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まほまほろば

まほろばのように日々の思いを書き綴った日記

混乱

2014-03-02 21:01:28 | 本(漫画、小説)
最近、埴谷雄高の「死霊」を読んでいるのですが、話が高度な哲学的内容なので非常に難しく、しばしば頭を悩ませられます。
ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟の大審問官のエピソードに強い影響を受けてこの小説が書かれたということもあって、初めて大審問官のところを読んだ時と同様の脱力感を味わわされています。
虚体、意識、存在、宇宙論など意味不明な内容なので読んでいる時も頭が錯乱しそうになります。これはこういう意味だろうかなどと何度も読み返しながら解釈して読むので非常に疲れます。まだ読み途中で解釈がまとまっていないので感想はまた後で書きますが、まとめるのに時間がかかりそうで不安です。

この本を読み始めてから、常時頭が混乱した状態にあります。色んな思索が頭の中をかけめぐっており、収拾がつきません。特にあるキーワードがずっと頭に浮かんでは消えということが繰り返されて一体なんなんだろうと思ってしまいます。取り敢えず、これに限らず頭に浮かんだキーワードやらは紙に書いて整理していますが、折角なのでこれはこれで記録として残しておこうと思います。後々役に立つと嬉しいですね(^-^)

今年読んだ本

2013-12-17 20:00:33 | 本(漫画、小説)
今年も残すとこあと数週間となりました。

今月はバタバタしていて、年末年始も遠出していなくなるので少し早めに今年読んだ本を振り返ってみました。


今年は転職活動に勢力を注いでいたため夏の終わりくらいまであまり本を集中して読めませんでした。月によっては読書会の課題本1冊だけということもありました。特に長編ものはほとんど読んでおらず、一冊で完結するものばかりでした。

しかし、それでも面白く奥深い作品には出会えました。
今年読んだ中で特に面白かった三冊を選ぶとすると、

・カミュ「異邦人」
・シェイクスピア「ハムレット」
・夏目漱石「こころ」

になります。

どれも気の重たくなるような鬱屈とした物語でしたが、面白かったのは謎に包まれた主人公の内面世界を読み解いていくことでした。

この三作品の主人公は皆とにかく何を考えているのかがよくわからない人物でした。
人を殺した理由を尋ねられて「太陽のせいだ」と返答するムルソー、「生か死か、それが問題だ」と言って復讐をせずにやたらと長引かせ悩み続けるハムレット、人を信用できず暗い過去を背負って何十年も自殺をためらってきた先生。

それぞれに独特の個性があり癖の強い人物でしたがなぜか私は嫌いにはなれませんでした。おそらく読み解いていくうちに自分と似たような部分を見つけて共感するものがあったからだと思います。

物語を読んでいる時間、人の意見を聞いたり自分の意見を話したりする時間、ああでもない、こうでもないと頭の中で解釈を考えている時間、それら全てが濃密でした。



一方、今年読んだ本の中で謎が多くて未消化に終わったのが中上健次「枯木灘」とガルシア・マルケス「百年の孤独」でした。

「枯木灘」に関して言えば、とにかく登場人物が多くて相関図が複雑に絡み合っていました。田舎の狭い集落の中で発生するねたみ、他人の目を必要以上に気にする神経などの問題を扱っているのですが、背景知識もほとんどなくただただ物語の進行を読み進めるだけに終わった気がしました。この物語は三部作の二部に当たるので改めて一部、二部、三部と続けて読み通す必要があると感じました。

また、「百年の孤独」に関しては、読んでいて歪んだ空間をさまよい続けた印象を受けました。蜃気楼の村マコンドを舞台に百年に渡るブエンディア家の栄枯盛衰が書かれているのですが、これも物語の進行だけはわかりましたが、結局何を言いたかったのかが全くわかりませんでした。背表紙には「愛と孤独」と書かれていたのですが、読み解けませんでした。高く評価されている作品だけに自分の読解力の足りなさを実感しました。これはまた時間をおいて読み直し、他の人の意見も聞きながら解釈していきたいと思います。



最後に、来年は今年ほとんど読めなかった長編に積極的に挑戦したいと思います。今のところ一番読みたいのが埴谷雄高「死霊」です。前々から気になってはいたのですが、日本初の形而上小説であり超難解な物語ということなので非常に楽しみです。

