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クリエイティブが大好きなのに、なぜか商社マンになってしまった私のマニアバース!

更に見つけてしまった近所の城跡、『有馬城』!

2021-02-27 16:34:00 | 日本の城、日本の寺
近所の城跡を色々と探している中で、まだ行ってない近所の城跡をまた一つ見つけてしまった。それは『有馬城』という城跡で、なんと自宅から相当近い東急田園都市線/鷺沼駅から徒歩10分くらいの場所にある城跡である。

早速、またきなこと一緒に散歩がてら行ってみることに。鷺沼駅近くの駐車場に車を停め、鷺沼駅ロータリーから出発。鷺沼駅はちょうど丘の上にある駅で、南北に下り坂となっている。




駅から南方面に下って行くと、約10分くらいで『有馬城』エリアに到着。このエリアは少し小高い丘になっており、有馬川という小さな鶴見川の支流があるのだが、その昔はこの有馬川も大きな川だった可能性があるし、大山街道が見渡せた場所だったらしい。





現在“せど梨園”という広いエリアの梨園があるが、まさにこの梨園こそが『有馬城』のあった場所らしい。またせどとは井戸・水源を意味する言葉らしいので、歴史が地名に刻まれて残されている。遺構らしきエリアはかなり少ないが、このせど梨園の両側にせり立つ斜面は有馬城の面影を見ることが出来る。ブラタモリをいつも見ているせいか、地理を見ているだけで色々と想像が出来るようになってしまった。







西側には有馬城に関する内容が記載された看板を発見。



有馬城の近くには、結構古い家屋が残っている。鷺沼エリアは新興住宅街として有名だが、この有馬城エリアにはかなり古い家が残されているというのはとても面白いし、家の近所にも歴史を感じられるスャbトが残っているのも素晴らしい。



城跡の近くには、神社やお寺が残されていることが多いが、例に漏れず、有馬城の近くにも神明神社と福王寺があった。まずは神明神社を訪れたが、きなこと一緒に長い階段を登ると、比較的立派な境内があった。この神明神社の裏側の道は神明坂と呼ばれているようだ。







そして有馬城の西側には、福王寺がある。このお寺もなかなか立派で、裏側の道も土塁のような跡が見受けられる。昔はこの神明神社と福王寺も含めて、有馬城エリアを形成していたのだろう。また色々と妄想すると結構楽しいものだ。






田園都市線沿いの街は、すっかり開拓されて新しい街になっているが、昔から家屋や旧道などの面影が僅かに残っているエリアもあり、歴史を感じさせてくれる。城跡の醍醐味も、僅かに残されている遺構などを確認しながら、色々と妄想を膨らませて、その歴史に思いを馳せることが出来るところにある。自宅近くは、多摩川と鶴見川に挟まれているエリアでもあり、また鎌倉街道や大山街道などの旧道も通っていたエリアでもあり、江戸に向かう通過点、そして鎌倉時代から防衛ラインとして多くのお城がこの地域に築かれたのである。



まだまだあった!近所の城跡、『小野路城』!

2021-02-26 20:34:00 | 日本の城、日本の寺
つい先日訪れ、ブログにも取り上げた『作延城址』で、近所のお城はさすがに打ち止めかと思ったが、まだあることが発覚。それは、小田急多摩センターから少し南にある、小山田緑地という広い自然公園の隣にある『小野路城址』。住所は東京都町田市。早速きなこと一緒に車で向かったが、自宅から小田急線鶴川駅を過ぎて、鎌倉街道と芝溝街道を走ること約40分。距離的にはそう遠くないが、街道が割と車や信号が多いので、あまり飛ばせない為、40分はかかってしまう。

小野路城は、武蔵国を治めていた氏族の小山田氏が1174年頃に支城として築城した歴史のある城跡である。近所の他の城跡同様、このお城も南に鶴見川、北に多摩川があり、自然溢れる丘陵地帯の小高い山の上に築かれた山城である。

車をまずは小山田緑地の第一駐車場に停める。ここは小山田緑地の入り口だが、緑地とは反対側の田んぼエリアに向かう。




田んぼエリアの入り口にあるバイオトイレが目印。この田んぼエリアの端にあるあぜ道をどんどん登っていく。途中とても景色の良いエリアもあって、気持ちいい散歩が楽しめるコースだ。







