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クリエイティブが大好きなのに、なぜか商社マンになってしまった私のマニアバース!

ついに武蔵の城址、小澤城へ初登頂!

2020-04-26 21:59:00 | 日本の城、日本の寺
城マニアにも関わらず、最近お寺巡りに明け暮れていたが、まだ攻略出来ていなかった念願の城址に週末挑戦した。

これまで比較的近所の城址を多く散策してきた。茅ヶ崎城址、小机城址、枡形山城址、亀井城址、沢山(三輪)城址、深見城址、成瀬城址、荏田城址・・・。近所である武蔵の国にも、その昔かなり数多くの城が築かれており、城址マニアには見所満載である。

そして、近所でまだ訪問出来ていなかった武蔵地区最後の大物城址、小澤城址を今回ついに訪れた。



小澤城址は、よみうりランドの上の小高い多摩丘陵に存在する。このエリアを地図で俯瞰して見ると、その昔浅間山という、この辺りでは一番小高い山があり、そして山の麓には三沢川、近くには多摩川が流れており、遠くの敵を監視し、周囲に睨みを効かせつつ、川を使った天然の要塞として築くにはちょうど良い立地の山城であったと想像される。多摩川の下流には枡形山城があり、鶴見川の西方面には、亀井城、沢山城もあり、地域で連携しながら守りを固めていたと思われる。



小澤城は小澤郷を領地とした稲毛三郎重成の城であり、妻は源頼朝の妻政子の妹であり、頼朝の重臣として信頼を受けていた人物。晩年この城を長男の小澤小太郎重政に譲り、自分は枡形山城に移ったと言われている。

そんな小澤城だが、現在は小澤城址多摩自然遊歩道として、自然公園のように整備されており、その遺構を見に行くことが出来る。場所は京王線よみうりランド駅からすぐ南。自宅からは百合が丘駅を抜けて世田谷通りに出て、そこから車でよみうりランドへ向かうコース。車で片道20分ほどなので、港北に行くのと時間的にはあまり変わらないか。



城址へのアプローチは、まず京王よみうりランド駅そばの駐車場に車を停め、徒歩でジャイアンツVロードという坂を上がっていく。ここは駅からジャイアンツ球場への続く道で、歩道にはジャイアンツ選手の手形プレートが埋められている。僕の好きな原監督、坂本選手、阿部現二軍監督、往年の名プレイヤー篠塚、高橋由伸前監督などの手形を観賞。



ジャイアンツVロードの途中に穴澤天神社という神社への入り口がある。



なんとこの神社、創建423年というから、かなり歴史のある神社。



また神社直下の崖下には東京の名湧水57選に選ばれている湧水が湧き出ており、地元民が汲みにくるらしいのだ。



そして、全く目立たないのだが、この穴澤天神社から小澤城址に登る小さな入り口があるが、いきなり結構険しい。



ここをきなこと何とか登って行くと、途中から城跡らしき遺構が満載でテンションが上がる。空堀や堀切らしきが盛りだくさんなのだ。





そして暫く山道を登ると、少し開けた場所に出るが、ここが城の本丸的な場所だろう。小澤城址の碑が建っており、眺めながらきなことしばし当時に思いを馳せる。





ここから東に進むと、浅間山の山頂まで道が続くが、途中に遺構が満載。土塁や空堀などが至るところにあり、城址としてはかなり質の良い状態で遺構が残っているのは素晴らしい。



昔使われていた古井戸の跡もあり、かなり興味深い。



少し進むと、小澤峰と呼ばれる物見台があり、昔はここから遠く江戸から秩父方面まで広く見渡せたという。





そして浅間山の山頂へ。小澤城は、高さ90mのこの浅間山、先程通過した小澤峰、八州台という3つの峰を中心に構成されていた城であり、地元では一般に“天神山”と呼ばれ親しまれていたようだ。



