2019年 九州への車旅後編です
★3/24(日)8:30出発 本日の走行距離133㎞
道の駅「山川港活お街道」➡JR西大山駅➡長崎鼻 龍宮神社➡かいもん山麓ふれあい公園➡開聞岳登山(924m)
➡R226➡枕崎市➡坊津➡南さつま市➡ゆうらく♨➡道の駅「きんぽう木花館」
JR日本最南端の「西大山駅」指宿枕崎線。1日に約16本の列車が停車する無人駅で、周りを畑で囲まれた静かな場所にありました。
ここから眺める開聞岳の景観は素晴らしい。
ホームから見える開聞岳。
開聞岳をバックに記念撮影。
列車が到着しました
ホームのミラーを利用して撮影。
駅横には幸せを届ける黄色いポストが。
駅前の売店で到着証明書を購入。
長崎鼻の龍宮神社
龍宮神社から見る開聞岳と私
開聞岳は鹿児島県の薩摩半島の最南端に位置し,標高が924mで日本百名山の一つ。
別名薩摩富士とも呼ばれ,まさに指宿のシンボルと言うにふさわしい美しい山。
何度も眺めているうちに頂上に登ってみたくなりました。
「かいもん山麓ふれあい公園」の駐車場に車を置いて、少し遅い登山開始(10:45)になりましたが頂上を目指しました。
5合目
8合目 道が険しくなってきました。
9合目 梯子やクサリの連続
頂上
頂上から望む大パノラマは圧巻で、霧島,屋久島,鹿児島の観光名所を一望出来ました。
知覧飛行場から離陸した特攻機は、この開聞岳頂上とほぼ同じ高度で飛び、開聞岳に敬礼して沖縄方面に飛んで行きました。
その時特攻隊員達が最後に見た故郷日本の景色はこんな感じだったのかな・・・と思うと、
とても切ない気持ちに成り、平和がいつまでも続く事を心の中で思いました。
下山後に下から見たの開聞岳
瀬平公園からの開聞岳
枕崎市から海岸沿いの道を坊ノ津方面に
「007ロケ地」付近から見る夕日はとてもきれいでした。
本日の宿泊地
★3/25(月) 8:15出発 本日の走行距離163㎞
道の駅「きんぽう木花館」➡R270➡大汝牟遅神社➡日置市➡R267➡人吉市➡青井阿蘇神社➡人吉城址
➡人吉温泉 元湯♨➡道の駅「錦」
朝目が覚めて駐車場を歩いていると少し離れたところに、岐阜のステップワゴンさんの車が有りました。
三回目の遭遇です。三度目のご挨拶をしてお別れしました。
今日は人吉市に向かいます。
大汝牟遅神社の参道東側に千本楠と言われる10数本の巨楠の森が有りました。
朽ちて倒れかけた楠は何とか持ち直して頑張って立っている。
明治43年に博覧会に出品した切株によると、樹齢800年以上と推定されたそうです。
NHKの番組で火野正平が自転車で訪れたそうです。
建造物としては日本最南端の国宝で茅葺の建物としては全国唯一の国宝です。
境内の庭ではチャボと思われるオスとメスが仲良く見合っていました。
右側の鳥がオスだと思いますが綺麗な色合いですね。
「違い鷹の羽」は我が家と同じ家紋です
人吉城跡は想像していたより大規模な城郭でした。
建物は残っていませんが、立派な石垣が目を惹きました。
本日のお風呂は人吉城跡公園駐車場の横にある「元湯温泉」に入りました。
入浴料200円ですが源泉かけ流しのとても良い湯でした。
本日の宿泊地。
★3/26(火)8:15出発 本日の走行距離192㎞
道の駅「錦」➡R219➡八代市➡R3➡宇城市➡R266➡天草五橋➡R324➡天草キリスタン館➡道の駅「有明」(温泉併設)
今日は八代市経由で天草へ向かいます。
人吉市・八代市間の球磨川沿いに走るR219(人吉街道)は信号が少なく景色が良く快適な道でした。
天草は大小120余りの島々からなる地域で天草の乱で有名な歴史と文化、風景に恵まれた地域です。
途中で食べたラーメン。「ラーメン○福」。特にコメントなし。
天草五橋を渡り天草市へ
天草市の「天草キリシタン館」を訪れました。
天草の乱など悲し歴史をじっくり学ぶことが出来ました。
来た道を少し戻り本日の宿泊地に早めの到着です。
日帰り温泉併設です。本日「26日ふろの日」で100円引きで入浴出来ました。ラッキー!