その昔城に向かう道であったと思うが、そういう目で見ると、田んぼエリアは大きな堀であったような面影を僅かに残しているように思え、妄想が膨らむ。





更に登っていくと、途中で道が別れるが、案内版に従って右のあぜ道を更に登って行く。ここからの道のりが結構長い。






しかし、途中堀切や土塁らしき景色が広がって、城があったことを偲ばせる。城マニアとしてはかなりテンションが上がっていく。そしてバイオトイレから登ること約20分、ようやく主郭エリアに到着。そう広くは無いが、如何にもお城の天守があったかのような良い場所だ。主郭には小さな社が祀られていた。







そして、この本丸のそばには、小町井戸と呼ばれる小さな湧き水の池があり、看板も出ていた。ここは、なんとあの小野小町がこの水で目を洗ったら病が治ったという伝説が残る場所だ。





城好きじゃないければ気が付かないレベルの遺構しかないが、城址としてはなかなか見所のある小野路城であった。またこのエリアは自宅からそう遠くないものの、今まで訪れたことが無かったが、手付かずの自然が多く残る魅力的なエリアであった。今回は西側から登頂したが、次回は東側のルートで目指してみたい。



またここまで範囲を広げてきたので、近々八王子城なども攻めてみたいと思う。



まだあった!近所の城跡、『作延城址』へ

2021-02-12 14:03:00 | 日本の城、日本の寺
これまで自宅の近所にある城跡はかなり探索してきたので、もう行き尽くしたかと思っていたが、まだ訪れていない城跡があることを発見。それは『作延城址』。場所は、これまできなこの散歩で良く訪れていた、高根森林公園のすぐ隣にある、緑が丘霊園がある場所。ここは川崎市高津区。自宅からは車で20分程度の場所で、生田緑地からも10分以内の場所だ。




高根森林公園は、川崎市では生田緑地に次ぐ大自然エリア。手付かずの森林が残っていて、今は公園として見事に整備されており、市民の憩いの場所となっているのだ。遺跡の跡もある。生田緑地は、枡形山城があった場所だったこともあり、同じように高根森林公園も何か城跡だったのではないかと密かに思っていたところ、色々と調べてみると、このエリアに『作延城』というお城があったことがわかったのだ。高根森林公園もお城の一部だったと思うが、メインエリアは隣の緑が丘霊園だというので、今回きなこを連れて、初めて訪れてみることに。





高根森林公園の駐車場に車を停め、歩いて国道沿いを左に歩いて行く。この国道も江戸時代には江戸に向かう多くの旅人が通ってきた道だろう。5分ほど歩くと緑が丘霊園に通じる細い道がある。車での通り抜け禁止と書いてあるが、軽自動車が何とか通れるくらいの道幅だ。ここを暫く進んで行くと、緑が丘霊園に出る。とても広大な敷地で、恐らく高根森林公園も含めると、生田緑地に匹敵する自然エリアだ。





右側を進んで行くと、作延城の石碑がある。ここに作延城の歴史に触れる説明看板がある。この作延城は、枡形山城と同じく、稲尾氏の支城として機能していたらしい。ちょうど多摩川と鶴見川に挟まれた高地であったこのエリアには、枡形山城、小沢城などと並んで、とても歴史的に興味深いエリアだと言える。






『作延城』ははっきりとした遺構らしき場所があまり残っていないのがとても残念だが、僅かな遺構らしきエリアを見ながら、勝手に妄想が膨らむ。まずは霊園全体が比較的高地にあり、城として好立地であることを感じさせるエリアだ。今は霊園として整備されているものの、園内に生えている古い木々はかなりの年輪を重ねていると思われ、『作延城』があった頃からあったのではないかと思わせる。





また園内にはかなり深い、巨大な“堀切”みたいなエリアもあって、遺構のような気がしてくる。また、園内の一部には昔堀だったような場所もある。




霊園の西側には、『作延城』の門であったかと思わせるような場所も有り、石垣の一部だったような石なども残っていた。






こんな遺構も少ない『作延城』だが、当時の思いを馳せながら散策するのも結構楽しいし、純粋に広大な自然が残される緑が丘霊園や高根森林公園を、きなこと散策するだけでも気持ちのいい場所である。また時々きなこの散歩で訪れてみたい。



きなこと久しぶりに『小机城址』へ!