平場なども結構あるが、武士の居館などがあったらしい。



この小澤城、幾つも散策コースがあり、軽めのハイキングにはちょうど良いコースとなっている。入り口も全部で4か所からアプローチ出来るようになっており、帰りはジャイアンツ球場の脇から出てきた。




今回、念願であった小澤城址をついに攻略したが、手付かずの自然な状態で遺構も多く保存されており、城址としては小机城址にも匹敵する見事な城址であった。このエリアを管理・整備・保存している多摩地区の皆さんの努力には本当に一城マニアとして感謝したいし、歴史的な城址の遺構を後世に残すのはやはりとても尊い仕事である。


小机城周辺の寺院を探索!

2020-04-24 19:42:00 | 日本の城、日本の寺
先日、茅ヶ崎城址と近くにある素敵なお寺の正覚寺を紹介したが、今回は小机城址とその周辺でまたまた素敵お寺を2つ見つけたので紹介したい。



お城の城下町には、必ずお寺は複数存在していたし、時にお城の防御を固める上でも重要な役割を果たしていた。また、お寺は城下町に住む町民の心の拠り所でもあり、町民の様々な行事を司る場所でもあった。お城とお寺は、とても密接な関係性にあったのである。



最近、コロナ感染拡大で3密を避ける為、きなこの散歩も出来るだけ自然が豊かで、人も少なく、空気が美味しい田舎を訪れるようにしているし、時間的にも人が特に少ない早朝を狙って出鰍ッているので、他人と接する機会も極めて少なくなっている。しかし、そんな中でもお城好きが高じて、今度は近所の仏閣巡りがちょうど良い趣味になってしまったが、やはり城跡の近くには必ず良いお寺がある筈と思い立ち、近所で当たりを付けながら巡っているのだ。

先日紹介した港北ニュータウンの正覚寺も、茅ヶ崎城址のすぐそばにあった立派なお寺だったが、小机城址の近くにもきっとある筈と探していたら、とても良いお寺を2つ発見したというわけだ。



小机は、JR横浜線が走る古い小さな町ながら、近くには日産スタジアムが建設され、再開発が進んだ新横浜にも近く、日産スタジアムに抜ける駅の北側は畑であったところが、かなり整備されている。しかし、駅の南側は、まだ古い商店街や街並みが残っており、昔の趣を楽しめるエリアがありそうだ。



小机は、小机城の城下町としてその昔はかなり栄えたのかもしれず、多少商店街にその面影を留めるものの、基本的に今は田舎町という印象ではある。小机駅には小机城址の案内看板もあり、“第28回 小机城址まつり”が今月26日に開催される予定であったが、残念ながらコロナの影響で中止になってしまったようだ。




小机城址は『続日本100名城』に見事選定されたが、そのお祝い看板なども地味に駅前に掲げられていた。



1) 雲松院
まず最初のお目当ては、小机駅前にある雲松院(うんしょういん)というお寺。小机城の城主であった北条家の家老、笠原越前守信為が主君の北条早雲と父の能登守信隆の菩提を弔う為、1525年頃に建立した、曹洞宗の寺院である。また、この地に竜見山という山があり、そこに竜池といって竜が住むという池があったとの伝説もあり、霊地として住民の信仰を集めていた為ここに建立し、臥龍山 雲松院という山名になった。




小机駅から街道を挟んで向かい側からすぐ参道の入り口がある。細い路地となっている参道を進んで行くと、雲松院の門が見えてくる。入り口には雲松院の説明パネルも設置されていた。





門を抜けると、かなり立派な本堂があり、また境内には鐘楼や小さな池を囲んで、小さいながらも美しい庭園が広がっていた。とても趣のある良い境内だ。やはり小さくとも、境内に池や水辺があるのは自分的にはャCントが高い。






