーの名言、”Be Water”(水になれ)という截拳道の哲学に繋がる出来事であった)。

単身アメリカに渡ったブルースは住み込みでシアトルの中華料理屋で働きながら、アメリカにおけるアジア人への差別に就き、身をもって経験していく。

そしてブルースは、自己表現の方法として、截拳道という武道を生み出し、人種を問わずこの武道を教えようとシアトルに道場を開く。

やがてブルースの活動はハリウッドの目に留まり、TVドラマ『グリーン・ホーネット』に準主役で起用される。

そしてこのことから、ハリウッド俳優にも武術指導などを行う仕事も多く手掛けることになっていった。しかし、やはりハリウッドは当時まだまだ白人社会。中国人がドラマや映画の主役を張るなど考えられないことだった。

これに失望したブルースは家族と香港に里帰りするが、この時『グリーン・ホーネット』のTV放送が香港で行われていて、ブルースは香港ではちょっとした有名人になっていた。これにより、香港での映画製作会社から声がかかり、そこから次々に映画の主演を任され、いずれも大ヒット。このページのチャック・ノリスのイラストが特に良く描けている。

最後のページは、ブルース初主演のハリウッド映画、『燃えよドラゴン』の大ヒットで、ついにアジア人の地位向上、そしてハリウッドではそれまで見たこともないカンフーを全米に広め、水のようにその流れが止まることなく、世界をインスパイヤし続ける存在となっていくという説明で絵本は終わる。亡くなったことにはあえて触れていない。

僕は以前から触れていることだが、ブルース・リーという人物は単なるアクションスターを超越し、世界の中でアジア人に対する見方を変え、そして彼がこの世に残した映画を通して、その後の武道や格闘技、そして哲学に及ぼした影響力はあまりにも大きく、まさに偉大なる革命家であったと思う。その意味からも、歴史上の偉人の一人として語られるべき存在だと思っている。このようなブルース・リーの絵本により、世界中で多くの子供たちにも彼の偉業が語り継がれていくことを本当に嬉しく思うので、良い絵本を発見出来たことは何とも感慨深いものがあった。


最高のブルース・リー本をシアトルで入手!

2024-04-11 19:05:28 | ブルース・リー、アクション

シアトルのWing Luke Museumでブルース・リー展を観た際、ショップのブルース・リーグッズコーナーで、こちらの『Bruce Lee / In My Own Process』という豪華本が売られているのを発見。これは日本でも見たことが無い本だ。それもその筈、日本では今月23日から発売開始になるらしく、先取りしてゲットすることが出来た。国内では9,000円くらいの価格で売られる予定らしいが、何とも分厚い、豪華本である。

ハードカバーでなかなか素晴らしい装丁だ。全280ページ以上もあり、しかもカラーページも多い。

まず冒頭にはジャッキー・チェン、カリーム・アブドゥル・ジャバール、プロスケーターのトニー・ホーク、そしてブルース・リーの愛娘であるシャノン・リーからの追悼文なども掲載されている。シャノンがコメントを寄せることはこれまでにも多かったが、ジャッキー・チェンやジャバのコメントがこのように載るのはちょっと珍しい。その意味でも冒頭からかなり気合の入った本である。

更に読み進めていくと、シャノンや家族、友人などが当時の思い出などをコメントしながら、年代を追ってブルース・リーの生い立ちを取り上げていく構成。彼のサンフランシスコでの出生届など貴重な資料も掲載され、幼少の頃から香港で主演した映画、九龍の聖ザビエル高校のIDカードや学校での様子なども確認出来る。

そして師匠、イップマンとの写真やエピソード、そしてブルース・リーがイップマンに関して記載したメモなどもあって、“目を閉じたイップマンに、生徒たちが誰も触れることすら出来ない“と、(当時)60歳にしてイップマンの超人ぶりを記載しているブルース・リーのコメントはかなり貴重な歴史遺産である。

ブルース・リーは、ダンスも得意だったことは有名な話。香港でもチャチャダンスコンテストで優勝したり、サンフランシスコに渡る船の中でもダンスを教えたりしていたらしく、動きのセンスや、巧妙に体を使う才能はダンスと武道も共通した部分があったのだと思う。そしてアメリカに渡り、武道と本格的に向き合い、自分の武道である截拳道の道場を立ち上げる様子など、かなり貴重な証言や資料が本の中には収められている。

今回訪れたシアトルで、レイクワシントンも訪れたが、ここでブルース・リーは良く瞑想していたようだ。その頃の写真や、彼が好きで良く書いていた手書きの詩(ポエム)なども収められている。