2021-01-09 21:10:00 | 日本の城、日本の寺
週末きなこと一緒に、港北にある『小机城址』に出かけた。我が家から車で20分くらいなので、比較的家から近い城跡であり、且つこの辺りでは最も遺構を残している城跡でもあるのだ。

小机城址をきなこと訪れるのは今回で3回目ではないかと思う。まずは車をJR横浜線の小机駅近くのコインパーキングに停車し、最初に向かったのは“小机地区センター”。ここにお目当ての“小机城址ガイドマップ”が置いてあり、無料で頂けるのである。お城や城跡のガイドブックなども集めているので、これが前から欲しかった。






そしてガイドマップを手に、いざ小机城址へ!小机駅からは徒歩10分程度。そんなに遠くは無いが、途中かなり狭い道路を抜けていく。小机駅の商店街はかなり寂れた商店街だが、やはり歴史を感じさせるような古い地主さんのお屋敷などもあって、城下町であった面影を僅かに残す。





小机城址に向かう途中に、金剛禅寺という立派なお寺があったのできなことお参りをすることに。境内にはかなり立派なお釈迦様像が立っていた。ちょうど昨年の2月頃、小机駅近くにある『雲松院』というお寺を訪れたが、この小机エリアは、鎌倉街道と鶴見川が近くにあり、まさに江戸に向かう交通の要衝であった。また小机城の城下町として、多くの武家屋敷やお寺があったものと思われる。





金剛禅寺を出て、JR横浜線の線路を超えて行くと幾つかの細めな路地があるが、左手にこんもりした森が見えてくる。これが小机城址だ。右手にはあの日産スタジアムがそびえ立つのを見ると、何とも時代の流れを感じる。案内版に従って、左手の道を進んで行く。






小机城址の入り口はかなり地味である。しかし、ひとたび足を踏み入れるとそこはとても神秘的な手付かずな自然の空間が広がる。入り口には根古谷と言われる、城主の館や家臣の屋敷地として使われていた場所が記されていた。






通路を登っていくと、左手にとても厳かな苧ムもあり、更に登っていくと右手に何とも見事な空堀が出現する。この空堀はかなり保存状態も良く、なかなか見事だ。長い年月、当時のままに近い形で空堀が残されているというのはかなり貴重な遺構である。








更に登って行くと、簡単な門があり、その先に本丸となる広場が現れる。周辺には物見櫓があったとされる櫓台が数か所にあり、また兵器庫があったとされる井楼跡なども確認することが出来る。





空堀を橋で渡った先には二の丸広場がある。ここもかなり広いエリアで、その昔はこちらが本丸として機能していたとの説もあるようだ。





空堀はかなりの規模で、本丸と二の丸を囲うように出来ており、敵からの攻撃を防いでいたのだろう。この空堀や土塁こそが、小机城址最大のみどころだ。






前回訪れた時は、比較的暑い時期に訪れたので、汗だくになって、蚊や虫も多くて大変だったような記憶がある。今回は登っても汗をかくことなく、虫もいないのでとても快適に見学することが出来た。やっぱり城址巡りは涼しい季節にするのがベストである。そして、近所にある城址の中では、やはり小机城址が一番立派な規模で、遺構も多く残されているという意味では歴史的価値のある城址と言えるであろう。4月には小机城址まつりも開催される予定だが、昨年は残念ながらコロナで中止に。今年は何とか開催出来ると良いのだが、もし開催される場合にはぜひまた訪れてみたい。


久々の城ツアー!千葉県の“久留里城”へ!

2020-11-22 14:06:00 | 日本の城、日本の寺
コロナが広がり始めていた今年の春、近所の城跡をかなり巡ったが、近所の主要な城跡はだいたい制覇してしまったこともあり、訪問出来る近場の城跡が殆どなくなってしまっていた。

そんな中、今回は勤労感謝の日の3連休の中日を利用して、思い切ってきなこと一緒に千葉まで遠征することにした。前から行ってみたいと思っていた千葉県君津市にある、“久留里城”に立ち寄ってみることにした。千葉へはアクアラインを利用するが、自宅近くの東名青葉インターから、そのまま高速で第三京浜や首都高まで繋がったことで、格段に早くアクアラインに乗れるようになったのは大きい。アクアラインの入り口は通常でも若干渋滞するものの、海ほたるを過ぎればスイスイと快適なドライブが楽しめる。アクアラインは何度か過去にも利用してはいるのだが、やはり川崎側から海ほたるまでの間、水中を走るトンネル部分は少し精神的に不安感を覚えてしまう。もし地震とかがあって、このトンネルに閉じ込められたらと思うと、閉所恐撫ヌになったかのような不安感を覚えるのは僕だけだろうか。