雲松院自体が小さな山に囲まれた立地であり、とても神聖な雰囲気を醸し出していた。



裏には墓地エリアが広がっていたが、そこに犬と猫の像があるとても可愛い犬猫のお墓を発見したので、きなことお参り。



この雲松院を調べてみると、実はあの有名俳優、内野聖陽のご実家らしい。実家のお寺を継がず、俳優の道を目指したわけだが、何とも立派で、歴史のあるご実家である。



小机城址は神奈川県に数ある天守閣などが残らない“城跡”の中では、かなり遺構も多く、歴史価値の高い城跡として有名な城跡だ。また今回初訪問した雲松院も歴史のある、かなり美しい寺院であり、もっと多くの人に知って貰いたい場所だ。その意味では小机の町は雲松院と小机城址を観光資源として、今後も更に町が盛り上がることを期待したい。

2) 西方寺
続いて、小机から若干離れるが、横浜市営地下鉄の新羽駅の近くにある西方寺という真言宗のお寺を訪れた。車で移動すれば、小机から10分もかからない距離だ。このお寺、実は800年前に鎌倉で創建され、その後およそ500年前にこの新羽の地に移ってきたお寺らしい。



まず入り口に広い駐車場もあり、車で訪れやすいお寺である。参道は緑豊かでアプローチに独特な趣のあるお寺である。





そして本堂は見事な茅葺き屋根で出来ており、とても歴史的価値の高い本堂だと言える。






拝見することは出来なかったが、こちらには平安時代に作られたという重要文化財となる木造十一面観音菩薩像が祀られている。



やはり、“城跡のあるところに良い寺あり“。小机城址の近くにも素晴らしいお寺が幾つも存在していたことを、コロナをきっかけに知ることが出来たというのもかなり複雑な心境ではあるが、あまり外出して楽しむのが難しい今の環境の中で、ささやかな収穫となった。

次は、家から一番近い城跡である、枡形山城址と、亀山城址周辺で見つけた、燻し銀のお寺を紹介したい。


港北で発見した美しい正覚寺 & 茅ヶ崎城址公園へ!

2020-04-21 18:34:00 | 日本の城、日本の寺
最近、近所の仏閣名所をきなこと一緒に攻めているが、先日訪れた王禅寺に続いて、今回は港北ニュータウンにある正覚寺というお寺を訪れた。ネットで調べていたら、このお寺も梅雨のシーズンはアジサイ寺として有名で、とても風情のある良いお寺だとの評判だった為、一度訪れてみることにした。

場所は港北ニュータウンの横浜市営地下鉄/センター南駅から徒歩10分。周囲は閑静な住宅街だが、正覚寺の一角だけ、豊な自然に囲まれていた。まずはその入り口となる山門の門構えから、既にお寺としての風格が漂ってくる。



一歩中に入ると少し暗い落ち着いた空間の中で、右手に七地蔵が迎えてくれ、美しい苔をまとった苧ムなどもあって、何とも荘厳な雰囲気に包まれている。早くもこのお寺が気に入ってしまった。




そして参道を進んで行くと、右手には美しい池を配した日本庭園が有り、とても良く手入れをされている。





その奥にはなかなか立派な本堂が建っていた。正覚寺は浄土宗のお寺で、1428年頃に建立された、歴史のあるお寺らしい。何度か再建している模様だが、江戸時代中期には末寺7か所擁していたようで、地域ではかなりの規模感を誇っていたようだ。






そしてその先には、この地域のお寺では珍しく立派な鐘楼が建っており、とても美しい庭を前に良く映える。



アジサイや菖蒲は5月末くらいにこのお寺でも咲き乱れるらしいので、その頃にまた来てみたいと思ったが、普段の状態でも充分に美しい庭や境内であった。そんなに広いお寺では無いものの、美しくコンパクトに纏まった正覚寺は、住宅街に囲まれたお寺とは思えない静寂に包まれており、素晴らしい環境であった。



