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クリエイティブが大好きなのに、なぜか商社マンになってしまった私のマニアバース!

秋の金沢 (前編) ~念願の金沢城と兼六園へ!

2021-11-16 20:59:00 | 日本の城、日本の寺
今月、ついに念願の金沢を訪れた。金沢は長年、僕の“行きたい街リスト”のトップに君臨していたし、城巡りの中でも金沢城は一度訪れてみたい城であったのだが、今回ついに金沢を訪問する機会に恵まれた。滞在した2日間、初日は生憎の雨模様であったが、2日目は晴天にも恵まれ、初めての金沢はとても魅力がいっぱい詰まった期待通りの街であった。まずは前半をレメ[トしたい。

東京駅から北陸新幹線に乗って、金沢までは2時間半。ちょうと東京から大阪に行く程度の時間だ。北陸新幹線が開通してからは、東京方面から金沢を訪れる観光客も大幅に増えたとタクシーの運転手が言っていたが、確かに2時間半で行けるようになったのは何とも快適である。



北陸新幹線の終点である金沢駅で下車し、まずは斬新な金沢駅の建物を見物。かなり斬新なデザインである。



金沢駅から徒歩15分くらいの場所にある、近江町市場という地元の市場エリアを訪れたが、観光スャbトにもなっており、朝から多くの人で賑わっていた。たくさんの店舗が狭いエリアにひしめきあっており、新鮮な魚やカニで華やかであった。



市場は食べ歩きにも最高で、ちょうど京都の錦市場にも似た雰囲気だが、エリアは近江町市場の方が少し広いだろうか。近江町コロッケという有名なお店もあり、ここでコロッケを購入。出来たてでかなり美味しかった!



この近江町市場には新鮮なネタの御寿司や海鮮丼が食べられるレストランも多くあり、どこもかなりの行列が出来ていた。この中で、旬彩和食 口福という人気店で、海鮮ひつまぶしを注文したが、これがかなりのボリュームで、ひつまぶしスタイルというのも面白かったし、さすが金沢、金箔が乗っていて豪華であった!



続いては金沢の観光スャbトとしても有名な“金沢21世紀美術館”を訪問。建物自体も円形状になっており。かなりオシャレで洗練されたデザイン。庭にも様々なアート作品があり、中には様々な近代アートの展示コーナーがあった。



有名なのが、地下から見ると水の中にいるような不思議な体験が出来るという“スイミングプール”を見学したが、残念ながらこの日は地下からの見学が中止となっており、上からの見学だけであったのは残念。



美術館のあとは、隣にある“石浦神社”を訪れた。小さな神社であったが、金沢最古の神社と言われており、どこか厳かで、歴史を感じさせる佇まいであった。地面には勾玉が埋め込まれていて、かなりのパワースャbトなのかもしれない。



実はここに、僕のお目当てであった“きまちゃん”という鳥帽子を冠ったゆるキャラがいるのだ。きまちゃんのおみくじと栞が売っていたので、栞を記念に購入。



おみくじがぎっしり結ばれた小道があったり、小さな赤い鳥居がたくさん立ち並ぶエリアもあり、そして錦鯉が優雅に泳ぐ小さな池もあって、小さいながらもとてもインスタ映えする神社であった。



そこから金沢最大の観光エリア、“ひがし茶屋街”を散策。ここは多くのカフェやお土産物屋さんがあって、とても楽しい。浴衣のレンタルなどもあって、多くの若者が浴衣姿で散策しており、美しい和の世界を楽しむことが出来た。



途中で休憩がてら、街並みが見える2階のカフェで、見た目にも美しい和スウィーツを堪能。まわりは若い女性やカップルだらけで少し気がひけたが(笑)、とても美味しかった。



この日は雨が降っていたのでひがし茶屋街も軽めに切り上げ、寒くなってきたこともあり、夜は金沢名物でもある金澤おでんの本店を訪れた。当日だと予約枠が埋まっていたので、予約が出来なかったこともあり、早めにお店に行ったことが功を奏して、何とか少し待っただけで入ることが出来た。しかし、その後物凄い行列が出来て結局整理券を配る自体になってしまった。やはり寒くなってきたからみんなおでんが食べたくなったのか、相当混雑していた。さすが人気店である。


どのおでんダネも美味しかったが、特に人気メニューでもある赤玉という、ウズラの卵が美味しかった。



次回後半は、いよいよ僕にとってのメインイベント、金沢城へ!