久留里城は、千葉側で上陸する木更津から車で15分ほどなので、空いていれば自宅からは約1時間15分程度で行けるというのは意外に近い感覚だ。

高速を降りてから一般道に入ると、何とも長閑な田舎の景色が広がる。千葉は、どこかアメリカの郊外に来たかのような景色の広がりがあって気持ちいい。久留里街道を10分ほど走り、久留里駅を右に見ながら少し進むと、左手に久留里城の入り口がある。細い道を入って登って行くと、久留里城専用の広い駐車場が完備されていたので、ここに車を停めたが、到着したのはまだ朝の8時過ぎだったので、殆ど誰もいなかった。朝は空気も澄んでいて、神聖な雰囲気が漂うが、やっぱり気持ちがいい。



駐車場からは、意外にも勾配のある坂を徒歩で10分ほど登って行く。舗装された広い道なので歩きやすいが、勾配が思った以上にあるせいか、だんだんと足にきつくなってくる。駐車場の一角に、登る為の杖なども用意されていた。きなこは坂道もなんのその、どんどん勢い良く登っていくが、僕は途中でやや息切れしまった。





途中も、城跡らしく堀切の跡なども残っており、気分がどんどん上がって行く。そして二の丸跡に建つ久留里城址資料館にまずは到着。







ここには貴重な久留里城にまつわる資料が展示されている。無料で入れるのだが、残念ながらワンちゃんは入館NGということで、泣く泣くパスすることにしたが、資料館の外には、お玉ヶ池という水源が今も残っていた。また、裏手には、江戸時代の有名な学者・政治家である新井白石の銅像が建っていたが、この裏手から見渡す久留里城の城下町の眺めもなかなか素晴らしかった。






資料館を後にして、細い尾根道を登って行くと途中に、男井戸・女井戸という二つの小さな池があった。これもその昔水源として利用されていたらしいが、お玉ヶ池同様、お城に篭城しても、山城ながらも豊かな水源に恵まれていたといえる。





そしていよいよ久留里城の天守閣が目の前に現れる。天守閣自体は、昭和50年に建設されたものなので、当時の現存天守では無い為、その歴史的価値は無いものの、昭和50年からも結構時間が経っていることもあり、それなりにいい味わいが出てきていると感じた。元々あった天守閣は2層天守だったようだが、再建された天守は3層。またデザインもかなり浜松城に似ている。





最近、天守の無い城跡ばかりを巡っていたので、天守閣のある城跡を訪れるのは本当に久しぶりだ(それこそ昨年の浜松城、叶?驤ネ来だろうか)。天守閣の隣には、元々あった天守の天守台があったので、今の天守は位置が少しずれているということだが、なぜ元々の天守台の上に再建しなかったのかが気になる。






きなこと天守閣の中に入ってみたが、1階は良くお城の天守閣にある、全国のお城の写真などが展示されていた。そして階段で3階に登ると何とも素晴らしい眺めが!山城だけあって、まずまず標高が高い山の上にある為、城下町を見渡せる景色の抜け感は気分爽快である。







久留里城を後にして、帰りがけに久留里駅に立ち寄ってみることにした。久留里の町は城下町として昔栄えたらしいが、その面影も残る小さな町が、久留里駅の周辺に残っている。久留里駅にちょうどワンマン・ローカル電車である久留里線の電車が停車していたが、駅も田舎の駅という感じで何ともローカルな雰囲気が漂っていて、とても良かった。







最後、高速に乗ってしまう前に道の駅があったので立ち寄ることに。千葉県と言えばやはり“落花生”。落花生のお菓子などもたくさんお土産として売っていたが、道の駅は観光客でかなり賑わっていた。入り口に巨大な落花生のフィギュアがあったので、きなこと記念撮影(笑)。



今回訪れた“久留里城”は前から行ってみたい城だったので、今回ついに念願の一つがまた達成出来た。そして千葉県を久しぶりに訪れることも出来たので、楽しかった。アクアラインを使えばアクセスも良いので、次回はもう少し長く千葉に滞在して、千葉の他の城跡なども巡ってみたいものだ。しかし、やっぱり城跡巡りは楽しいものであることを今回再認識した。