道草

2013-12-02 21:15:51 | 本(漫画、小説)
夏目漱石著「道草」を読みました

これは漱石の自伝小説だそうで、過去の生い立ちから現在に至る経験を赤裸々に告白した内容でした。
具体的には幼少期に育ててもらった養父母や嫁の父親など親類関係から金をかしてほしいとひたすらたかられる話です。

物語は夏目漱石がイギリスの留学から帰ってきたところから始まるのですが、当時文部省の要請でイギリスに留学に行くということはエリートの出世街道まっしぐらだろうという世間の認識がありました。それ故親類関係の人たちはさぞお金を持っているに違いないと思い込み、漱石の家にやってきては金をせびるのですが、これは全くの間違いだったそうでして漱石はひもじい生活を送っていました。主な原因は書籍に費やす金が多かったからということと、勤め先の給料がそれほど高くなかったからだそうです。

結局は世間の認識と実生活のズレに困惑しながらもついついお金を貸してしまうのですが、その姿は優柔不断そのものでした。読んでいて貸さなければいいのにと思ってしまう場面が多々ありましたし、なぜ貸してしまうのかが謎でした。昔お世話になった義理のためだったのでしょうか。


また、この本を読んでいて終始感じたのは漱石の内面に潜む居場所のない孤独感でした。
漱石は生まれてすぐに養子に出され、幼少時代は養父母の元で育ちました。養父母からは半ば洗脳教育のようなものを受け続け、やがて元の両親のもとに戻って育てられたのですが、本当の自分の親は誰なのか、自分の居場所はどこにあるのだろうかということに悩んだそうです。この前「こころ」を読んだ時も同じように感じましたが、やはり生い立ちの実体験をほかの作品にも反映したのでしょう。

この本を読んで漱石のイメージがだいぶ変わりました。
てっきりエリートコースを歩み続けていたと思いきや実はそうではなかったこともそうですし、プライドが高く典型的な男尊女卑の思想の持ち主で筋金入りの頑固者ということも初めて知りました。
また意外だったのが、文壇デビューしたのが40歳近くになった時であったことです。それから胃痛と神経衰弱に悩まされながら死ぬまで約10年間書き続けたわけですが、多くの作品を書いて評価を残しているのでてっきり若くから書き続けていたと思っていました。


まだ数冊しか読んでいませんが、読めば読むほど夏目漱石の世界観というものに惹かれつつあるのが感じられます。他の作品も読もうと思います。読む順番とかもあるのでしょうか、詳しい人がいたら教えてください

こころ ~その2~

2013-11-25 22:52:13 | 本(漫画、小説)
前回の続きです。

夏目漱石著「こころ」を再読してみて「孤独」というキーワードが出てきましたので、これについて今度は自分の内面に関して深く掘り下げてみようと思います。

今一つの命題が与えられました。


「あなたは今孤独ですか」


これに対する私の答えは「今は孤独ではないが、そうなるかもしれない傾向がある」です。

孤独というキーワードから連想されるものとして、家族、親類、友人など様々ありますが、ここでは交友関係について考えてみようかと思います。



私は正直言って交友関係が広い人間ではありません。
閉鎖的で一匹狼なところがあるので狭いコミュニティーの中で狭く関わってきました。
もちろん、今まで生きてきた中での区切れ目において(例えば、中学校、高校などのような)今でも関係が途切れずに続いている人たちもいるのですが、それほど多くはないです。年々減ってきているような気がします。

このように書くと単に寂しがっているだけなのではないかと思われるかもしれませんが、重要なのは人数が少なくて寂しいとかそういう問題ではなく、私の人との関わり方にあるのではないかと考えるようになりました。

私の人との関わり方というのはあるときから気(波長)の合う人とだけ関わるというものになってきていました。第一印象で判断したりすることが多かったり、少し話してみて自分とは合わない、つまらないと判断したらもうそれっきりでした。

ただ、利害関係のある人たちとはそうは言っても関わり続けなければならないこともありますので、そういう人たちに対してはうまく表面上だけの付き合いはしていました。所詮上っ面だけの関係ですので利害関係がない状況ではそれっきりというものでした。この状態はよく言えば、公私上手く区別できているということですが、悪く言えば裏表が激しく二面性で本心では何を考えているのかよくわからないということになります。
太宰治著の「人間失格」の主人公のように私も似たような道化人間です。

