マヌケ便り

テレビ番組リサーチ会社の代表をしています。

一番星

2010-08-29 00:41:19 | Weblog
昨日の夕方、フラッと買い物に出掛けたら一番星が見えた。
思わず携帯を取り出し写真を撮った。
ポンコツなのに良く撮れたものだ。
わかるでしょ?
写真の真ん中で、キラリと光っている一番星が!?
あっ、光っちゃいないね?
写真だと白くなっているだけだ(笑)。

そこでなぞかけだ。
余り整ってはいないけど…。
一番星とかけて、カップ焼きそばと解く。
そ、その心は、ど、どちらも、UFOと間違いそうになる(コホン)。
こ、この程度だ、私のなぞかけなどは(涙)。
もうひとつあるけど書くのはやめた(苦笑)。

ところで私は、一番星を見ると思い出す人がいる。
祖母だ。
小学校の時に学校から戻って来て、ランドセルを玄関に投げ込んで遊びに行こうとすると、その祖母に、「一番星が見えたら帰っておいで」と言われていたからだ。
ヨ子と書いて、およねさんと呼ばれていた。
昔のおばあちゃんの恰好の呼び名だ。
その祖母は書道の先生をしていた。

先生と言えば、私の両親は教師で共働き。
だから私は、この祖母に育てられた。
とても穏やかで、叱られた記憶がない。
祖父もいたが、こちらも私が幼少の頃まで校長をしていた。
とても強烈で怖くて恐くて、どうしようもないクソジジイだった。
まぁ~あの祖母だから、あのクソジジイの伴侶でいられたのだと思う。

その祖母だが、生きていれば208歳くらいだろうか?
そんな訳はないな?
何か今、流行りのようなので…(笑)!?
大好きだった祖母だが、一つだけ嫌な部分があった。
物凄いケチだった。
だから私はその反動で、どうしようもない奢り癖がある。

洋七さんの、『佐賀のかばいばあちゃん』ではないが昔の人は皆同じなのだろう?
子供をかかえて、戦時中を生き抜いた人達だ。
倹約家というのか節約家というのか、まぁ~早い話がケチだ。
それで当たり前なのかも知れない。
周りを見ても友達の話を聞いても、私の時代の祖母というのは皆同じような感じだった。

その祖母だが、あの強烈な祖父の嫁でいたくらいだから恐いもの知らず。
私は確か小学校の4年生くらいまでは、祖母と一緒の部屋で寝ていた。
そんな小学4年の夜中の話なのだが、その日は台風の夜で夜中の1時頃に凄い風音で私は目が覚めた。
そしたら、隣の布団で寝ているはずの祖母の姿がない。
トイレかなと思い、暫く待っていたのだが一向に戻って来ない。

それでトイレまで行ってみたのだが、トイレにいないのである。
私は慌てて両親を起こした。
両親と私とで家の中はもちろん、家の周りも探したのに見つからない。
3時頃になって、両親が警察へ電話をしようと話している時に祖母が戻って来た。
台風の中、風で落ちた栗を拾いにお墓まで行っていたと言うのだ。
「夜が明けたら誰かに取られてしまうから」と言うので行ったというのだが、まっケチと言うところでお解りだろう?

ただ言っておくが、田舎のお墓などは昼間でも近づけないような不気味さがある。
そんなところでに、わざわざ台風の夜中に栗拾いはないだろうと、私もそうだが両親ですら呆れていた。
本当に化け物が出てもおかしくない様なお墓に、夜の夜中に出掛けて行く祖母こそが化け物かと思ったものだ(驚)。

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