そして、正覚寺を訪れたら、ついでにぜひ訪れたいのが、茅ヶ崎城址公園。正覚寺のすぐ隣にある小高い丘が昔茅ヶ崎城という小机城の支城だったが、今は城址公園として整備されている。





2015年にお城関連のブログで紹介したが、茅ヶ崎城は1021年頃に建てられたお城なのだが、なんと長い間発掘調査もされず残っていた場所を、2008年に公園として整備して一般公開されたという珍しい遺構なのである。この整備のおかげで、公園ならではの気軽さで立ち寄ることが出来るようになったにも関わらず、土塁や土橋、郭などの貴重な遺構などもしっかり残っており、親切に案内看板なども建てられたことで、誰でも身近で城跡観賞をすることが出来る貴重な遺構なのである。






今回、4年ぶりにまたきなこと茅ヶ崎城を訪れたが、やっぱりここは気軽に見れる城跡としてはとても素晴らしい。特に土塁や空堀跡などがとても良く整備されて残されており、城マニアにはなかなかたまらない公園である。






最後にセンター南駅方面に向かって歴博通りを歩いていたら、ャmャmCaféという可愛らしいカフェ x 美容サロンを見つけた。美容室とカフェが併設されているのだが、カフェスペースがとても可愛いのだ。今コロナの関係でカフェ自体はやっていなかったが、入り口にはtake out用のカウンターがあったので、アイスカフェラテを購入して持ち帰った。





正覚寺から茅ヶ崎城址、そして最後にャmャmCaféに立ち寄って帰るという、新たな黄金散歩パターンが誕生した。またアジサイが美しいシーズンに、きなこを連れて訪れたいと思う (その頃にはコロナもかなり落ち着いていることを切に願うが)。


東の高野山、“星宿山 王禅寺”!

2020-04-17 20:08:00 | 日本の城、日本の寺
我が家の近くに王禅寺というお寺がある。この王禅寺の周辺は、川崎市麻生区王禅寺という地名になっており、普段から良くきなこの散歩で訪れる“王禅寺ふるさと公園”という立派な公園もあるエリアだ。以前ブログで取り上げた亀井城跡も、まさに王禅寺の近くであり、また初詣に毎年訪れる琴平神社も王禅寺の近くなのだ。



しかし、これだけ普段から頻繁に王禅寺周辺に行っていたにも関わらず、肝心な王禅寺そのものには一度も足を踏み入れたことが無かった。コロナで遠出が出来ないこともあり、最近は近所の仏閣巡りをしていて、ふと王禅寺に行ってないということを思い出したので、今回ついに行って見ることにした。



王禅寺の正式な名称は、星宿山王禅寺。星の宿る山なんて、素敵な名称である。真言宗のお寺であり、917年に高野山の三世無空上人が、醍醐天皇から王禅寺の寺号を与えられて建立されたらしいので、相当な歴史がある。こんな凄い経緯から、王禅寺は『東の高野山』とも呼ばれ、なんと徳川家の歴代将軍に葵の御紋の使用を与えられている由緒正しきお寺なのである。



王禅寺は自宅から車で10分くらいの場所にあり、今回もいつも利用している王禅寺ふるさと公園前のTimes駐車場で車を停めて、そこから徒歩で向かう。実はいつも散歩していた王禅寺ふるさと公園内からも王禅寺に行ける道があったのだ。今回初めて知ってしまった(笑)。今までなんで気が付かなかったのだろうか。




初めて足を踏み入れた王禅寺は、とても豊かな大自然が目の前に広がっており、この静寂が何とも言えず心地良い。しかし考えてみれば、今でこそ王禅寺エリアの周りには住宅街が広がっているが、昔王禅寺の周りは本当に何も無い農村地帯であっただろう。たくさんの丘や山などもあり、手付かずの大自然が地域全体を覆っていた筈である。僕が今住んでいるエリアも恐らく何も無い場所であった。そんな山の中にあった王禅寺は、まさに“東の高野山”と呼ぶに相応しい“秘境”のような場所であったことが容易に想像出来る。そしてそんな片鱗を今に残すのが、この王禅寺周辺の豊かな自然である。