僕の一番好きなお城、『安土城』へ!

2021-08-22 12:25:00 | 日本の城、日本の寺
滋賀旅行2日目は、いよいよ安土城へ。大阪に単身赴任していた10年ほど前に初めて安土城を訪れたが、当時衝撃を受けた。それ以来、僕はこの安土城が最も好きな城なので、今回また安土の地を訪れることが出来たのは感無量である。

安土城はあの織田信長が築いた城で、1576年から3年の歳月をかけて完成させた城だ。しかし、織田信長が本能寺の変で暗殺された後に謎の火災で焼失してしまった為、実質約7年しか存在していなかったという“幻の城”なのである。




まずは彦根駅からJR琵琶湖線で安土駅で下車。この駅はとても小さい素朴な駅で、彦根駅や近江八幡駅に比べるとかなりの田舎である。しかし、ャWティブに解釈すれば観光地化され過ぎずに、手付かずの自然が残されていると言える。



安土駅の北口には織田信長の銅像が立っており、また南口には安土駅に隣接した“安土城郭資料館”があるので、まずはここを訪れた。ここには、安土城の20分の1スケールが展示されており、中の断面も見ることが出来る仕鰍ッがあってとても勉強になる。安土城は中に吹き抜けがあり、如何に斬新なお城であったかを知ることが出来る。織田信長らしく、他に類を見ない豪華絢爛な城であったらしく、当時安土城を見学した宣教師ルイス・フロイスなどが残した記録によって、焼失前の様子を伺い知ることが出来る。この幻の城に、歴史ロマンを感じずにはいられない。



安土駅の近くで、安土のマンホールを発見! そしていよいよ、安土城址へ。



安土城は天守閣が焼失し、その後も復元されることはなかった為、今は天守がないのだが、それでも僕がこの城を一番好きなのはその残されている立派な石垣や屋敷跡などの見事な遺構の数々が兎に角感動的なのだ。入り口からまっ直ぐ天に伸びるかのような大手道は石段が当時のまま残されおり、織田信長の威厳を感じることが出来て何とも感動的である。当時はこの大手道の両側には多くの櫓や屋敷が軒を連ねており、CGで再現されている。石段には石仏なども使われている。



この日もあいにくの雨であったが、大手道をどんどん上に登っていくと、途中の左側に、当時織田信長の家臣であった豊臣秀吉の屋敷跡が残されている。これも感動的な歴史遺産である。



そして石畳の階段は更に上に進んで行く。山の上にも多くの素晴らしい石垣が残されており、石垣マニアとしては本当に感動してしまう。秀吉が小田原に建てた石垣山城も素晴らしい石垣が残されているが、やはりこの安土城の石垣は他の城には無い美しさだ。



更に10分ほど登っていくと、安土山の頂上に本丸が現れ、そして天守台跡に到着する。大きな面積だが、ここにあの立派な地下1階、地上6階建ての天守であったと思うとそれだけで感動的だ。そしてこの天守台からは琵琶湖が見渡せる絶景だが、実は当時は琵琶湖がもっと城の麓まで入り込んでいたらしく、まさに“湖に浮かぶ要塞“のようであったという。



それにしても、安土城は何度訪れても感動してしまう。そして見学し終わったあと、またすぐ訪れたくなってしまう不思議な魅力のある城だ。まさにパワースャbトであると言えるだろう。



安土城を下りて、今度は“安土城天主 信長の館”という施設を訪れた。ここには安土城に関するとてもわかりやすいビデオ上映がされており、とても勉強になるが、目玉はやはりなんと言っても安土城の5階と最上階部分の実物大で復元されているのだ。5階はまるで神社のような六角形の建物になっており、最上階の6階部分は金箔をまとって黄金に輝く展望フロアとなっており、まさに天下人に相応しい豪華さである。秀吉の金ピカ好きは、この信長の安土城を見て影響を受けたのではないかと思ってしまう。



