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まほまほろば

まほろばのように日々の思いを書き綴った日記

あなたにとって本とは何ですか

2013-07-22 21:58:30 | 本(漫画、小説)
本を紹介する雑誌「ダ・ヴィンチ」で本の物語大賞という文学賞の募集が掲載されていました

内容は本が関連した物語であること。


創作意欲が掻き立てられるテーマであります。

何か書きたいなぁとは思いますが、まとまった時間がとれそうにないので今回は諦めます。


しかし、これとは別に「読者審査員」というのも募集されていました。

これは最終選考に残った作品を読んで評価するという役割のようです。また、刊行後にオビやPOPで講評が使われることもあるようです。


テーマは「わたしにとって本とは何か」ということでして、200字程度なので割とすぐに書けます。


本当は自分で物語を書きたいですが、誰かが書いた物語を評価するのも面白そうですし、参考になることも多々あると思いますのでせっかくなので書いてみようかと思います。

残りリミットは1週間。

おぼろげですが頭の中にいくつか内容が思い浮かびます。

書評のように真面目に書いたほうがいいのか、あるいはウケ狙いでパロディチックに書いたほうがいいのか悩むところです。


考えると面白くなってきます

誰でも応募できるようですので興味がある方は応募してみてはいかがでしょうか

異邦人

2013-06-30 23:07:42 | 本(漫画、小説)
今月の読書会の課題本はカミュ著の「異邦人」でした

5年くらい前に初めて読んだとき内容の濃さ・完成度に感動した記憶があります。
久しぶりに読み返してみましたが、やはりこれはすごいと思いました。
何がすごいのかというと、

・無駄なくコンパクトにまとまっている
・主人公ムルソーの謎の行動の数々にはきちんと理由があること
・ムルソーの視覚描写がこと細かいこと(見ることに自信があるムルソーが第二章で司祭にあなたの心は盲ていると言われてカチンときて怒り狂う結果となりました)
・カミュ自身の体験が投影されていること

などです。


この物語は2章で構成されています。

1章は主人公が母の死後すぐに海に遊びに行ったり、友人レーモンの敵であるアラブ人をピストルで殺してしまう内容でした。基本淡白で何を考えているのかわからないムルソーの行動が淡々と描かれていました。

2章はムルソーの裁判の内容でした。常識はずれの行動をしてきたムルソーが裁判でのけものにされ孤立していくのですが、死刑判決が決まり、司祭との対話における言い争いは圧巻でした。口数の少ないムルソーが本音(彼の思想)をぶちまけるシーンはこの物語の要点が一挙に詰まっていると言えると思います。


さて、読書会で最も議論が集中したのがムルソーの謎の行動の要因についてでした。その中で気になったキーワードとして「実存主義」がありましたので少し調べてみました。

実存主義とは、人間の存在そのもの(実存)を中心に位置づけて世界のあり方を説明しようとする哲学です。
対義語として「本質主義」がありますが、これは古くから物事には本質があるとするプラトンのイデア論や人間を精神と肉体で分離できる存在とみなすデカルトの二元論のような形で科学、道徳などの発展に貢献してきました。
実存主義はこの本質主義とは違って人間を、感じ行動する全体として捉え、人間が自ら選択し行動することに重要性を見出す哲学です。19世紀後半から20世紀前半に流行った哲学のようでして、主唱者としてはハイデッガー、サルトル、ニーチェなどがいます(カミュもその一人として数えられることがありますが、本人は否定していたそうです)。

ニーチェが含まれていることに驚いた私は改めてニーチェの哲学の本を読み直してみました。すると、実存主義そのものには直接触れていはいないものの、考え方がまさに実存主義の源流をなすものでありました。
彼の哲学は簡単に言ってしまうと、「周りに流されずに自分の内なる声に従って強く生きよ」ということです。このような人を彼は「超人」と呼びました。