ブルース・リーが書く筆記体文字は実に美しく、アーティスティックであった。これは意図的であったと言われる。何かを書き残すのであれば、それはアートでなければいけない。彼のサインも実に美しい。

1966年からブルース・リーはアメリカのTV番組『グリーン・ホーネット』の準主役、カトー役を勝ち取る。そこそこヒットして、アメリカでもブルース・リーの存在が広く知られるようになったのだが、彼はこの役にあまり納得していなかった。その時のコメントや様子が関係者から語られているのも貴重だ。

そして、この本のタイトルにもなっている『In My Own Process』とは、ブルース・リーがシリーズで書いていたエッセイのこと。このエッセイのことは今回初めて知ったが、日々如何に“クオリティ“のある仕事が出来るか、その為に全力を尽くすことの大切さなどを語っているのがかなり興味深い。武道においても、人生においても、この思想や考え方に生涯彼は突き動かされていたのだと思う。

ブルース・リーは、スティーブ・マックイーンとも交流があった。当時スティーブは既に有名なハリウッドスターであったが、ブルース・リーがスティーブ・コバーンやディーン・マーティンなど多くのハリウッドスターに武道を教えていたり、ハリウッド映画やテレビの武術指導などをやっている中で親密になったが、その頃の写真なども掲載されている。

昔から有名な話で以前もブログで取り上げたかと思うが、これはブルース・リーが1969年(僕が産まれた年)に書いた、『My Definite Chief Aim』、つまり自分の明確なゴール感。自分は、世界で初めてアジア人でアメリカにおけるスーパースターになる、そして1980年までに$10M(今の金額で約15億円)を稼ぐスターになり、内面の調和と幸福に満たされた思い通りの人生が送れるようになるというゴールを掲げているのだ。最近大谷のゴール設定なども話題になっているが、やっぱり大きな仕事を成し遂げる男は、こういった明確な自分のゴール設定を持っているのだ。

本にはこれまでに見たこともないような写真も含まれており、特にブルース・リー直筆のスケジュール帳、ノート、手紙などの資料が多く取り上げられているのは、この本がシャノンを始めご家族が監修していることから、プライベートで所蔵していたレアな写真・遺品などを中心に掲載されているのだろう。これはファンには思わずヨダレが出てしまうものばかりである。

僕は数多くのブルース・リー関連本を集めてきたが、この本は単なる写真集ではなく、実に貴重な資料集としても価値が高い1冊であった。またまた貴重なブルース・リー本がコレクションに加わったし、これをブルース・リーの聖地であるシアトルで逸早く購入出来たことも嬉しい出会いであった。


ブルース・リーの聖地、シアトルを巡る!

2024-04-09 22:32:17 | ブルース・リー、アクション

僕の師匠、ブルース・リーはシアトルに眠っている。彼はシアトル大学の哲学科に通い、学生時代をここシアトルで過ごした。また、彼の武道”截拳道”の道場を初めて開いた場所でもある。更には道場の生徒で、後に生涯の伴侶となったリンダと巡り合ったのもシアトル。お墓があることからもわかる通り、シアトルはブルース・リーにとってゆかりの地、そして世界のブルース・リーファンにとって”聖地”なのである。

僕はこれまでにも人生の節目にブルース・リーのお墓参りをしてきたが、ここ8年くらいはシアトルを訪れる機会が残念ながら無かった。なので、今回また訪れることが出来たのは感無量である。

今回初めて訪れたのが、レイクワシントンのほとり。ここはブルース・リーが良く瞑想していた場所としても有名なのだが、実際の場所は今も昔も変わらず、美しい湖の佇まいを保っており、ブルース・リーに思いを馳せながらレイクワシントンをしばし見つめた。

ブルース・リーが眠るLakeview Cemeteryは シアトル市内から車で10分程度。まさに名前の通り、レイクワシントンが見える美しい丘の上にある。今回桜がキレイに咲いていた。そしてこの日は最高の天気だったので、青い空に桜が映えていた。

ブルース・リーのお墓は数年前からお墓の周りが柵で囲まれ、整備されている。世界中から多くのファンが訪れる為、お墓を保護する為に整備したらしい。この日も途切れることなくファンが訪れていた。ブルース・リーのお墓の隣には、息子ブランドンのお墓がある。二人並んで美しい景色を眺めることが出来るというのは師匠にとっても最高のロケーションだろう。

