マヌケ便り

テレビ番組リサーチ会社の代表をしています。

子供は死なないと思っていた

2007-11-21 00:03:10 | Weblog
 先般、友人のF君のライブ中に、一緒に行ったペイ太郎さん(アダモちゃんのそっくりさん)の携帯に訃報が入った。我々はライブを楽しんでいる最中だったからか、ペイ太郎さんはその辺を配慮してか、その日はその事には触れなかったのである。後で、ペイ太郎さんのブログを読んで知った次第だ。亡くなられたのは、近所の中学生の女の子と言うではないか。もちろん私は、その女の子のことは知らない。でも、とても残念な話である。

 私の幼少の頃のアルバムを捲っていくと、小学校入学以降、それまでいつも一緒に写真に写っていた幼なじみの里美ちゃんの姿がなくなっている。里美ちゃんは、小学校へ入学するほんの少し前に、猩紅熱と言う病気でこの世を去ってしまったのだ。今でこそ猩紅熱は死に至る病気ではない。でも当時は、こんな病気で簡単に死んでしまっていたのである。

 私は幼心にも、入学式にいない里美ちゃんに気づき、母親に、「どうして、里美ちゃんは一緒の小学校じゃないの?」と言ったのを覚えている。母親は、「里美ちゃんは、遠いところの小学校へ行ってしまったの」と涙を拭きながら、私にそう言い聞かせていたのだ。私は、里美ちゃんの家は近所にあるのに、どうしてそんな遠い小学校へいかなきゃならいのか不思議で仕方がなかった。

 小学校へ入学して暫くすると、他の友達から、「里美ちゃんは死んじゃったんだよ」と言う事を耳にするようになる。私はそのことがどういう事なのか理解できず、学校帰りに里美ちゃんの家に寄ってみることにしたのである。私が訪ねると、里美ちゃんの母親が出て来てくれた。私は、「おばさん、里美ちゃんは?里美ちゃんは死んじゃったの?」と、何も知らない無邪気さで聞いてしまったのだ。

 おばさんの答え方も、私の母親と同じだった。「里美は遠いところへ行ってしまったの」私は、「また会えるの?」と聞き返してしていた。おばさんは、「もう、もう里美には会えないの。でも写真の中の里美には会えるから、会ってやってくれる?」そう言われて通された部屋には、大きな額の中で笑っている里美ちゃんの写真があった。この間まで一緒に遊んでいた里美ちゃんだ。その写真を見て、「もう会えない」と思ったら無性に切なくなった。

 子供は死なないと思っていた。今でもこう思う。子供は死んじゃいけない。里美ちゃんの写真の前には、真新しい赤いランドセルが置かれてあった。母親の言葉を思い出した。「里美ちゃんは遠いところの小学校へ行ってしまったの」それで私は、「里美ちゃんの行った小学校は、ランドセルがいらないのかな?」と思ったものである。今思えばそれが、一度も小学校へは背負って行くことのなかった、赤いランドセルだったのだ。里美ちゃんは、このランドセルを背負って小学校へ行く日を夢見ていたに違いないのに…。

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