車の中でくつろいでいると誰かがノックを。
ドアを開けてみると、なんと「岐阜のステップワゴンさん」でした。
ここの道の駅に宿泊中で四回目の遭遇です。度重なる偶然に驚きです。
★3/27(水) 8:30出発 本日の走行距離224㎞
道の駅「有明」➡祇園橋➡R324➡富岡城址➡R389➡大江天主堂➡崎津協会(崎津集落) ➡R266➡道の駅「不知火」(温泉併設)
祇園橋です。アーチ式石橋
島原・天草一揆では一揆勢と唐津藩の守備軍とが壮絶な死闘を繰り広げ両軍の遺体で川の水が堰き止められたそうです。
富岡城址
島原・天草一揆の激戦地
本丸からの眺望がすばらしい
残念ながらビジターセンターは定休日でした。
大江天主堂
キリスト教解禁後、天草で最も早く建てられた教会で白い天主堂がきれいでした。
崎津集落の崎津協会
ゴシック様式の教会でその堂内は畳敷きになっている。
崎津諏訪神社から望む建物は見事でした。
来た道の反対側の海沿い道をドライブして本日の宿泊地に到着
温泉併設の道の駅「不知火」。JAF割引で100円お安く(400円)入浴出来ました。
★3/28(木) 9:00出発 本日の走行距離81㎞
道の駅「不知火」➡R3➡熊本市➡熊本城➡霊巌洞➡県道31➡田原坂西南戦争資料館➡R208・県道16➡道の駅「きくすい」(温泉併設)
今日は55年前に父が連れてってくれた熊本城の見学です。
熊本城近くの駐車場に車を停めて城内に入ろうとしましたが、数年前の熊本地震の復旧工事がまだ行われており中に入れません。
もうは入れるのとばかり思っていたので残念。
事前のリサーチ不足でした。
市役所の8Fロビーから見る復旧工事中の天守閣と周り。
馬具櫓
加藤清正像
熊本城の復旧基本計画は20年を中期、100年を長期とされまだまだ続きます。
宮本武蔵のゆかりの地『霊巌洞・五百羅漢』を訪れました。(熊本市内から車で約30分)
晩年の5年間を熊本で過ごした宮本武蔵が、この洞窟にこもって兵法書「五輪書(ごりんしょ)」を書いたそうです。
苔むした五百羅漢が当時を思い起させます。
外国人も訪れていて話を聞いてみると宮本武蔵は海外でも有名な人物だそうです。
次の目的地は西南戦争最大の激戦地『田原坂』と『田原坂西南戦争資料館』
資料館は、日本最後の内戦 西南戦争で17昼夜にわたる戦闘が繰り広げられた激戦地 田原坂近くにあります。
資料館のある田原坂公園には、激戦の跡が生々しい弾痕の残る家(復元)や慰霊塔も建っており、
訪れた時は桜がほぼ満開の状態で多くの人が花見を楽しんでいました。
田原坂は江戸時代から玉名と熊本を結ぶ幹線道路で、道幅は約4m。熊本城の開放を急ぐ政府軍は大砲や多くの兵卒を運ぶため、
田原坂をおとさなければならなかった。
薩摩軍は地形を利用し一大陣地を築いて猛攻を加え、最後まで正面突破を許さなかった。
死闘は17昼夜におよび、戦争全体の戦死者約一万四千名の内、およそ四分の一にあたる人々が田原坂の戦いで命を落としました。
雨は降る降る じんばは濡れる 超すに越されぬ 田原坂
既に15:00を回っているので本日は資料館を見学して、明日ゆっくり田原坂周辺を散策する事にしました。
本日の宿泊地 道の駅「きくすい」日帰り温泉併設・隣にコンビニあり
★3/29(金) 8:30出発 本日の走行距離83㎞
道の駅「きくすい」➡田原坂周辺散策➡R208➡玉名市➡いだてん大河ドラマ館➡金栗四三住家➡金栗四三生家記念館➡金栗四三かけあし登校➡南関第三小学校➡三加和温泉ふるさと交流センター➡道の駅「きくすい」(連泊)