このように自分の信ずる我が道を突き進んで行く生き方は異邦人の主人公ムルソーとも重なります。
彼は言葉にこそあまり出しませんでしたが、超マイペース人間です。自分が今したいこと、感じたことを優先して行動してしまう人でした。母の死にも涙を見せなかったり、死後直ぐに海に遊びに出かけて娯楽映画を見たり、人を殺したりと世間一般の常識からは程遠い存在でした。
常識から言えば、近しい人、特に自分の母が死んだら普通は悲しみ喪に服すものですし、また、人を殺すことは良くないことです。
しかし、ムルソーの立場からするとこのような常識というのは通用しません。ニーチェの言葉で言えば、常識とは「遠近法的思考」の例です。遠近法的思考とは人間の根本にある捉え方で、自分にとって関連が深い事柄は大きく見えて重大に感じ、関連の少ない事柄は小さく見えて軽く感じるということです。つまり、人は自分の価値観、枠組みで物事を見ているということです。この遠近法的思考の例としては物事には本質があると思い込むことや自我の存在がありますが、常識もその一つです。

ムルソーはこのように常識はずれの行動を行い続けたことで裁判の時に裁判官や弁護士からも見放され、自分と常識を振りかざす彼らとは住む世界が違うと思うようになっていきました。
乖離度合いがピークに達したのが最後の司祭との対話です。死後の世界には幸福が訪れると綺麗事を言う司祭に対してムルソーは激昂し、そんなものはないと説きました。

ムルソーは死刑判決を受けた時に特赦請願をする権利がありましたが、それを却下しました。それは彼が今死んでも20年後死んでも何も変わらないという考えを持っていたからでした。これはまさに徹底したニヒリズムの先に見えてくる「永遠回帰」です。つまり、終わりがなく無意味が永遠に循環することです。
しかし、彼は最後にこの状態から解放されました。それはありのままの世界を認め、肯定することで人生すべてを受け入れたからです。文中にも「私ははじめて、世界の優しい無関心に心をひらいた」と書かれています。つまり、マイペースな行動により自分が周りからどんどん切り離されていきよそ者(異邦人)となっていましたが、それすらも受け入れたのです。
それまでの彼はどこか中途半端でした。超マイペースに行動してきたものの、どこか徹底しきれていない部分がありました。ニーチェの言うところの「超人」になりきれていなかったのですが、最後に超人になりきることができ、今が幸福であると感じるようになりました。


実存主義について調べて自分なりに改めて解釈してみると、やはりこの本は奥深く面白いと感じました。それと同時にカミュの偉大さも感じました。不慮の事故によりカミュの集大成となるはずであった「最初の人間」が未完で終わってしまったことは寂しく思います。以前生誕100周年記念で上映された映画「最初の人間」を観ましたが、舞台設定などから考えると、異邦人の思想の流れもくみつつ、さらに発展させた新たな物語を書こうとしていたのかなぁと思いました。読めないのが残念です。

書ききれていないことはまだありますが、とりあえず今回はここまでにします。また次に読むときに残りについては考えることとします。

出張読書会 in 安良里

2013-06-05 22:22:33 | 本(漫画、小説)
読書会から派生した写真会のイベントで西伊豆に行って、写真撮影&読書会を行ってきました


メインは課題本「獣の戯れ」の舞台である安良里での散策でした。

この本は三島由紀夫著の作品でして、彼が実際にこの場所に滞在したときのことを元に描かれています。

名称は異なっていましたが、作中に出てくる滝、灯台、造船所、製氷場、黄金崎などを実際に廻ることができました。


この作品についてのレビューは後で書きます。


では、写真撮影で撮った写真の紹介をします。


まずは、安良里散策です。
マイミクさんの友達の計らいで船を出していただけることになり、湾内・湾外で写真撮影を行いました。








イルカ漁で使われていた場所だそうです。パッと見縄文時代の建物のように見えます。




神社




心太の原料である天草




漁師さんのサービスで新鮮なイカの刺身を頂きました
コリコリしていておいしかったです。




この日は2日前までは雨の予報でしたが、大外れで晴れとなりました




海の中を取ろうとすると光が反射してしまい、うまくいきませんでした




湾外へと出ます




富士山も見えました




船のいけすには生きたイカもいました




のどかな景色です




三島由紀夫が実際に泊まった旅館です





その後、堂ヶ島へ行き、お昼を食べ、読書会を行いました




堂ヶ島名物の遊覧船に乗り、天窓洞へと行きました









洞窟の中はエメラルドグリーンで綺麗でした






上から覗くとこう見えます






紫陽花も綺麗に咲いていました








ガリレオの撮影が行われた浮島




夕日が綺麗に見える田子(この日は残念ながら見えませんでした)




