59歳「じージ」の癌治療日記

2005年11月、胃がんと診断された3人の孫を持つ59歳男性の治療記録

余命

2006-03-01 06:36:28 | Weblog

3月1日 
昔は癌患者に対しよく余命**年などと言ったものです。
これは 癌=死 の考えから出たものと思います。今ではこんな言い方はしません。しいて言うなら癌の種類や手術の難易度から今までの実績と経験を考慮して「術後の5年生存率」で患者の余命を判断します。5年間癌の再発が無ければ経験上癌が完治したと判断できるところからきています。
私の場合は胃がんで進行度ステージ3のB 他の臓器に転移は無いものの胃の周りの大動脈近辺にリンパ節の腫れが認められる状態です。手術をする場合は胃の全摘出とリンパ節の切除です。このリンパ節の切除が完全に取りきれるかどうかが問題で、多くの場合取り残しができ、そこから再発する危険性があります。私の癌の進行程度では5年生存率は40数%です。平たく言えば半数以上は5年以内に亡くなっていることを意味します。
最近の医療技術は進歩しているので胃がんの場合でも手術をすればほとんど良くなると一般に言われます。確かに胃がんの場合の術後5年生存率は70%を超えています。しかしこの数値は内視鏡による手術が可能な初期癌を含む数値です。癌は早期発見、早期治療が一番だとの考えが社会に浸透して人間ドッグ等にて早期に発見される患者が増えており、これらの患者の数値が全体の生存率を引き上げているわけです。私のように自覚症状が出るまでほおって置く人は珍しく、私の場合は平均的な生存率に惑わされないようにしないといけないと思います。
とは言え、私の状態でも50%近い確率で5年以上生きながらえることが出来るわけですからこの確立にかけて治療を続けているわけです。
昔から私はパチンコ、マージャンなど賭け事には弱く、競馬もやったことがありません。そんな私が最後に50%の治癒確率に人生を掛けることになりました。
患者にがんを告知するか否かに関しては以前より私は告知に賛成でした。妻は今でも自分は知りたくないと言っていますが・・・
私の場合はアメリカで癌を発見されごく普通に癌だと知らされました。知らせるほうが自然なら受け取るほうも普通に聞きました。ひょっとしたらと言う自覚症状もあったのでそれほど仰天するほどの驚きはありませんでした。昔は癌の告知は一般的ではありませんでしたが、今は日本でもよっぽどの事情が無い限り告知するようです。告知されなくとも患者は自分の体の変化が普通でないことや治療方法、周りの人の態度などで癌だと感じ取ります。ですから余計な気を使うことなく告知して治療に専念すべきと思います。告知をすべきもう一つの理由に患者に残された時間を有効に使ってもらう心の準備をさせることもあります。脳溢血や心臓発作などのように瞬時に死にいたる病気の場合は考える暇もありませんが癌の場合は幸いに時間があります。
前置きが長くなりましたが、治療もひとまず順調に推移しており心の平静さも取り戻した今、癌を宣告され残りの人生が何年か限られたものと自覚した時、人はどうするかを考えています。
どのように生きれば自分は満足するのか? 何かやり残したことややっておきたいことがあるのか? 周りの人は自分にどう生きて欲しいと思っているのか?
以前、びわの葉温灸の治療に行った時そこの先生に言われたことがあります。癌を治療するには 自分を毎日誉めてあげなさい、人を怒らないでください、自分と奥さんのやりたいことや夢を100項目以上挙げて、その実現に向けて2人で努力しなさい。さっそく、家に帰り女房とやりたいことや夢を書き出しましたがとてもとても100項目なんて出てきません。内容もどこか(観光、コンサート、美術館など)に行きたい、何かが欲しい、孫と遊びたい等、ごくありふれたものしか浮んできません。発想が貧困ですが仕方なくこれらの中から可能性のあるものから実現に向けて努力をしようと考えてみても、現実には難しいことに気が付きます。何か実行するには「体力」 「気力」 「財力」 「時間」が必要です。幸い時間だけは治療中の身であれば仕事をしているときに比べれば自由に使えます。しかし、体力、気力は当然落ちていますし、財力もこれからの治療生活を考えれば心配です。例えば世界の美術館めぐりをしたいと思っても体力的に無理だろうと思いますし、抗がん剤による免疫低下で感染症が心配で海外など行けません。それより何より病気になると気力が一番落ちてきます。健康な時に色々考えてやりたかった事でもその気が起きなくなります。
こうして平々凡々と治療を続けながら時間が過ぎていくのかなとの思いが今は強いですね。
結局は告知をされて時間が有っても有効にその時間を使うことが難しいことに気が付きました。
みなさんだったらどのような時間の使い方を選びますか?