今月の読書会の課題本はカミュ著の「異邦人」でした
5年くらい前に初めて読んだとき内容の濃さ・完成度に感動した記憶があります。
久しぶりに読み返してみましたが、やはりこれはすごいと思いました。
何がすごいのかというと、
・無駄なくコンパクトにまとまっている
・主人公ムルソーの謎の行動の数々にはきちんと理由があること
・ムルソーの視覚描写がこと細かいこと(見ることに自信があるムルソーが第二章で司祭にあなたの心は盲ていると言われてカチンときて怒り狂う結果となりました)
・カミュ自身の体験が投影されていること
などです。
この物語は2章で構成されています。
1章は主人公が母の死後すぐに海に遊びに行ったり、友人レーモンの敵であるアラブ人をピストルで殺してしまう内容でした。基本淡白で何を考えているのかわからないムルソーの行動が淡々と描かれていました。
2章はムルソーの裁判の内容でした。常識はずれの行動をしてきたムルソーが裁判でのけものにされ孤立していくのですが、死刑判決が決まり、司祭との対話における言い争いは圧巻でした。口数の少ないムルソーが本音(彼の思想)をぶちまけるシーンはこの物語の要点が一挙に詰まっていると言えると思います。
さて、読書会で最も議論が集中したのがムルソーの謎の行動の要因についてでした。その中で気になったキーワードとして「実存主義」がありましたので少し調べてみました。
実存主義とは、人間の存在そのもの(実存)を中心に位置づけて世界のあり方を説明しようとする哲学です。
対義語として「本質主義」がありますが、これは古くから物事には本質があるとするプラトンのイデア論や人間を精神と肉体で分離できる存在とみなすデカルトの二元論のような形で科学、道徳などの発展に貢献してきました。
実存主義はこの本質主義とは違って人間を、感じ行動する全体として捉え、人間が自ら選択し行動することに重要性を見出す哲学です。19世紀後半から20世紀前半に流行った哲学のようでして、主唱者としてはハイデッガー、サルトル、ニーチェなどがいます(カミュもその一人として数えられることがありますが、本人は否定していたそうです)。
ニーチェが含まれていることに驚いた私は改めてニーチェの哲学の本を読み直してみました。すると、実存主義そのものには直接触れていはいないものの、考え方がまさに実存主義の源流をなすものでありました。
彼の哲学は簡単に言ってしまうと、「周りに流されずに自分の内なる声に従って強く生きよ」ということです。このような人を彼は「超人」と呼びました。
このように自分の信ずる我が道を突き進んで行く生き方は異邦人の主人公ムルソーとも重なります。
彼は言葉にこそあまり出しませんでしたが、超マイペース人間です。自分が今したいこと、感じたことを優先して行動してしまう人でした。母の死にも涙を見せなかったり、死後直ぐに海に遊びに出かけて娯楽映画を見たり、人を殺したりと世間一般の常識からは程遠い存在でした。
常識から言えば、近しい人、特に自分の母が死んだら普通は悲しみ喪に服すものですし、また、人を殺すことは良くないことです。
しかし、ムルソーの立場からするとこのような常識というのは通用しません。ニーチェの言葉で言えば、常識とは「遠近法的思考」の例です。遠近法的思考とは人間の根本にある捉え方で、自分にとって関連が深い事柄は大きく見えて重大に感じ、関連の少ない事柄は小さく見えて軽く感じるということです。つまり、人は自分の価値観、枠組みで物事を見ているということです。この遠近法的思考の例としては物事には本質があると思い込むことや自我の存在がありますが、常識もその一つです。
ムルソーはこのように常識はずれの行動を行い続けたことで裁判の時に裁判官や弁護士からも見放され、自分と常識を振りかざす彼らとは住む世界が違うと思うようになっていきました。
乖離度合いがピークに達したのが最後の司祭との対話です。死後の世界には幸福が訪れると綺麗事を言う司祭に対してムルソーは激昂し、そんなものはないと説きました。
ムルソーは死刑判決を受けた時に特赦請願をする権利がありましたが、それを却下しました。それは彼が今死んでも20年後死んでも何も変わらないという考えを持っていたからでした。これはまさに徹底したニヒリズムの先に見えてくる「永遠回帰」です。つまり、終わりがなく無意味が永遠に循環することです。
しかし、彼は最後にこの状態から解放されました。それはありのままの世界を認め、肯定することで人生すべてを受け入れたからです。文中にも「私ははじめて、世界の優しい無関心に心をひらいた」と書かれています。つまり、マイペースな行動により自分が周りからどんどん切り離されていきよそ者(異邦人)となっていましたが、それすらも受け入れたのです。
それまでの彼はどこか中途半端でした。超マイペースに行動してきたものの、どこか徹底しきれていない部分がありました。ニーチェの言うところの「超人」になりきれていなかったのですが、最後に超人になりきることができ、今が幸福であると感じるようになりました。
実存主義について調べて自分なりに改めて解釈してみると、やはりこの本は奥深く面白いと感じました。それと同時にカミュの偉大さも感じました。不慮の事故によりカミュの集大成となるはずであった「最初の人間」が未完で終わってしまったことは寂しく思います。以前生誕100周年記念で上映された映画「最初の人間」を観ましたが、舞台設定などから考えると、異邦人の思想の流れもくみつつ、さらに発展させた新たな物語を書こうとしていたのかなぁと思いました。読めないのが残念です。
書ききれていないことはまだありますが、とりあえず今回はここまでにします。また次に読むときに残りについては考えることとします。