その後、作中にも出てくる大滝へと行きました
落差60mもあり、迫力ありました
滝好きとしては登らずにはいられなくなり、岩場をよじ登って間近で撮影を行いました



この日のために用意をした減光フィルターを用いて撮影を行いました。
というのも、滝を線状にとるためにはシャッタースピードを遅くする必要があるのですが、遅くすると光を取り込む量が多くなってしまって光ってしまうからです。このフィルターを使って写真撮影をするのは初めてでしたので設定を変えながらいろいろと撮ってみました




シャッタースピードが遅い場合




シャッタースピードが速い場合
水しぶきの躍動感が出ます。個人的にはこちらのほうが好きです。




同様にしてシャッタースピードを変えて撮ってみました












どうしても上の部分が白く光ってしまい、うまくいきませんでした。滝は難しいです
対策を考えてまた次の滝に臨みます


最後は黄金崎で反省会を行って一日が終了しました。

朝から夕方まで一日かけて西伊豆を満喫できました
本の舞台となる場所を訪れる、いわゆる聖地巡礼はやはり楽しいですね~
景色が綺麗でこれは何度来ても楽しめるなぁと思いました。今度は夕日の撮影にでも行けたらと思います。




勝手にふるえてろ

2013-05-19 20:52:04 | 本(漫画、小説)
綿矢りさ著の「勝手にふるえてろ」を読みました


空き時間数時間を使ってさっと読める本はないかと本屋をウロウロした結果見つけた本です。
フォントも大きいですし、読みやすかったので数時間で読むことができました。


実は綿矢りさの小説を読むのは初めてになります。
読書会でも度々話題には上がっていて前から一度読んでみたいと思っていました。



この物語は26歳のオタクの女性主人公が理想の彼と現実の彼との間で葛藤する恋愛妄想劇です。
理想を追い続けるか、それとも諦めて現実で満足するか。

読み終えてから思ったことが2点あります。


①比喩が抜群にうまい

初めて彼女の作品を読みましたが、ところどころにある比喩が絶妙でしてよくこんな表現が思いつくなぁと思ってしまいました。
この本の後に読んだ別の本の表現が陳腐に感じられるほど圧倒的でした。


②理想って美化されるものだなぁ

主人公は現実の彼にはほとんど興味がないのに対して、中学時代の同級生である理想の彼に対しては妄想に妄想を重ねてどんどん美化していきました。実際数回しか話したことがないのにもかかわらずです。理想の彼はきっと自分のことも好きに違いないとまで妄想をしていましたが、実際に会ったときにあんまり覚えていないと言われ彼女はショックを受けました。

過去の思い出って美化されることが多い気がします。妄想を重ねて自分の都合のいいように作り替えられていきます。一方思い出が風化することもあります。
美化と風化。あるものは美化され、あるものは風化される。この境目ってどこにあるのでしょうか。
それは自分が興味があるかどうかだと思います。興味があるものは美化され、ないものは風化していく。
美化って風化の中の一種な気がします。なぜならばどちらも作り替えられて本来のものとは違うものになるからです。