このような関わり方をしてきた結果、私の交友関係は狭いものになっていったのではないかと思います。


ここで、人との関わり方について整理してみようと思います。

まず、相手を第一印象で3つのグループに分けます。

A:気が合いそうな人達
B:気が合わないだろう人達
C:気が合うかどうかわからない人達

さらに第一印象の後少し関わってみてからの印象で細分化してみます。

A-1:気が合うと思った通り合う人達
A-2:気が合うと思ったけど合わない人達
B-1:気が合わないと思ったけど合う人達
B-2:気が合わないと思った通り合わない人達
C-1:気が合うかどうかわからなかったけど合う人達
C-2:気が合うかどうかわからなかったけど合わない人達

※ここでの細分化ではやはりわからないという分類は省略します。


私の交友関係をこれに照らし合わせてみると、ほとんどA-1のグループと関わってきました。C-1もありましたが、少数です。
ここで注目したいのはB-1です。
私はここが自分から拒絶していたことも関係していますが、圧倒的に少ないです。

振り返って整理してみてわかりましたが、今までの私は非常にもったいないことをしてきたのではないかと思い愕然としました。自らの狭い価値観に則って選別してきた結果がこれです。

しかし、今までずっとこんな状態だったのかというとある一時期は違いました。
ユースホステルなどを使って旅をしていたときがそうですが、そのときは誰彼構わず取り敢えず関わってみてから判断することをしていました。
ただ、年を経るにつれ、器用になったというのか、効率良く「この人は○○だろう」と早くから決め付けてしまい、交友関係を選別するようになっていました。


偏った狭い考えを反省するばかりですが、重要なのは今後どうしていけばいいかということです。

私は偏っていた考えを改め、初心に帰ってもう一度まずは関わってみようと思います。
別に全てのグループの人たちと仲良くなろうとか八方美人を目指しているわけではありませんが、それでも多くの人たちと関わっていく中で面白い人たちに出会うこともあるでしょうし、交友関係を広げていこうと思います。

そのために最近意識的に色んな人たちに会って話すように行動しています。

今までに長く染み付いてきた癖があるので時間はかかるとは思いますが、それでも根気強く頑張っていきます




だいぶ「こころ」から話はそれてしまいましたが、再読してよかったと思います。
当時わからなかったことにも迫れましたし、思わぬ発見もありました。さらに将来の肥やしとして自分の内面を見つめ直す機会も得られました。

夏目漱石に興味が出てきたので来年は彼の作品群を一通り読んでみようと思います。



こころ ~その1~

2013-11-25 21:45:47 | 本(漫画、小説)
夏目漱石著「こころ」を読みました

こころを初めて読んだのは高校生のときで、久しぶりに読み直してみると当時わからなかったことや新しい発見がいろいろとありました。

物語の内容は3章構成でした。

1.先生と私:主人公の私と先生が知り合う
2.両親と私:私の父の危篤に伴い実家に帰省
3.先生と遺書:先生の過去が明らかになる

メインは第3章でして、ここで全てを明らかにするために1章で複数の伏線をはって進めていくやり方はミステリーを彷彿させるものでした。改めて文章構成がしっかりと練られているなぁという印象を受けました。


さて、肝心の物語の核心についてですが、一番謎だったのが「先生が自殺した理由」と「先生の友人であるKが自殺した理由」でした。
高校生の時に読んだときは単純にKは失恋、先生は罪悪感から自殺したのではないかと考えていましたが、改めて読み直してみるとそれだけではないなと思いました。
結論から述べますと、二人とも共通して根底に「孤独に耐えられなくなった」からではないかと考えました。その理由を以下に述べていきます。



まず、Kの自殺した理由についてです。

Kは先生の友人であり、驚く程真面目で自分の信ずる道に従って実直に生きる男でした。そんなKの好きな言葉は精進。親戚、両親からも勘当され見放されたKは友人の先生に頼りながらも半ば孤独に耐え、精進しながら生きていくしかありませんでした。

ところが、Kが先生と同じ下宿先に住み始めてからしばらく経ったとき自身の運命を決定づける状況に直面しました。

お嬢さんへの恋です(お嬢さんとは先生とKが下宿していた家の娘でして、美人で男心を弄ぶのが好きそうな小悪魔系女です。このお嬢さんに対しては先生も恋をしていまして、いわば三角関係でした)。