安土城を後にして、次に近江八幡に向かい、地元で有名な近江牛のお店、“毛利志満(もりしま) 近江八幡本店”を訪れた。近江牛ステーキ重と肉寿司を注文したが、これが何とも柔らかくて、美味しかった。さすが日本の三大牛と呼ばれる近江牛である。



その後、近江八幡の旧市街を訪れたが、近江八幡はまさに信長時代に城下町、楽市楽座として栄えたエリアでもあり、近江商人発祥の地として有名だ。そしてここには“八幡堀”と呼ばれる歴史的な建造物が多く残る保存地区であり、何とも美しい景観だ。古い歴史的な町屋なども多く残っており、町を歩いているだけで、当時にタイムスリップした感覚を楽しめる。



近江八幡でもマンホールを発見したが、まさに八幡堀の絵柄だ。カラーバージョンも発見!



安土と近江八幡エリアはセットで訪れるのがおススメだが、安土桃山時代の歴史に触れることが出来る見所満載であり、近江牛も含め、食も楽しめるエリアである。またぜひ3回目の訪問にトライしてみたい。


久々の城巡り!国宝天守『彦根城』、そして『佐和山城』へ!

2021-08-19 22:23:00 | 日本の城、日本の寺
今月は出張で滋賀県に行く機会があったので、夏休みを兼ねて少し早目に滋賀入りし、10年ぶりに彦根城と安土城を訪れることにした。初日はまず、根城と彦根の城下町散策することにした。

朝早くから新幹線で米原まで移動し、米原からJR琵琶湖線で彦根駅までは1駅。実は滋賀は、結構名古屋方面からも近いのだ。滋賀県の琵琶湖のまわりには、多くの名城が存在するので、城好きにはたまらない地域だ。

JR琵琶湖線の車内から彦根城が見えてきて、早くも気分が上がる。



今回宿泊するのは、駅前にあるホテルサンルート彦根。快適なビジネスホテルで、宿泊には全く申し分ない。



実は今回出発時にキャリーバッグが壊れてしまい、急遽バッグが必要となってしまった。チェックイン時間までにはかなり時間がある為、まずはホテルに荷物を預け、三井アウトレットパーク近江竜王に行くことに。再び、JR琵琶湖線に乗って快速で近江八幡まで2駅。



近江八幡からアウトレットまではタクシーで20分ほど。かなり山の中にある自然豊かなアウトレットである。



あまり時間も無いので、急ぎ、お目当てのブランド“ゼロハリバートン”のアウトレットへ。僕は昔からゼロハリのキャリーバッグを愛用しており、これまでにも海外出張で大活躍したが、今回壊れた小型の(2-3泊対応)キャリーバッグはかなり古くなっており、確かに壊れても仕方ない状態だったかもしれない。そこで、今持っているゼロハリよりも少し小さめのキャリーバッグを購入した。やはり大好きなメタリックブルーのキャリーを購入したが、なんとこの日は期間限定で更に40%オフに値下げされており、とてもお買い得となっていた。これから国内出張で大活躍してくれることを見越して、即決で購入。



キャリーバッグを転がしながら、再び電車に乗って彦根に戻ってきた。そしてまたキャリーバッグをホテルに預け、身軽な状態でいざ彦根城へ。あいにく天気は曇り時々小雨であったが、城巡りに大きな支障はない。彦根駅のロータリー前には、ひこにゃんのマンホール、そして立派な井伊直政像が立っていた。



彦根城は国宝で、現存12天守の一つで、その可愛いデザインから、城マニアの中でも人気が高い井伊家のお城だ。天守だけではなく、多くの門や櫓なども残っており、堀も美しい。石垣も当時のまま残されており、見事である。なんとも見所の多い名城である。城の入り口から一気に気分が上がる。