王禅寺ふるさと公園の反対側となる、西門からのエントランスは、また趣があって良い。とても長い参道は、京都のお寺のような荘厳さもあり、実に美しい。




途中左側に小さな池があったが、たくさんの亀が気持ち良く泳いでいた。まさに神聖なる亀たちかもしれない。人が立ち止まると餌をくれるのかと勘違いして、岸まで泳いで寄ってくるからかなり可愛い。




長い参道を抜け、正面の階段を上がると、赤い仁王像が2体睨みを効かせている山門が出迎えてくれる。歴史を感じさせる創りである。






そして山門を抜けて更に階段を登って行くと、御朱印を頂ける社が出現。とても凛とした、神聖な空気が漂っていて実に清々しい。





次はいよいよ王禅寺のメインとなる本堂へと向かうが、まずは入り口にお約束の六地蔵がお出迎え。そして隣には建立の無空上人と記載された石碑が建っていた。




その先を進むと、臨水山と書かれた薬師如来堂が建っていた。ここには、かつて寺家の東円寺にあった薬師如来像が祀られているらしいが、興味を持ったので調べてみたら、東円寺は今無く、王禅寺に統合されたらしいのだ。



境内には何とも良く手入れされた美しい庭もあって、まさに京都や鎌倉のお寺にでも来たかのような、とても素敵な空間が広がる。



そして正面にはなんとも荘厳で立派な本堂が現れる。ここの賽銭箱にも葵の御紋が記されていた。




本堂の庭には、有名な柿の木が。実はこの王禅寺の柿の木は、“禅寺丸柿”という日本最古の甘柿の品種の原木があり、文化庁の登録記念物として登録されている、何とも貴重な柿の木を拝むことが出来るのだ。また、小田急線の柿生駅は、まさにこの禅寺丸柿の発祥から、“柿が生まれた町”ということで地名になったというから、その経緯は興味深い。この柿の木を拝むだけでも価値のあるお寺である。あの北原白秋も禅寺丸柿を歌に詠んだらしく、石碑が建てられていた。





なんと、禅寺丸柿のゆるキャラ、かきまるくんも存在することが分かった。柿生駅あたりではこのゆるキャラを見かけるらしい。



色々とこれまで近所の仏閣を見てみたが、王禅寺がそのスケール感、荘厳さからこの地域ではNo.1のお寺であると思う。気軽に来れるところも含め、すっかり王禅寺を気に入ってしまった。京都や鎌倉のお寺のような荘厳さがありながらも、全く観光地化されていないのがまた良いのだ。

お城好きの僕としては、お城はまた別格ではあるものの、仏閣もお城に匹敵する面白さと歴史的な面白さがある。これから仏閣も含めた歴史散策に益々ハマりそうで浮「(笑)。


横浜と川崎の境目:地元のお寺をきなこと散策!

2020-04-15 15:11:00 | 日本の城、日本の寺
コロナ感染の拡大で人混みを避けるべきこのご時世、きなこの散歩ではなるべく人の少ない“田舎”をのんびりと散歩するようにしている。元々は街歩きと田舎散策を交互に織り混ぜながら朝夕の散歩ローテーションを組んでいたが、コロナ感染が拡大してからはなるべく田舎散策を中心に散歩に出かけている。在宅勤務体制で通勤もなくなり、運動不足も否めない中、ゆっくりと田舎散策もなかなか良いものだ。


(今回散策した地元コースと同じマップをネットで見つけたので借用)

そんな中、最近比較的家の近所(車で10分くらい)の早野(川崎市麻生区)というエリアを散策しているのだが、ここはきなこの散歩にはちょうと良い場所だ。横浜市鉄町(くろがねちょう)という、実家にも近く、広大な敷地の桐蔭学園のすぐ隣にある小さなローカルタウンなのだが、ちょうど横浜市と川崎市の境目にあるこのエリアは、まだ手付かずの自然がかなり残っている貴重なエリアでもある。