禁欲を重んじていたKにとって恋愛は馬鹿がするものとして忌み嫌っていましたが、そんな自分が恋をしていしまっていると気づいたKは己の信念と矛盾していることで大いに悩みました。

悩みに悩んだKは唯一の信頼できる友人である先生に相談することにしました。しかし、先生は相談に乗るどころか、Kにお嬢さんを奪われたくないという思いからKを陥れてしまいました。そのとき先生が言い放った言葉はかつてKが先生に言った「精神的に向上心の無い者は馬鹿だ」というものでした。先生の心の中に潜む悪の心が表面に出てまさに悪人になった瞬間でした(先生が私に言った「どんな善人でも悪人になることがある」という言葉は自身のこの経験を交えたことでした)。

信用していた先生からも見放されたKは一度手にした友情・信頼を失った喪失感もあって、もはやかつてのように孤独でも精進して生きられる人間ではなくなってしまい、孤独に耐えられず自殺することにしたのではないかと考えられます。

まとめますと、Kの自殺の理由は「自分の信念を貫けなくなった」、「孤独に耐えられなくなった」ということが複合した結果ではないかと考えました。特にこの孤独に関しては明治の知識人特有の悩みも関係していたようです。

日本は江戸時代までは個人よりも集団が重視されていました。個人は集団のために尽くし、集団の中に精神的にも組み込まれていました。いい例が殉死などです。自分が慕って仕えてきたものの後を追って切腹すること、これが美でした。
しかし、明治になり西洋の個人主義の考え方が導入されると今までの考え方が通用しなくなりました。集団から切り離された個人は初めて自己というものを意識するようになり、孤独を経験することになりました(江戸時代までは孤独という概念はありませんでした)。これらは主に知識人特有の問題でありまして、孤独の中でどのように生きていくのかというテーマを抱えていました。無論、先生やKも東京帝大生ということで同様の問題を抱えていました。



次に先生の自殺についてです。

先生はKと違ってつかみどころの少ない謎を秘めたわかりにくい人間でして、これは先生の過去に由来していました。
先生はかつて叔父に実家の財産を騙し取られた経験からどんな善人でも悪人になることがあると考え、人間が信用できなくなりました。

そんな先生でしたが、下宿先で出会ったお嬢さんに恋をし、最終的には結婚することになりました。
しかし、その過程で先生は恋敵であったKを陥れ、自殺に追い込んでしまったことに罪悪感を感じるようになりました。この良心の呵責とも言える感情は結婚後も続き、時にはKの亡霊とも言える悪霊が現れることもあり精神的に苦しみました。

そして、先生は自分が嫌になり、他人だけでなく自分をも信用しなくなってしまい、孤独に陥りました。

いつ死のうかと何十年も悩んでいた先生ですが、自分が生きてきた時代での一種の精神的な支柱・象徴でもあった明治天皇が崩御したことを受け、覚悟を決めました。
そして、自分の悩みを打ち明けるために信用できるかもしれないと考えていた主人公の私に遺書を託し、孤独から解放されるように明治の精神に殉死しました。ここで言う明治の精神というのは先ほど述べた個人主義のことを指しているのではないかと思われます。

まとめると、先生が自殺した理由は「良心の呵責に苦しんだ」、「精神的支柱が崩れた」、「孤独に耐えられなくなった」ということが複合した結果ではないかと考えました。



ところで、今回こころを読み直した時に先生の自殺の経緯を別の小説で読んだことがあるような気がしました。
何の小説だろうと思って自殺した登場人物を思い返してみたのですが、やはりありました。
それは、ドストエフスキー著「悪霊」の主人公スタヴローギンでした。
ここで、先生とスタヴローギンとの共通点を挙げてみます。

・つかみどころが少なく謎が多い
・悪賢い
・厭世的、ニヒリズムに陥っている
・他人を自殺に追い込んだ
・夢などに自殺させてしまった人の悪霊が現れた
・良心の呵責に苦しんだ
・最後自分の悩みを打ち明けた
・人を信用できない
・誰にも理解されず、独りで自殺

取り敢えず思いつく限り挙げてみましたが、まだあるような気がします。
これら類似点から考察するにおそらくですが、夏目漱石は「悪霊」を読んでいて少なからず影響を受けていたのではなかろうかと思われます。




<次回に続きます>