今日は田原坂周辺を散策します
田原坂の昇り口に残る豊岡眼鏡橋の石橋と案内パネル
一の坂
両側の竹藪に薩摩軍が待ち伏せ。そこを政府軍が進み激戦が繰り広げられた。
二の坂
三の坂
谷村計介之碑
七本官軍墓地
横平山戦跡公園(山頂まで車で行けました)
大河ドラマ館(入館料600円・駐車場は別途有料)
出演者のパネルやロケの貴重なメイキング映像の上映、ドラマのために作られた小道具や衣裳などが展示されていました。
毎週大河ドラマを見られている方には目新しい内容は少ないと思いました。
金栗四三生家(熊本県和水町)
金栗の家は代々続く旧家で、築200年以上を経過した彼の生家が現存しています。
ここには金栗が勉強に使っていた「学校部屋」なる小さな部屋がありました。
金栗四三が毎日「かけあし登校」していた「金栗四三ロード」を走って(車で)玉名北高等小学校(現在の南関町立南関第三小学校)まで巡って来ました。
金栗四三住家(池部家)
金栗四三は1924年パリ大会を最後に競技の第一線から退いた後も、東京で女学校に勤めながらマラソンや女子体育の振興に力を注ぎました。しかし、長兄(ドラマでは中村獅童)の死を契機に39歳で上小田に帰郷、学校対抗のマラソン大会や駅伝競走を企画するなど県内外でマラソン普及に奔走しました。その後、幻の東京オリンピック準備のため上京し8年ほど東京で暮らしますが、53歳で再び帰郷。以後、1983年に92歳で生涯を閉じるまで玉名市上小田で暮らしました。
当日は偶然、金栗四三さんのお孫さんが来られ、お目に掛る事が出来ました。
この井戸で水を汲み毎日浴びていました。 『 シャ~~~!! 』
本日も道の駅「きくすい」お泊りしました。
★3/30(土) 9:00出発 本日の走行距離32km
道の駅「きくすい」➡荒尾メモリアルパーク➡大牟田市➡三池炭鉱宮原抗➡父実家泊
二晩お世話になった道の駅「きくすい」を後にして、父の実家がある大牟田市に向かいます。
大牟田市と言えば知る人ぞ知るあの有名人の出身地です。
今から54年前の昭和40年(1965年)の夏、大牟田市の三池工業高校は高校野球福岡県予選を勝ちあがって甲子園初出場、
そして、あれよあれよという間に全国的にも知られる強豪校を打ち破って見事に初出場初優勝。
因みに1回戦で優勝候補だった高松商(香川)に延長13回の末、2-1のサヨナラ勝ち。東海大一(静岡)、報徳学園(兵庫)、
秋田を退け、決勝戦の銚子商(千葉)も2-0で振り切った。
特に選び抜いて集められた選手でもなく、身体的にも見劣りのする弱小の三池工を鍛え上げ、優勝に導いたのは原貢監督である。
そうあの東海大相模高校から巨人軍に入って4番、そして監督を務めることになる息子原辰徳のお父さんです。
その時原辰徳はまだ小学生で、選手たちからは「たーぼう」と呼ばれてかわいがられていたそうです。
大牟田市は過去、炭鉱で栄えた町で三池炭鉱関連の遺産・遺構が多く残っています。
宮原抗を見学(見学料&駐車場無料)
三池炭鉱専用鉄道敷跡
55年前に従妹と一緒に遊んだ近くの神社
ご先祖様にお参りしたらそのまま失礼しようと思っていましたが、引き止められ本家に泊まる事になりました。
多くの親戚が集まって頂き大宴会となりました。
有り難いことです。感謝、感謝。
★3/31(日) 9:30出発 本日の走行距離192㎞