ここに早野聖地公園という大きな墓地があるのだが、墓地と言っても公園のように整備されており、一般の人も自由に公園として利用することが可能。木々も多く自然環境が豊かであり、入り口には大きな池などの水辺もあるのが良い。またトイレや休憩所、ベンチなども完備されていて、犬の散歩にもってこいの場所なのだ。ワンちゃんを散歩させている人も結構見かけるが、そんなに混雑するような場所では無いので、最近のお気に入り散歩エリアとなっている。



そしてこの早野聖地公園のすぐそばには、2つの古いお寺がある。僕は大の城好きだが、特に仏閣マニアというわけでは無い。しかし、お城とお寺はその歴史的な価値という意味で共通している魅力もあり、また全国各地、お城、城下町のあるところには必ず要となる重要なお寺や神社が付きもので、人々の暮らしに密接な関係があるのだ。近所の城跡も大体主要なところは周ってしまったこともあり、最近はついに近所のお寺にも興味を持つまでになってしまった(笑)。そういう目で探すと、家の近所にも結構大小様々なお寺や神社が存在するものだ。もちろん、奈良、京都、鎌倉のような観光スャbトとしての華々しい仏閣が近所にあるわけでは無いのだが、どんな地味な仏閣でも、今も残って整備されているものにはそれなりの歴史が刻まれており、少しその歴史に着目してみるのも意外に面白いものだ。

前置きがかなり長くなったが、早野にある2つのお寺とは、戒翁寺 (かいおうじ)と宋英寺(そうえいじ)。戒翁寺から宋英寺に抜ける散歩コースの間で見つけた、幾つかの注目スャbトを今回御紹介したい。



1) 戒翁寺と殿様の墓
戒翁寺は、早野聖地公園から徒歩10分ほどの立地。曹洞宗のお寺で、当地の地頭であった富永主膳正源光吉という者が1647年に建立した歴史のあるお寺らしい。入り口には六地蔵さま馬頭観音が祀られており、小さいながらとても雰囲気のある良いお寺だ。





そしてこのお寺の魅力の一つに、“殿様の墓”という地元民には有名らしい観光スャbトがすぐ近くにあるというので行ってみた。ここは戒翁寺から1-2分離れた場所で、貞Mの中に少しこんもりとしたい丘の上に、石造五輪塔が4基建っている。どうやらこのお墓は、戦国時代に北条氏に仕えた富永重吉とその一族の墓らしく、地元の“殿様”のお墓として祀られている。まさに戒翁寺建立の富永一族のことであろう。






戒翁寺の裏手には、広大な広場が突然出没する。この手つかずの原っぱは一瞬まるでどこかの草原に来たかのようで、草むらから小さな草食恐竜でも出てきそうな雰囲気だ。ここから奥には“尊氏道・鎌倉古道”と呼ばれる古い古道があり、今でも自然の状態で残されているのが凄い。




2) 秋田犬ャ`の墓
戒翁寺を後にして、細いあぜ道を南に進んで宋英寺方面に向かう。途中、戒翁寺の裏手に“秋田犬ャ`の墓”という立派なお墓が道端に建っていた。このャ`の墓は昭和31年4月14日建立と書かれていたが、なんとこの墓を訪れたのがちょうど4月14日!この偶然は何か不思議なご縁を感じてしまった。