僕は少しゆっくりと時間を取り、昨年転職したことなども師匠に報告。人生の節目にここを訪れると、何だかいつも気持ちが晴れてすっきりする。僕にとっての最強パワースポットなのである。

そしてお墓参りの後は、これまたお約束のシアトルチャイナタウンへ。ここもブルース・リーが学生時代に過ごしたゆかりの地が多くある。この2枚の写真は、ブルース・リーが開いた道場があった2つの建物。どちらも今はレストランになっている。

そして、ブルース・リーが良く通っていた中華料理店、Tai Tungへ。今でも当時ブルース・リーがいつも座っていたというレストランの奥の一角がそのまま保存されており、ファンにとっては人気の観光スポットになっている有名店である。店内には、リンダ夫人や娘のシャノンと店長の写真も。

そしてブルース・リーが生前良く食べていたのが、こちらのオイスターソース牛肉炒め。僕も当時のブルース・リーに思いを馳せながら同じメニューを注文。そして何故か食べていると自然に涙が出てきてしまった。こんなことは初めてである。彼が食べていた料理を噛み締めながら、同じものを食べられる喜びに浸っていたのは確かだが、まさか涙までが出るとは、とても不思議な感覚であった。

更にチャイナタウンではもう一つ行きたい場所があった。それがこちらWing Luke Museum。シアトルにおける中国人の歴史などに関する資料を展示した小さなミュージアム。その一角にブルース・リーに関する常設展示があることは前から聞いていたが、まだ行ったことが無かったので、今回は訪問をとても楽しみにしていた。

ミュージアムの入り口にはブルース・リーの大きな飛び蹴りパネルなどもあって、最初から気分が盛り上がる。

当時シアトル大学/哲学科で学んでいたブルース・リーは読書好きとしても有名だったが、彼の有名な名言の一つである『Be Water、My Friend』というタイトルの展示で、彼が影響を受けた本や、貴重な直筆の資料などを展示。映画よりも、彼の武道と哲学である截拳道の教えやモットーにフォーカスした内容。また2階にはBruce Lee: The Seattle Storyと題して、ブルース・リーがシアトルで過ごした日々を貴重な写真などで紹介するミニコーナーが設けられていた(ここは撮影禁止)。

全体的に規模は小さな展示ではあるが、常設展示としてはとても貴重なミュージアムであった。

最強のパワースポットであるお墓、ゆかりのレストラン、そしてミュージアム・・・。ブルース・リーがここシアトルに生きた証をしっかりと確認しながら巡り、久しぶりに聖地シアトルから、また大きなパワーとエネルギーを貰い、充電することが出来た今回のシアトル旅であった。


ブルース・リー、ついに中央公論にも登場!

2024-03-18 21:42:51 | ブルース・リー、アクション

あのブルース・リーが『中央公論』の4月号に約10ページの記事が掲載された。中央公論と言えば、保守的な評論や小説を取り扱う、戦前から続く総合雑誌として有名だが、僕は全く縁がなく、手にとったことはこれまで全くなかった。しかし、今回ブルース・リーの記事が載ったということで、初めて購入してみたのだ。ブルース・リーがついにこの雑誌でも取り上げられることになったのはかなり画期的なことである。

記事のタイトルは、『ブルース・リー人気が日本で衰えないわけ』と題して、ブルース・リー研究家ちゃうシンイチーと、主に中国の社会事情を取材しているジャーナリストの中島恵の対談という形式になっている。特別に僕にとって新しい情報はなかったものの、取り上げているテーマはなかなか興味深いものがあった。

今もブルース・リー人気を支えるのが思春期に映画を観た世代(僕も若干上の世代)の存在や、80年代にジャッキー・チェンが登場したことで、カンフー映画としてはブルース・リー冬の時代となったものの、やっぱりブルース・リー映画、そしてブルース・リーという存在が如何に不変であったかと改めて気づかされたことなど、かなり共感出来る内容となっている。

またアメリカで生まれ、香港で育ったブルース・リーが、如何に自分のアイデンティティと戦っていたか、中国、そして香港でのブルース・リーの捉え方など、さすが中国研究の中島さんとの対談だけあって、ユニークな切り口で語られていた。

ブルース・リーは単にアクション映画俳優ではない。アクション俳優でもあり、武道家でもあり、哲学家でもあり、そして東洋人としても、一人の表現者、アーティストとしても英雄であった。僕が昔から思っていることだが、ブルース・リーは現代史の教科書や、偉人伝に出てきてもおかしくない英雄であり、偉人だと常々思っており、まさに中央公論でのこのような取り上げられ方は、間違いなくそれを証明するものであると感じている。