十四)すれ違った男「哀しき夕陽、作者 能瀬敏夫」より さて、ビロビジャンのこの収容所に落ち着いて、最初は病院からの弱兵ということもあって、比較的軽作業に回されていたが、何回か人員が入れ替わり、作業場が変る度に、労働の度合いは徐々に軽から重へと変っていった。 ある日、作業への出発前の朝のゼムランカに、突然政治部将校が訪れた。此処では政治部将校の権限は絶対なので、「これは何かある」と直感した。 彼は、舎内の暗がりをまっすぐ進んで、一番奥のペチカの前に立った。 私は平静を装いながら彼の前に歩み寄り手を差し伸べた。彼の手を握りながら、「今度は何だ 」と、怒りを込めて問いかけると、 彼の眼鏡の奥の目がにっと笑って、無頓着に紙片を広げて読み始めた。 「今日から、次に読み上げる者は、ノーセの組に入り、石切山の作業に参加する。」 石切山の作業は重労働の部類に属し、ノルマもなかなか厳しいと聞いていたが、私は五十名の兵を割り当てられて、この難作業に挑むことになった。 早速当日から石切山に向かうことになった。ショベルやつるはしを背に、五十名の隊列がラーゲルを出る。 先頭に歩哨が、そして最後尾に歩哨とナチャーニック( 監督) と私が続く。 此処でもナチャーニックは例の髭の老人ニ コルフであった。 ニコルフについて、他のナチャーニックは畏敬と憐れみのまなざしで云う。 「彼は、元々帝政ロシヤの貴族の出なのだ」 今は共産主義国家の全盛期、彼が、原因はともあれ、流刑地シベリアの地で飄々と生きているのには、それなりの意味があるのだろうと思う。私が見る限り、この枯れ木のような老人には、身についた気品のようなものがあり、幼少の頃からの慣わしの様な清潔感が身についていた。 世は正に共産党の全盛期、その表徴であるスターリンについて聞いてみると、彼は即座に手で払いのけるように云う。「ニホヤ( 駄目だ) 」と、吐き捨てた。シベリアといえ、このソ連邦の中での話である。 私は徐々に、この枯れた老人に親父に接するような親近感を覚えるようになっていた。だから、作業場への進行中も、最後尾を彼と並んで歩いていると、唯それだけで何となく爽やかな空気の流れを感じるのである。 途中荒削りの道路が急に狭まった辺りに、丸太作りの小さな橋が架かっていた。これを渡ると直ぐその先には石切り山の頂上が見えるはずである。 四列の縦隊が、約束事のように此処だけは二列になって進む。 隊列が渡り、最期に私とナチャーニックが渡ろうとすると、その脇をすり抜けるように 反対側から一人の住民が渡っていった。 私ははっとした。 その住民が、あまりにも日本人的な雰囲気を持っていたからである。 服装は完全にソ連農民である。麻袋を背負い、全く私らには目もくれず、下を向いたまま渡っていった。 然し、私はすれ違う瞬間のなんとも言えない雰囲気で、これは日本人だ、と感じてしまった。日本語で呼びかけると、何の抵抗感もなく微笑を返してくれる、そんな不思議な雰囲気を感じていた。 突然ナチャ―ニックが独り言のように云った。「ャポンスキーだ( 日本人だ) 」 私ははっとして彼の顔を見た、 彼は当然のように、一寸肩をすくめて歩き続けた。 私は咄嗟に片側によると、屈み込んで靴紐を解いた。歩哨が慌てて振返って寄ってきた。 私はかがんだまま靴紐を直しながら、咄嗟に地面に向かって叫んだ「とうほくか 」 兵隊らが振返り、歩哨もきょとんと側に立っている。 私はゆっくり立ち上がると、遠くで振返ったらしい雰囲気を感じ、微かに「んだぁ」と 聞こえたような気がした。 私はハルピンでも、入ソ後も随分多くの東北人に囲まれていたが、特に青森県人の整った顔には独特の雰囲気があるように思う。 今すれ違った顔は、正にあの顔だったのである。 戦前のノモンハン事変の頃、チチハル陸軍病院は、野戦病院としての機能を遺憾なく発揮したという。前線から送られてくる夥しい数の負傷者が廊下に溢れ、看護婦も衛生兵も昼夜を分かたず活動したという。そんな伝説的な話題の中から想像しても、負傷して意識不明のままシベリアに残された日本兵のいたことは容易に想像出来るのである。 当時の、思想的にも厳しく訓練された日本の軍律に阻まれて、自らの戸籍すら抹殺した者が居なかったとは言えないのではなかろうか、 私は、この日の作業の帰途、例のナチャ―ニックに話してみた、 彼は、前を向いたまま暫く歩いてから、ふと立ち止まって、一寸肩をすぼめて見せた。 その、ナチャーニックの小さな動作が何を意味するのか、 「そっとして置いてやれよ」とも、「無駄なことだ」とも受け取れる微妙な動きであった。 自らが革命に敗れて、彼自身も今シベリアに居る。そんな男の全てを見通した素直な意見であったような気もするし、シベリアの大地に溶け込んで生き続けようとする、そのことへの、男としての思いやりであったような気もするのである。 終戦を境にして、私等の心は一変したけれども、私にも戦陣訓の重みが、何にも増して尊いと確信していた時期があった。生きて辱めを受けないことが、日本人として唯一残された体面であることを訓えられた。そして多くの軍人がそれに忠実であろうとして死んでいった。故国を捨てたのではない、親、兄弟を捨てたのではない、故国のために、親兄弟を守り抜く為に、自らを滅することが出来たはずである。 その夜私の頭の中には、あの男の顔が何時までもちらついて離れなかった。何時もなら泥のように眠るはずの私の中に、隙間から漏れる細い光のように、周囲の無遠慮ないびきの谷間を、一層研ぎすまされているようであった。 私の中では、今日あの陸橋で出会った労働者風の男が、既に完全にシベリアの住人になりきっているらしいことに安らぎを覚えた。 この暗いラーゲルの中の一点を凝視しながら、いつの間にか私自身が彼の心に移り住んでいるようであった。 のどかな田園風景が広がり、その中に麻袋を背負った彼が立っている。どちらに向かって行くのであろうか、彼は暫く立ち止り、うずくまり、やがてゆっくり立ち上がり、其の侭きびすを返し、遠い雲間に消えていった。 (シベリアへの抑留、極寒の地での凍土と病いとの戦い。生き抜いた者達へ渡された 「帰国の途」という切符とは・・・チチハル陸軍病院経理勤務、そして終戦。ハルピン への移動・・・、病院開設・・・。傷病兵、難民で施設はあふれ、修羅場と化した。 「哀しき夕陽、原作 能瀬敏夫」) https://07nose.wixsite.com/bethesda-kashiwa
「2021年「台湾文旦」好評予約販売中」
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【賛美】いつもいつまでも
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당신이 함께
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【賛美】善き力にわれ囲まれ
By loving forces
선한 능력으로,ENG/KOR sub
covered by Seekers
Eng,Korsub)
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