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クリエイティブが大好きなのに、なぜか商社マンになってしまった私のマニアバース!

城址ツアーは続く!『川和城』と『佐江戸城』

2020-05-08 13:03:00 | 日本の城、日本の寺
近所の城址巡りもかなりこなしてきた結果、だんだんと遺構が少ない城址のレベルまで探索の範囲が広がってきた。しかし、調べるとまだまだ沢山の城址が存在することがわかった。今回紹介するのは『川和城』と『佐江戸城』。この2つの城址は、かなり近い距離に並んで創られていたようで、一気に2か所の城址を周れるのは何ともラッキーである。

1) 川和城
川和とは横浜市青葉区の市ヶ尾駅から少し港北方面に進んだエリアで、横浜市営地下鉄グリーンラインに新設された川和駅のすぐそば。実はこの川和はかなり歴史のあるエリア。その昔は江戸に続く中原街道とその他の街道(現旧上麻生道路)が近くを通る交通の要であり、多くの人が通過したことで賑わいを見せた町だったらしい。今では街道沿いはかなりの田舎だが、川和の北部は新興住宅街であり、閑静な町並みに様変わりしている。



そんな川和に、その昔川和城というお城があったらしい。やはり小机城の支城として機能していたらしいのだが、この川和のエリアはかなり小高い丘になっており、鶴見川と恩田川がちょうど合流する地域でもあって、城を築くには最高のロケーションであったに違いない。

まずは車を川和駅近くのTimes駐車場に停め、旧上麻生道路沿いを南下。途中にある妙蓮寺に立ち寄った。どうやらこの妙蓮寺の裏にある墓地と空き地が、川和城跡らしいのだ。どこまで遺構らしきものに遭遇出来るかわからないが、とりあえずきなこと行ってみることに。





妙蓮寺は雰囲気のある良いお寺であった。お地蔵さんたちはみなコロナ対策のマスクをしていた(笑)。





本堂は残念ながら改修工事中だったが、薬師堂は歴史を感じさせる創り。




そして妙蓮寺の右側にあった細い路地を登って、お寺の裏手に周ってみる。すると妙蓮寺の墓地に出た。墓地エリアとお寺の境内の間には大きな段差があったが、これも土塁の跡かもしれない。





ちょっと高台になっている墓地からの眺めは抜群。ここにお城の本丸があったのだとすると、昔お城からもこの見事な景色を見ていたのだろうか。



更に墓地を登って行くと、墓地の一角に土塁らしき遺構を発見。そしてその先には広い空き地エリアが。ここがまさに川和城の本丸跡なのだ。本丸跡にはなにやらデコボコした形状もあり、何かの遺構ではないかとも思えてくる。また、確かに城址らしき土塁跡も何箇所かに見てとれる。これは思ったより大きな収穫だった。





川和城から少し北に行くと、川和市民の森という自然公園がある。しかし、その昔はこのエリアも城の一部であったのではないだろうか。立派な貞Mエリアで現在は遊歩道なども作られ、最高に気持ちが良い散歩スャbトになっているが、城の北を守るにはとても良い環境だ。







更に北に進むと、川和富士見ヶ丘公園がある。ここにはかなり立派な富士塚があり、まるで古墳のような見事な形状。昔から、町の人々はこの富士塚から富士山を眺めて楽しんでいたのだ。




頂上に登ると、何とも絶景。川和城辺りも良く見えるし、遠くは横浜みなとみらいの高層ビル群まで見える。川和城があった頃は、この富士塚も良い見晴らしャCントであったことは間違いないだろう。





また注目すべきは、この富士見ヶ丘公園のすぐとなりには、遊歩道で繋がっている都田公園という公園もある。そしてこの公園の周辺の地名が、『二の丸』というのだ。まさに川和城の二の丸がこの辺りだったのではないかと思うし、都田公園の敷地こそが二の丸の跡なのかもしれない。あまり遺構らしきものは確認出来なかったが、地名は歴史を物語ってくれるものだ。



更に興味深いことに、この近くには月出松公園という公園もあり、何か歴史を感じさせる名前だと思っていたら、ここには古墳が残っていた。縄文・弥生時代から、この川和エリアにも人がかなり住んでいたことを物語っているのだ。



2) 佐江戸城
川和城から更に20分ほど住宅街を南に歩くと、佐江戸城がある。まずはツツジが見事な石橋の交差点が大きな目印。




この横の坂を上がって行くと、杉山神社と無量寺というお寺が並んで建っているが、この無量寺の裏手の墓地エリアが佐江戸城だったらしい。無量寺は、南港北では一番歴史のあるお寺らしく、かなり立派な創りであった。






お寺の敷地の一部(しかも墓地エリア)が昔の城址とは、まさに川和城と同じパターンである。無量寺の周辺には多くの畑エリアがあったが、この辺りも城址の一角であったらしい。