郵便ャXトにも彦根城の模型がデザインされていた。



毎日、人気のゆるキャラ“ひこちゃん”は、13:30に彦根天守前に登場するらしいので、急ぎ天守に登ることに。



入り口を入り、長い石畳階段を登っていくと、空堀に架けられた廊下橋が目に飛び込んでくる。



そして左右対称で何とも美しい天秤櫓を鑑賞。



かなりの高さがある石垣も素晴らしい。



太鼓門も趣があって美しい。



本丸に到着し、まずは天守の中を見学することに。



さすが現存天守だけあって、内装は当時のままの状態で見事に保存されている。急な階段は現存天守ではお約束である。



比較的小さな天守で、三重天守となっているが、最上階からの琵琶湖眺めは素晴らしかった。暑い夏の日も、清々しい風が吹き抜ける。



天守は複台式望楼型と呼ばれるデザインで、破風と呼ばれる装飾が、天守閣の中でも18個もあって最多。



そして生ひこにゃんに遭遇。ひこにゃんは、まさにゆるキャラブームの先駆けだが、やっぱりひこにゃんは可愛い。大勢の観光客はひこにゃんに群がっていて、大人気であった。



僕は“マンホーラー”だが、改めて彦根のマンホールもチェック。彦根城の石垣がデザインされている。



彦根城を後にして、城下町の観光スポット、“キャッスルロード”を散策することに。ここは古い城下町の風情を残した美しい通りである。ここで有名なお店“近江や”でランチを取ることに。



彦根名物でもある名物の近江牛ローストビーフ丼御膳を注文。ローストビーフの上にはひこにゃんがプリントされた玉子焼きがあって、何とも可愛い。



キャッスルロードの最後にある、四番町スクエアへ。ここで可愛いひこにゃんの石像や、ひこにゃんの巻き寿司などを発見。



ホテルに戻る途中、裏道などを散歩したが、彦根にも多くの古い家屋が残っており、城下町の面影を色濃く残しているのがとても素晴らしい。



有名な“たねや”の彦根店も途中で発見。



ホテルに戻る前に、彦根城の反対側にある、『佐和山城址』にも立ち寄ってみることに。大手門跡から佐和山を望む位置から少し鑑賞したが、城跡マニアとしては血が騒ぐ。頂上までは今回登れなかったが、いつかは登ってみたい。



この佐和山城は、あの石田光成の居城として有名だが、ひっそりとした彦根駅の反対側に見える小高い山がまさに佐和山城である。彦根城のような遺構は殆ど残っていないものの、山としては面影を残しており、当時は彦根城にも負けない大規模なお城であったことを偲ばせる。



初日は彦根城、彦根城下町のキャッスルロード、佐和山城を満喫し、とても充実した1日であった。彦根旅行記念に、ひこにゃんの小さなぬいぐるみを記念に購入!



翌日はいよいよ『安土城』だ!



佐野城址を再び訪問!

2021-06-13 16:30:00 | 日本の城、日本の寺
今年の3月に、仕事で栃木県佐野市を訪問した際、佐野駅前にある『佐野城址公園』を少しだけ訪問したが、時間があまり無かったので、じっくりと城跡観賞することは出来なかった。しかし、先週仕事でまた佐野を訪れることになり、少し早目に現地に入り、改めて佐野城址を攻略すべく訪れた。



色々と地方都市に行くとマンホールをチェックするのも趣味なのだが、また新しいさのまるのマンホールを今回発見!



佐野へは横浜の自宅から3時間弱もかかるので、やはり地味に遠い。3時間も飛行機に乗っていれば、かなり遠くまで行けてしまうことを考えると、関東近場でもかなり遠いと言わざるを得ないが、色々な町を訪れられるのは楽しいのであまり苦にはならない。



JR両毛線の佐野駅北側に佐野城址公園がある。駅のすぐ北側にある広場が城の三の丸跡になる。そして三の丸を超えて更に進んで行くと、公園の入り口に案内版などがあるので、全体像がつかめる。どうやらこの公園となっているエリアは少し高台になっていて、かなり細長い高台の形状からも城跡であったことを伺わせる。



前回も少し書いたが、この土地は古くから佐野氏が納めていた土地で、ここにその昔は佐野厄除け大師(惣宗寺)があったらしいのだが、佐野城築城の際に今の場所に移転したというのだ。つまり佐野厄除け大師のあった高台の場所は城を築くのに大変適していた立地ということだろう。



