I LOVE 壮祐(そうすけ)!

PC初心者の私 アメコカ壮祐♂をとおして描く日常の悲喜交々

震災の記録

2011-04-11 | 日記
2011年3月11日 午後2時46分
その時、私は家から車で30分ほどのショッピングモールに居た。

その日、映画「わさお」を観るため友人とふたりでやって来て、
車は映画館に近い3階屋上駐車場に停めてあった。

11時10分からの「わさお」を観て【3階】
遅めの国産牛しゃぶランチを食べ(とっても美味しかったぁ~)【1階】
夕食の買い物をして【1階】、ペットショップで壮祐のおやつと玩具を買い【2階】
「では、そろそろ帰りましょうか」と車に戻ろうとした途端、辺りがぐらりと揺れた。

空洞の構造のショッピングモール。
建物が悲鳴を上げているようなゴォゴォギシギシ恐ろしい音と女性の悲鳴が聞こえた。

近くの壁で身体を支えて揺れが治まるのを待っていたが、
2階駐車場への出口付近から警備員数人が出て来て
「とりあえず建物から出てください」と大声で呼びかけていた。
揺れの続く中、友人と手を取り合って外に出た。

2階の駐車場は斜面に建てられたショッピングモールの外に在り、公園に隣接していた。
建物からなるべく離れた公園側でやっと息をついた。
そばに避難していた女性客2人組は
「壁に亀裂が走るのを見た」と恐ろしさに口元を震わせていた。

最初の揺れが治まったとたん、家が気になりだした。
すぐに家とユウスケに電話とメールを入れたが、繋がらない。

家が気がかりなのは友人も同じ。
もう1度建物内を通って急いで3階駐車場へ向かった。
店内は停電することも無く、照明も点いたままB.G.M.も流れていたが
ディスプレーされた商品が一面に散乱していた。

車に乗って出口に向かったが、3階から1階へ続く長いスロープの途中で渋滞で止まってしまう。
きっと一斉に帰る車が出口に向かって押し寄せているのだろう、、、5分以上待ってやっと1台分進む。
車のTVで宮城県沖地震と分かる。千葉県市原市震度5+ 
建物の壁に沿った長いスロープ、こんな建物の構造は弱いんじゃないだろうか?
車がずっと揺れ続けている気がして不安に襲われるが、遅々として進まない。
ユウスケに再度電話を入れるが、やはり繋がらない。

長いスロープの真ん中あたりに捕まって10分ほどたった頃、2度目の大きな揺れが来た。
思わずエンジンを切った。まるでトランポリンの上で転がされているような揺れ。
ハンドルを握っている両手とブレーキペダルを思いっ切り踏み付けている足から力が抜けて震えた。

この揺れは1分くらいだったと思う・・・。
西の空を見ると、いつも見慣れた京葉コンビナートの煙突群から4筋の黒煙が上がっていた。
何か事故が起こったのだろうか・・・?

遅々として進まなかったスロープの渋滞に巻き込まれていた時間は、実際は20~25分程度だったのだろう。
やっと駐車場を出ることができ、家に向かった。

団地内を抜ける近道は避けて、信号の少ない遠回りの道を急いだ。

家にたどり着いたのは地震発生から1時間以上経ってからだった。


壮祐はゲージの中で留守番をしていた。



“おばあちゃん”の他に運良くユウスケが家に居た。

揺れが酷かったので、ガスの元栓を閉めて“おばあちゃん”と隣接する公園へ避難したそうだ。
揺れが治まった時に私に電話とメールを入れたらしいが繋がらなかったそうだ。

「アッ!壮祐を忘れていた!!」
ユウスケが家に戻ったら、壮祐はゲージの中で震えていたそうだ。

物置と化したピアノの上のぬいぐるみと、本棚から単行本の何冊かがゲージの中に落ちていた・・・。
事実、ピアノは5cmほど動いていたし、本棚もレベル調節の板が外れてしまっていた。


家に被害はなかった。

納戸の中でティッシュペーパーのストックが棚から落ちたり、
押し入れの中の荷物が動いてせり出したくらいだった。

そのあと、TVで観た東北地方を襲った地震と津波の映像・・・
繰り返しやって来る余震・・・
「停電するかもしれない」
大きな鍋とやかんに水を入れて、念入りに風呂を洗って多めにお湯を張った。

“おとうさん”とユリコに電話とメールを入れたが繋がらなかった。


夕方、薄暗く曇った空が一瞬朱色に輝いた。
と、その瞬間、ビシビシバリバリというような衝撃音とともに家が振動した。
火災を起こしていたコスモ石油千葉製油所(市原市)が爆発したのだった。


この後、続々と新潟の実家や友人、ユリコからのメールが入り始めた。


この日、夕食に何を食べたのか記憶が無い・・・


都内の会社に居る“おとうさん”と連絡がとれたのは9時半頃。
交通網が麻痺状態なので会社に泊まる由。

早めにお湯を張った風呂に入る気にもならず、歯磨きと洗顔だけをした。
下着も着変えたが、また服と厚手の上着を着た。


この夜は、自分の部屋に入りたがらない壮祐とリビングで横になって過ごした。
つけっぱなしのTVから流れる緊急地震速報と津波警報、、、、、


“おとうさん”が家に帰り着いたのは翌土曜日の夕方だった。


この日以来、壮祐は片時も私の側を離れず、
余震の僅かな揺れにも飛び起きては抱っこをせがむようになった。




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