大牟田市父実家➡R209➡鳥栖市➡R200➡黒崎➡R3➡門司区➡関門トンネル➡下関市➡R2➡山口市➡持世寺温泉 杉野湯➡道の駅「きららあじす」
楽しかった九州一人旅も帰路に付く事になります。
叔母さんと従妹に別れを告げてR209・R200・R3を北上、関門トンネルを潜り本州に戻りました。
ここからは暫くの間、R2を走ります。
所々渋滞に会いましたが比較的スムーズに走行する事が出来ました。
持世寺温泉 杉野湯で汗を流しました。
のら猫を保護しているのか沢山の猫ちゃんが居ました。
浴槽が二つの日帰り施設で1時間495円と面白い料金設定です。
浴室はお世辞にもきれいと言えずもう少し清掃したら良いと思いました。
お湯自体は悪くなく、特に暑いお湯に入った後に入る冷泉はとても気持ち良かったです。
3回位繰り返しました。
本日のお宿 道の駅「きららあじす」
★4/1(月) 9:00出発 本日の走行距離367㎞
道の駅「きららあじす」➡R2➡岩国市➡広島市➡R31➡呉市➡大和ミュージアム➡R375➡➡東広島市➡R2➡岡山市➡岡山ブルーライン(県道397)➡道の駅「一本松展望園」
朝のトイレに行ったら鳥防止用のネットにツバメの子供が引っかかっていました。
道の駅係員に話したら脚立を持ってきて救出を・・。
中々外れず親鳥も心配。

最後はネットをハサミで切って救出しました。
良かった良かった。!
R2から少し外れますが「大和ミュージアム」に寄りました。
ゼロ戦が展示してありました。
道の駅「一本松展望園」を目指します。
R2からバイパスの「岡山ブルーライン」を走行。
県道とは言っても高速道路並みの規格を持った自動車専用道路で現在は無料。
R2のバイパスとして非常に快適な道でした。
本日のお宿 道の駅「一本松展望園」
★4/2(火)7:00出発 本日の走行距離423㎞
道の駅「一本松展望園」➡岡山ブルーライン(県道397)➡R2➡姫路市➡神戸市➡R43➡大阪市➡R163➡伊賀市➡R25➡亀山市➡R1➡四日市➡R23➡名古屋市➡R23➡蒲郡市➡R23➡湖西市➡湖西アメニティプラザ➡道の駅「潮見坂」
道の駅「一本松展望園」から望む日の出が綺麗でした。
R2は比較的快調に走行出来ましたが大阪市内を抜けるのに相当時間が掛りました。また四日市と名古屋でも渋滞でした。
この3地域の渋滞をどう避けるかで所要時間が大きく変わるでしょう。
本日は何処にも寄らず移動のみの日でした。ちょっとお疲れさんです。
今まで知りませんでしたが道の駅「潮見坂」から10分位の所に日帰り入浴施設が有りました。「湖西アメニティプラザ」は温泉ではありませんが料金は大人210円で、サウナ・シャンプー・ボディーソープもあり大きな駐車場があります。
本日の宿泊地は常宿の 道の駅「潮見坂」
★4/3(水)7:00出発 本日の走行距離313㎞
道の駅「潮見坂」➡R1➡浜松市➡掛川市➡富士市➡R139➡富士吉田市➡大月市➡R20➡八王子市➡R16➡自宅(16:15)
長かった車旅も今日が最終日。道の駅「潮見坂」を出発。
安全運転第一で走行します。
いつもの道の駅「かけがわ」で休息。
いつか食べようと思っていた吉田うどんを食べました。
「ふじや」の「ふじやうどん」腹いっぱいになりました。
無料のレンコン
暗くなる前に無事に帰宅しました。
初めての長期での一人車旅で不安な気持ちで出発した旅でしたが、途中で出会った人々との暖かい交流で乗り切れました。
さて、次は何処に行こうかな!。