無量寺の墓地から細い路地を登ると、『御嶽三柱大神』の碑があったが、まさにこの碑が建っているエリアが本丸跡だったとのこと。



杉山神社の裏に周ると、川和城同様、ここにも土塁や堀切跡らしき地形が見て取れたが、これが恐らく遺構なのだろう。佐江戸城ではあまり遺構が確認出来るとは期待していなかっただけに、大きな収穫とあった。





佐江戸城は、猿渡氏が創ったお城と言われているが、無量寺にはこの猿渡氏のお墓がある。これも重要な史跡である。



それにしても、川和と佐江戸は共に自宅から車で20分くらいの場所だが、こんなところにも城址があったとは驚きだ。でも鶴見川沿いに建っていた小机城、獅子ヶ谷城、亀井城、三輪城、などを考えれば、川和・佐江戸エリアも川と小高い丘に囲まれ、街道沿いという絶好のロケーションであったことを考えると、城址があっても全く不思議ではない、いやむしろ好都合な場所であったわけで、すっかり納得してしまった。


まだあった城址!新横浜の『篠原城』

2020-05-05 16:15:00 | 日本の城、日本の寺
先日初訪問した『獅子ヶ谷城』に続き、またまた良い城址を発見してしまった。場所は獅子ヶ谷城、そして小机城からすぐ近く。新横浜プリンスホテルや、横浜アリーナからもすぐ近く、新横浜駅のまさにすぐ南側にあった。やはり、小机城の支城として機能していたらしい。



一般公開されていないということで、どこまで遺構が確認出来るかわからないが、少しでも周りの雰囲気が味わえればと思い、城探索の相棒であるきなこを連れて散歩に出かけたというわけだ。



新横浜駅のそばの三井リパークに車を停め、線路を南側に渡って線路沿いの細い道を進む。周囲は住宅街になっているが、その後ろには木が生い茂るこんもりした緑地エリアがあり、恐らくこれが城跡であろう。



入り口を探す前に、まずは城跡探索でお約束のお寺散策からスタート。近くに正覚院という寺院があり、きなことしばし見学。とても威厳のあるお寺だ。このお寺も篠原城の城郭の一角を担っていたと思われる。





入り口に立派な南無観世音菩薩像があったが、とても美しい顔をしていた。また近くには沢山の仏像が祀られていた。





正覚院の横の坂を上がっていくと、お寺の裏手には墓地エリアが広がり、立派な鐘もあった。その後坂をまた下りてきて元々の線路沿いの道を左に進み、お城のエリアの周囲を散策することに。



途中でお城の入り口らしき階段を見つけたが、フェンスで封鎖されており、ここからは入場出来ない。仕方ないので、更に緑地を時計周りに散策することに。



すると少し進んだところを右に曲がると更に城址に近づける位置に。住宅街駐車場の一角から、土塁らしき苧ムの斜面などを確認。






更に住宅街の細い路地を進むと、篠原城址緑地の案内版を発見!先程フェンスで閉ざされて入れなかった場所の中に入れたのだ。しかし、やはり城址の周辺はフェンスで囲われており、中には入れない。中には郭、土塁、堀などの遺構がかなり残っているらしいのだが、中に入れなくて残念であった。




調べたところ篠原城は、元々平安時代末期からこの地に金子十郎が住み、戦国時代に金子出雲が城として築いたと言われている。このことから、地元では金子城と呼ばれているらしい。2000年代に入ってから、ようやく発掘調査が進み、お城の遺構がかなり出てきたらしく、保存したいとする地域住民で『篠原城と緑を守る会』が発足したようだ。ただ、残念ながらまだ発掘調査が進んでおり、公園として整備がされていないので、一般公開されておらず、限られた日程で見学ツアーなどを実施しているらしいので、いつかぜひツアーに参加して中を見学してみたいものだ。こんなパンフレットも作成されているらしい(ネットで発見したものだ)。



また新横浜という場所柄、城址として更に整備すれば大きな地元の観光資源としても活用出来るのでは無いかという気もする。地元民はあまり賑わい過ぎるのも嫌だろうが、小机城や茅ヶ崎城並みの史跡価値のあるこの篠原城をぜひ一般公開して欲しいものである。


まだあった、近所の城跡!『獅子ヶ谷城』!