公園を進んで行くと本丸エリアが広がる。そして途中に立派な堀切跡が見て取れる。今は谷底が通路や階段となっているが、ここはどうみても昔堀切の跡である。



また発掘調査で出土した石垣の石なども一部残っているエリアもあって貴重。



更に進んで行くと二の丸らしき平坦なエリアもあったが、ここからの展望が良く、見張り台としても機能していたのだろう。高台であることを痛感する。



とてもコンパクトな城跡だが、意外に遺構も残っており、また高台の土地がそのまま残っているというのも城跡ファンとしては嬉しい限りである。

そして今回城跡を見た後、まだ時間があったのでまずは10時からオープンしていた地元のカフェ『喫茶コンメ[ト』に立ち寄った。まだ新しいカフェのようで夫婦で営んでいるようだが、とてもオシャレでキレイなカフェであった。



ここでアイスオレを呑みながら少し時間をつぶし、その後佐野ラーメンを食べに『精養軒』に立ち寄った。チャーシュー麺はなかなか美味しかったが、正直前回立ち寄った『日光軒』の方が自分の好みには近い気がした。でも、色々な佐野ラーメンを食べ比べるのも面白いものだ。



前回はあまりゆっくり見ることが出来なかったが、今回は全体を観賞することが出来て良かった。また佐野に仕事で来た際に佐野城址、そしてまた新たな佐野ラーメンを楽しみたい。


城巡りも神奈川中央に拡大!『早川城』へ

2021-05-18 21:09:00 | 日本の城、日本の寺
先日取り上げた通り、家からも比較的近い神奈川北部の城跡は一通り制覇してしまったので、いよいよ地域を拡大することに。先日週末に、きなこを連れて、神奈川中央エリアに出かけた。このエリアは、過去に座間の『星の谷』、そして『深見城』を訪れているが、今回はまだ訪れたことが無い、『早川城』へ行ってみることにした。



『早川城』は神奈川県綾瀬市にある城跡。自宅のたまプラーザからは、まず国道246に乗って南に向かい、座間を超えて、綾瀬市辺りで246から一般道へ。そして自宅から約50分程度で到着。距離的にはそう遠く無いのだが、鎌倉や横浜のように、高速が使えないので意外に時間はかかってしまう。



早川城は、現在『城山公園』として整備されているが、遺構がかなり色濃く残っている公園となっており、城マニアにはたまらない城跡だ。公園には無料の駐車場が完備されているのも嬉しい。早速公園の入り口に、早川城の説明看板が。早川城は、地元では城山(じょうやま)と呼ばれ、鎌倉時代の御家人、渋谷氏の城として伝えられている。



1989年から1995年頃にかけて、綾瀬市教育委員会で早川城の学術調査、発掘調査が行われ、その結果、堀切、土塁、物見塚、曲輪等多くの城郭関連遺構が発見され、県内でも有数の保存状態が良好な中世城郭なのだ。

入り口の雰囲気から、城を思わせる感じでとても気分が上がる。




更に進んで行くと、何とも保存状態の良い堀切が出現。案内看板などもあってとても見学しやすい。



そして堀切を抜けていくと、本丸跡と思われる広場も出現。典型的な城跡の特徴である。




本丸の一角に、物見塚という少しこんもりした丘があった。ここに東郷氏祖先発祥地碑が建てられていたが、実はこの早川城主であった渋谷氏の末裔が、あの東郷平八郎の先祖であったことから、ここに碑が建てられたようだ。



その後も城跡の周辺にはたくさんの土塁跡があった。やはり城跡特有の丘陵地帯としての地形となっている。



公園の東側には、湿地帯があるが、ここも堀の跡ということが良くわかる。湿地帯の中には川も流れており、周辺も散歩が可能なコースとなっている。



こちら側にも立派な土塁跡が確認出来る。



これまで見てきた城跡と比較しても、この早川城はとても良い遺構の保存状態なのは驚いた。公園としても整備されていることから、きなこの散歩にも快適な城跡であった。また機会を見つけて再度訪れてみたい。