ネットで調べていると、やはりこのャ`の墓を紹介しているものが幾つかあり、そして秋田犬にまつわる悲しいエピソードが書かれていた。秋田犬の寿命は10-15年くらいが平均的らしいが、このお墓が建てられた1952年にャ`が亡くなったのだとすると、まさに1940年代第二次世界大戦の真っただ中に産まれ育った秋田犬ということになる。しかし、秋田犬をウィキペディアで調べると、戦中は受難の時代だったようだ。食糧不足の当時、大型犬を飼って餌を与えるだけで国賊呼ばわりされてしまう時代。犬を手放し、野良犬となって死んでいった大型犬が多かったようだ。また生き延びたとしても子供が産まれず、栄養失調で上手く育たず、育ってもジステンバーなどの病気にかかって死んで行き、血統の正しい秋田犬は絶滅寸前まで行っていたのだ。




そんな過酷な時代に生き抜いたャ`は、当時数少ない秋田犬の一頭であった可能性は高い。そして、こんな立派なお墓まで建てて貰ったャ`は、飼い主にとても愛されていたに違いないのだ。富永一族がもしかしたら飼っていたのかもしれないが、詳細は不明である。そんなエピソードに思いを馳せながら、この墓が建てられた命日とも呼べる4月4日にたまたまお墓を訪れたことが更に特別なことのように思えてしまい、きなこと二人でャ`にお参りして、平和の祈りをあげた。



3) 鉄火松の石碑
梨園などの横をすり抜けながら更に進んで行くと、宋英寺の裏手に出る。




そしてこの途中に、なんとも地味にひっそりと建っていたのが、“鉄火松伝説の石碑”。これは昔、地元早野村と鉄村が土地争いでもめて、決着を付ける為お役人の前で真っ赤に熱した鉄棒を長い間握れる方が勝ちとすることになり、結果、早野の村民が長く握り勝利したというのだ。境界線の目印に当時植えられていた大きな松が、いつの頃からか“鉄火松”と呼ばれるようになったらしいのだが、昭和22年にこの松が枯れてしまい、言い伝えを残す為に、この場所に石碑が建てられたとのこと。梨園の外側ににひっそり建つその石碑は、見逃してしまうほど地味なのだが、ここにも地元の歴史がしっかり刻まれていると思うと、なんとも感慨深い。



4) 宋英寺と萬助力石
そしてついに宋英寺へ。このお寺の正式名称は一抽山宋英寺で、戒翁寺と同じく曹洞宗のお寺で、当時地頭であった加藤権右衛門景正が1617年に建立したお寺のようだ。早野にある戒翁寺と、鉄町にある宋英寺は距離がとても近いが、ちょうど両寺院の間にあった先程の鉄火松のエピソードによると、この2つのお寺も対立していた時代があったのかもしれず、また、今ではお互いに横浜と川崎という形で市が別れている境目となっているのも、歴史的な観点で興味深い。

宋英寺にも戒翁寺と同じように入り口に六地蔵とくろがね地蔵尊があった。境内の一角には石造庚申憧(せきぞうこうしんどう)という有形文化財もあり、また庭には十六羅漢さまの石像なども飾られていたが、境内全体がとても美しく整備されていた。







宋英寺には少し離れた別棟として鎮守堂があり、その前に“萬助力石”という大きな石が祀られている。昔、地元に力持ちで力萬助と称された村谷萬助なる人物がおり、江戸往還の途に、多摩川河畔から五里の道中を一人肩にこの大きな石を背負って鎮守堂に奉納したらしく、これを称え、萬助の祖先が建てた碑であることが書かれていた。実に興味深いエピソードである。





最後に宋英寺から歩くこと10分、旧道に出たところにいつもきなこと立ち寄るプロローグプレジールというパン屋さんがある。自宅のたまプラーザに本店のある有名なパン屋さんの姉妹店なのだが、こちらのお店の方が店内にカフェスペースもあり、外のデッキテラスも広く、きなことゆっくり寛ぐには最適なのだ。散策のシメは、このプロローグのテラスできなことまったりティータイムを楽しむのが最高に幸せなひと時なのである。



地元の歴史散策に付き合ってくれる(ある意味強制的だが(笑))、きなこという最高の相棒がいて、僕は本当に幸せである。