2020-05-01 16:49:00 | 日本の城、日本の寺
先日訪問した演コ城址(舊城寺)でそろそろ自宅近辺の城址は打ち止めかと思っていたが、ネットを調べていたら、また新たな城址の存在を見つけてしまった。

その城址の名は、『獅子ヶ谷城』。場所は新横浜から少し東に進んだ大倉山駅付近、トレッサ川崎というモールのすぐそばの師岡町という場所である。このエリアは古い住宅街なのだが、その住宅街の中に、少し小高い丘があり、ここに梅の丘公園という自然公園があるが、この公園こそが獅子ヶ谷城の跡なのである。



獅子ヶ谷城は江戸幕府の旗本・小田切氏の所領であり、小田切光猶が1597年から1607年にかけて居住したお城だ。そして小田切氏の江戸移住に際し、屋敷を地元の名主、横溝氏に譲った模様。

トレッサ川崎近くのTimes駐車場に車を停め、徒歩で梅の丘公園に向かう。徒歩10分くらいの距離だ。住宅街を抜けると公園の入り口が見えて来る。



アプローチから既に虎口のようなカーブを描いており、丘への登り口にも土塁らしき遺構が確認出来る。



長い階段を登って行くと開けた場所に出るが、ここが獅子ヶ谷城の本丸跡。



ここから丘の尾根に沿って小道が曲輪型に伸びており、両側に土塁や堀の跡も確認出来る。



尾根を南西に進んで行くと、永昌寺というお寺付近に出る。このお寺には少し眺めの良い高台があり、大きな平和観音像が建っていた。






そしてお寺側の道から獅子ヶ谷城を臨むと、また如何にも土塁のような地形も確認出来る。



そして南側の道を進むと獅子ヶ谷城の麓に『みその公園 横溝屋敷』という形で、江戸時代末期の屋敷が現存しており、5棟からなる建物が敷地内に建っており、市の指定文化財として一般公開されている。この横溝屋敷が、まさに獅子ヶ谷城を小田切氏より譲り受けた横溝氏の屋敷である。しかし、江戸時代の御屋敷が、多少修復されているとはいえ、こんなに見事な状態で保存されているとは、なんとも素晴らしい史跡である。





屋敷前には田んぼも広がっており、お城の根小屋として多くの武家屋敷などが周辺にあったと思われる。



敷地内の5棟は見事で、主屋の茅葺屋根もかなり美しい。ちょうどこどもの日前でもあり、大きな鯉のぼりが気持ち良さそうに泳いでいた。







獅子ヶ谷城址の存在と、その麓の史跡、横溝屋敷も相まって、歴史散歩を満喫出来る良いエリアであった。まだまだこのような素敵な場所が残っていたとは、近所の歴史遺産も捨てたものでは無い。


城跡 x お寺の見事な史跡!『榎下城』

2020-04-29 15:15:00 | 日本の城、日本の寺
先日、小澤城址を訪れ、家の近所の城跡は殆ど制覇したと思っていたが、調べると、なんとまだ凄い史跡があることを発見してしまった。



横浜線の中山駅からすぐ近く、横浜市緑区に『榎下城址』という城跡があったのだ。しかも、なんとこの城跡、現在は舊城寺 (舊=旧の古漢字)というお寺になっているが、昔はお城だったというのだ。お寺の名前も旧城寺(きゅうじょうじ)というのがなんともわかりやすい。



室町時代に造られた榎下城は、山田右京之進という武士の居城であった。後北条氏の時代になって、地理的にも近い小机城の支城となった。その後小田原城開城の時に廃城となった模様で、跡地に1603年頃、舊城寺(旧城寺)が建てられた。

最近、城跡意外にも寺巡りも行っていたが、まさにここは城跡とお寺を両方いっぺんに観賞出来る、一石二鳥の史跡であり、僕の好みにぴったりである。

中山駅からは徒歩15分ほど。舊城寺のすぐ近くにちょうど良いTimesの有料駐車場があり、車で訪問するにはとても便利。



駐車場から徒歩2分くらいのところに舊城寺の入り口がある。細い路地の参道を抜けると、趣のある山門が迎えてくれる。



境内に入ると、すぐ右側には何とも立派なカヤの木が。ここの寺林は神奈川県指定天然記念物となっていた。そしてその下には榎下城の説明看板が2つ。一つは昭和48年に書かれた古いものと、もう一つは新しいもの。





まずはお寺を拝見したが、目に付くのは真っ赤な屋根の本堂、そしてこじんまりとした薬師堂。とても歴史を感じられ、趣のある良いお寺である。





そして、お寺の裏手には墓地があるが、一段高くなっているところにも墓地が広がっている。これは土塁の跡で、この上段の墓地エリアが本丸跡らしい。確かに城跡らしい雰囲気がプンプンしている。




本丸跡に向かうと、奥にはこれまた雰囲気のある弓道場があった。



そして弓道場の隣に細い道があり、進んで行くと城を建てた山田右京之進の碑が建っていた。地味ではあるが、実はかなり貴重な中世城郭の史跡としてとても興味深い。




舊城寺を一通り観賞した後、お寺の裏口から出て敷地の周りを観察。境内は一段高くなっており、周りはいかにも土塁らしき遺構が満載。城跡に建てられたのが大変良くわかる。






そして裏側には見事な苔で覆われた母屋があり、お寺の方の住まいらしいので勝手に入って良い場所かどうかわからなかったが、入り口を少し観賞させて頂いた。




東側には小さな公園があったが、ここもお城の箱堀跡らしい。




それにしても、こんなに素晴らしい遺構が残る城跡、そしてお寺が比較的家の近くにまだ存在していたというのは嬉しい発見であった。城跡としても、お寺としてもかなり楽しめる良い史跡であった。


『枡形山城』と『亀井城』周辺、いぶし銀のお寺!

