まほまほろば

まほろばのように日々の思いを書き綴った日記

のーべる

2018-10-09 21:34:02 | デューン
先週からノーベル賞の発表が続いている。

これを巷ではノーベルウィークと呼ぶのだそうだ。

ノーベル賞を受賞するということは大変名誉なことであり、知名度やインパクトに関してはあらゆる賞の中でもトップクラスだと思われる。



毎年思うのだが、なぜニュースでは日本人が受賞したかどうかに異常なまでにこだわっているのだろうか。

ひどいニュースの記事になると、日本人は受賞していないと書かれているだけであって、受賞の内容については全くふれていないものがある。
また、現在は日本国籍がなく、日本で暮らしていたことがある人まで日本人の受賞者リストに加えられていたりする。

あきれるばかりである。

ノーベル賞とは世界中の人類に対して多大な貢献をした礎を表彰するものである。

ならば誰が受賞したかではなく、なぜ、どのような内容で受賞したかの方がはるかに大事なことのはずである。

それを置き去りにして、日本人が受賞したと喜んでいるのはどうなのだろうか。

数十年前のまだ日本の国力があった時代の過去の遺産、つまり、過去の栄光に浸っているように思われるのである。

頭の中がお花畑状態であるのをそろそろ脱した方がいいのではないだろうか。

公開することについて

2018-10-02 21:50:50 | デューン
昨日から再びブログを再開することにしたが、正直なところ今後ブログを続けていこうか迷っています。

かれこれ12年ほど細々と続けてきたので今更やめるのはなんとももったいないという思いがある一方で、なぜ不特定多数の人に公開しないといけないのかという思いがあり、迷走しています。

もちろん、続けようと思えば続けることは可能でしょう。しかし、それに対するモチベーションの低下は甚だしいところがあります。


迷いが生じているからにはそれを解消していくべきなのでしょう。

このブログを始めた頃は私はまだ学生でして、あまり周囲のことを気にせず、思った通りのことを赤裸々につらつらと書いていましたが、働きだすようになってから徐々に周囲のことを気にするようになり、書きづらい内容が増えていきました。

また、この歳になってまだこんなことを書いているのかと後ろ指を刺されるような指摘を受けることに対して怖さや恥を感じるようになりました。

振り返ると、しがらみが増えました。昔に比べると行動もだいぶ慎重に行うようになりました。



いっそのこと開き直ることが必要なのかもしれません。

書きたいと思ったから書いたのだ、そして子供じみた内容かもしれないがそれでも構うものかと堂々としていればいいのです。

果たして今の私にそれほど堂々としていられるだけの根気があるのかどうかは不明ですが、解決策の一つにはなりそうです。

そうはいっても書いてはいけない内容はもちろんあると思います。いくら言論の自由があるとはいっても線引きはあるはずです。その線がどこにあるのかはもう少し考察する必要がありますが、少なくとも誹謗中傷は私は書きたくありません。自分にいずれ返ってくるからです。

時の権威や権力に対しては自由に書きます。難しいのが、利害関係に対してです。なまじ近しいところにいるということもありまして、下手なことを言いすぎると痛い目に遭い、孤立する恐れがあります。




思考を止めるな

2018-10-01 22:02:39 | デューン
だいぶ更新が止まってしまっていました^^;

安心してください、生きています。

言い訳になるかもしれませんが、ブログではなく、直にノートに手書きでは割と頻繁に日記にようなものは書き続けていました。

ただ、このブログに載せられる内容ではないものもなかには含まれているため、時間があったら過去の日記という形で編集をして載せたいなと考えています。

半年ぶりにこのブログに書いているわけですが、正直なところいつまでブログというものを続けようかと迷っています。

不特定多数の人に公開するということに違和感のようなものを感じ始めていまして、それだったら人には公開しない日記の方がいいのではないのかと考えたりもしました。

要は自分が日々考えたこと、感じたことを書き残しておければいいわけであって、方法は二の次なのです。


どちらの方がやりやすいか、いや、もっとやりやすい方法があるのだろうか。

とにかく私は考える時間を大切にし、それをなるべく書き残していこうと思います。

考えずに言われたままに行動する方が楽なのですが、なんだかそういう生き方もむなしくなりまして。

特に私は昔から素直すぎるのか、相手の言ったことを鵜呑みにしてしまう傾向があります。人にだまされやすい性格なんでしょうか。

だからこそ考えるのです。「カメラ」を止めるなならぬ「思考」を止めるなということで考える時間を増やしていこうと思います。