表現がとにかく上手くて別の作品も読んでみたくなってきました


枯木灘

2013-04-29 23:32:10 | 本(漫画、小説)
今月の読書会の課題本は中上健次著の「枯木灘」でした

物語は和歌山の路地と呼ばれる狭い田舎町でのドロドロした複雑な家族関係の中で起こる兄弟殺しがメインでした。

昼ドラも真っ青になるくらい登場人物の人間関係が非常に複雑でして、最後のページにある人間関係図を何度も見ながら読みました。

一言で言ってしまえば近親相姦の人間関係でして、主人公には腹違いの兄弟姉妹が複数いました。
物語のキーパーソンが主人公の父親である浜村龍造でして、出生は謎ですが、どこからかやってきて村の土地を買いあさり、火事を起こして刑務所暮らしをしたりとあまり評判はよくありませんでした。
彼は女たらしでもあり、計3人の女性と関係を持ち、5人の子供をもうけました。そのうちの一人が主人公秋幸でして、複雑な家族関係の中で苦しみながら育った彼はそんな父親を憎んでいて、殺してやりたいと思っていました。

ここまで読むと人間関係がなんとなく「カラマーゾフの兄弟」と似ていまして、特に龍造が父親フョードルと重なります。ただ、読書会の意見を聞いていて違うと思ったのが、親の子に対する思いでした。フョードルは自分が死んでも子供には一切金はやらないと言っていたくらい子供に無頓着で自分だけの快楽のために生きてきた男でしたが、龍造はまだ親らしいところがあって子供に土地を残してやろうと考えていました。また、秋幸が腹違いの弟を殺してしまったことを知ったときは部屋に引きこもってしまうくらい痛く悲しみました。
噂が先行して悪のイメージが出来上がってしまっていた龍造でしたが、実際のところはどうだったのかは物語にははっきり書かれていませんでした。


この本は三部作の第二部に当たる物語でして、第一部は主人公が腹違いの妹を犯してしまう内容、第三部は刑を終えた秋幸のその後を描いた内容だそうです。

物語全般にわたって暗い内容ですが、割とこういうパンチがある内容は好きだったりするので第一部の「岬」、第三部の「地の果て至上の時」を読んでみたくなりました。父殺しがテーマとなっていますので秋幸のその後の展開が気になります。



ところで、この小説は紀伊半島の田辺から熊野までの海岸線沿いが舞台となっていました。白浜から串本までをつなぐ枯木灘という海岸も実際にあります。

もう早いもので約8年前になりますが、この海岸線沿いをサイクリングで走ったことがあったので読んでいて情景が思い出されて非常に懐かしく感じました。

8年前の夏、私は和歌山のミカンが有名な有田から三重の松坂までを友達たちと一緒に走りました。
青春18切符を使って有田まで自転車を輪行し、さぁ走ってやるぞという思いを胸にスタートしたのですが、途中台風が直撃してひどい目にあいながら走る羽目になったのも今ではいい思い出です。
ただでさえこの海岸線沿いはアップダウンが激しく、海と山に囲まれた地形でしたのでより一層走りにくい道でした。
しかし、晴れた時のサイクリングは最高でして、特に覚えているのが紀伊半島の最南端の潮岬から見た夕日です。その日は串本のキャンプ場で泊まることにし、テントの準備が済んだあとに時間があったので潮岬に観光に行きました。とにかく疲れが吹っ飛ぶくらい綺麗でした
潮岬からの帰り道ではメンバーの一人のチェーンが切れてしまうというアクシデントが起こり、部品を買いに一人が少し都会の新宮まで行く羽目になったのもなんだか懐かしいです。
台風の日に辛い思いをしながら峠越えをできたのも周りの支えがあったからこそでした。一人だけだったらきっとくじけていたと思います。サイクリングをやってきた中で今までで一番きつかったのがこの台風の中の紀伊半島の峠越えです。あれを乗り越えられたんだからもうへっちゃらだという思いがメンバー同士で共有された一日でもありました。
皆バテバテになりながら松坂に到着した時には達成感に満ち溢れていました。


この小説を読んでいるとまた和歌山に行ってみたくなりましたが、さすがにまた自転車では勘弁です。車で行ったらきっと快適で綺麗な景色が見られるんだろうなと思います
陰惨な小説の内容とは真逆の舞台ですが、それは今だからこそなのかもしれません。昔はそれほど観光地かもしていませんでしたでしょうし、閉鎖的な場所だったのだと思います。
小説の舞台を訪れても当時とはまた雰囲気は変わってしまっているのでなかなか当時の情景を掴むのは難しいものですね