2020-04-27 14:05:00 | 日本の城、日本の寺
いつもきなこと散歩している生田緑地は、神奈川県でも有数の自然豊かな公園として整備されており、その広大な敷地の中に、岡本太郎記念館、藤子不二雄Fミュージアム、プラネタリウム、古民家園なども備えた一大レジャースャbトとしても有名だ。多くの遊歩道もあり、手付かずの深い自然を満喫するにも最高の場所である。

この生田緑地は、昔枡形山城というお城が建っていた場所であることは以前紹介した通りだ。小澤城と同じく、立地的に多摩川も近く、小高い枡形山は自然の要塞としては最適であったと思われる。

そしてこれまた以前ブログで取り上げた徳川家に所縁の深い『亀井城址』も、史跡価値の高いエリアである。

こんな2つの重要な城跡の近くには必ず良いお寺がある筈!と思い、チェックしてみたところ、やはり狙い通り素晴らしいお寺を2軒発見した。

1) 広福寺 (枡形山城周辺)
枡形山城の北側の麓に位置する広福寺(こうふくじ)。834年から848年頃に建立された歴史のあるお寺。

広福寺へのアプローチは、まず生田緑地をいつも訪れる時に利用する駐車場に車を停め、専修大学キャンパスの横の坂を下り、枡形山城の北側に下って行くと、徒歩15分くらいで到着する距離。ちょうど良い散歩コースだが、帰りは上り坂がちょっときつい。




広福寺の入り口に安置されている重要文化財の説明看板があった。拝見することは出来なかったが、本堂には安土・桃山時代作と言われる木造の聖観音立像と木造地蔵菩薩立像が安置されている。神奈川県で五智如来が揃って残っているのは珍しいようだ。




このお寺もかなり趣のある良い薬師堂が建っていた。






小澤城のブログでも書いたが、広福寺境内は、小澤城から枡形山城に晩年移動した源頼朝の有力御家人の一人、稲毛重成の館跡とも言われている。そして境内には稲毛重成のお墓もあった。とても歴史と史跡価値の高いお寺である。



2) 浄慶寺 (亀井城周辺)
柿生にも近い亀井城址。このエリアも小高い場所になっており、鶴見川を挟んで三輪城があったわけだが、新興住宅街が多い横浜青葉区、川崎麻生区地域の中にあって、古い街並みがまだ残る場所でもある。そしてその亀井城址から比較的近い丘の上に、浄慶寺という面白いお寺を発見した。



お寺の周辺はおっ越し山ふれあいの森という自然公園になっており、とても良い遊歩道がある。柿生駅の近くの駐車場に車を停め、緩い坂道を登り、途中にあるおっ越し山ふれあいの森入り口からお寺に向かう。



月読神社方面と、浄慶寺方面に別れる場所があるが、月読神社とは、まさに亀井城の本丸跡に建つ神社である。



浄慶寺は鬱蒼とした深い自然に囲まれたお寺だ。門をくぐり左側に進むと本堂があるのだが、境内にはたくさんの羅漢像が点在しているのだが、この羅漢像がかなりコミカルで面白い。近年になって出来たものだと思うが(笑)、パソコンをやっているものや、携帯電話で話すものもあり、とてもユニークだ。しかし、そんな真新しさは無く、苔も良い具合に生えていて、境内の雰囲気に溶け込んでいるのが凄い。



本堂の右手にある鳥居をくぐり、階段を上がって行くと薬師堂があるのだが、ここはまた静寂のある良い雰囲気。このお寺、実は徳川家康の実母の菩提寺である東京小石川の尼寺”傳通院”から代々尼僧が派遣され、このお寺を守ってきたらしい。




それにしても、見事な梅雨の季節には境内いっぱいにアジサイが咲き乱れるらしく、また梅雨の頃に訪れてみたい。

最後に、柿生駅の駐車場近くに、先日王禅寺のブログで紹介した”禅寺丸柿”の和菓子を販売する”禅寺丸本舗”というお店を発見。ここの名物、禅寺丸最中を記念に購入したが、地元の銘菓も、歴史を知るとまた違った味わいで感じられるから面白いものである。