台湾食材 BETHESDA KASHIWA

美味しい台湾食材をはじめ何だかんだ日々のこと書き綴ります。
クリスチャンファミリー

八)そしてシベリアへ「哀しき夕陽、原作 能瀬敏夫」より

2021-08-15 01:01:17 | 祈り
 八)そしてシベリアへ「哀しき夕陽、原作 能瀬敏夫」より  この収容所は、シベリアへ送られるまでの仮の住まいであった。今まで陸軍病院の中の主計として千人に近い患者や職員の食糧調達に腐心していた私達も、ここでは一様に被収容者として、浮き草のようにあてのない生活を送ることになった。  収容所は比較的頑丈な建物で、周りには三重に有刺鉄線が張り巡らされ、私たちはその二階の広い一室に雑魚寝の状態で起居することになった。  翌朝屋上に出てみると、見知らぬ中国人がゆったりと身体を動かして太極拳を舞っていた。それは正に舞うというに相応しい優雅さと自信に溢れていた。あの痩せた骨格の何処から出るのかと思うほどの気迫が、朝の空気いっぱいに溢れていて、それを見る私も捕われの身を忘れて清々しい気分に浸った。  噂では中国政府の要人だとのことであったが、何故中国の中で中国政府の要人が、ソ連軍の捕虜としてここに居るのかと判断に苦しんだが、実はこの時戦勝国として戦争を終結したはずのこの中国で、既に蒋介石が率いる中央政府軍と、同じ中国の中共八路軍と呼ばれる毛沢東の率いる中共解放軍との間で、随所に小競り合いが続いていたのである。その中共軍と主義を同じくするソ連軍が、政府軍の著名な将軍を捕えても何の不思議は無かったのである。  夕食後、西谷君と再び屋上に出た。この時私は既に彼の脱走の決意を知っていたから、それとなく建物の形態、鉄条網の状況、庭の輪郭、距離などを彼と共に克明に頭に入れた。  翌日も、その翌日も、同じようにこの建物を取り巻くあらゆる状況を事細かに観察した。  彼は、月の光がもたらす建物の陰影、その鉄条網までの距離、駆け出す瞬間から鉄条網を潜り抜けるまでの時間、それを抜け出す方法、抜け出してから第一の拠点{枯れ草が積み上げられている} までの距離と時間を、何度も計算して紙切れに書き込み、頭に入れていたらしく細心の計画を練っているようであった。  さて、当日私らは二階広間の中央あたりに、隣り合わせにごろ寝をした。  消灯後彼はそっと私の耳元に口を寄せると、青白い顔をゆがめるようにして云った。  「コンヤケッコウシマス」 私は無言で頷いた。彼の少し伸びかけた口髭が震えたようであった。」 「ヒガシホンガンジニイマス。モシ、デルヨウナコトガアッタラキテクダサイ」 消灯後の暗さの中で、月影だけが屈曲した線を作って、窓からみんなの寝姿の上を這っていた。 彼は補充兵の出身であったから、勿論私よりは年上だし、大学教育も受けたインテリでもあった。斉々哈璽では凡そ一年間同じ室に起居を共にした中だが、いつも一歩下がって何くれと無く私を立ててくれた。以前には哈璽浜に居たらしく、「東本願寺のお母さんには随分お世話になった」と、話したことがある。年頃の娘さんが居ると聞いたから、それも脱走を決意したことの一因であったのかも知れない。 彼は何時の間に手に入れたのか、毛布の下で器用に軍靴を脱ぐと地下足袋に履き替え、上衣の裾をバンドで強く締めた。余分なものはみんな置いて、兎に角身一つで確実に脱走することを何よりも優先して考えているようであった。 眠りにならない眠りのうちに時は刻々と過ぎていった。 彼がこの三日間に確認した克明な脱走計画の最後の鍵は、今中天に浮いている月の動きにあった。十一時三分、それが彼があの鉄条網を抜けるはずの時刻なのだ。彼は私の右手をそっと握り、無言のまますべるように毛布を抜け出して廊下に出た。 私も少し遅れて廊下に出ると、彼とは反対側の屋上への階段をのぼった。屋上から見る月は青く鋭く地平を照らしていた。建物の周囲を巡回するソ兵の姿がおもちゃのように小さく見え銃剣がきらりと光った。 その衛兵が暗がりに入り、暫くすると再び暗がりから衛兵が姿を見せ、一瞬くるりと向きを変えると、自動小銃の激しい乱射が続いた。すると、第一の目標、枯草の山に向かって黒い塊が風のように跳んだ。 あとにはソ兵の甲高い怒声が続き、ひとしきり自動小銃が闇に向かって青白い光の線を交錯した。その後は急に静まり返り、私の目の先に幻のように枯草の山が浮んだ。 一方室内は、一斉に点灯されて、ソ連監視兵による非常点呼が行われた。その隊長が壇上で言う。「いま三名の脱走者があったが、全員衛兵が射殺した。」 「二度とこのような脱走者が出た場合、今度は指揮官であるお前を射殺する。」 壇上から指差された指揮官飯島中尉は、黙って敬礼を返し、白髪交じりの顎鬚をさすると、そのことには一言も触れずに解散を命じた。 飯島中域は兵隊からのたたき上げ将校だが、それにしてはあまりにも人間的過ぎるきらいがあった。軍人として指揮を取るときの彼よりも、俳句仲間の宗匠としての飯島さんの方が遥かに彼らしい。 次回の銃殺を宣言されて平然と敬礼を返し、全く平常と変わりなく、何時ものように身体を左右に振りながら自室に向かう彼の姿は強く私を惹きつけ、私は揺れ動く心に歯止めして、この指揮官と行動を共にすることを心に誓った。 この日の脱走者三名が何れも無事であったことは、翌日ソ兵とともに街に出た通訳が、変装した通行人の通報によって確認した。    私らが突然の帰国命令でこの収容所を出ることになったのは、それから数日後のことであった。 街に出た連中のことも気になり。特に、病院を強制退去させられた女子軍属のその後の生活が気になったが、突然の移動命令ではどうしようもなかった。 「お前らは、これからニッポンに帰国する」と、どの衛兵も口裏を合わせたように同じことを言ったが、実は誰もそんなことは信じてはいない。しかし、心の片隅では、もしや、と希望的憶測が何時も頭にこびりついて離れない。 この日も寒い、どんよりとくすんだ日であった。私らは隊伍を組んで出発した。リュックを背負う者、手製のかばんを下げる者、雑脳と水筒を後生大事に身に着けるもの、私らの列は長々と凍土の街を哈璽浜駅の引込み線に向かって進んだ。 街中に入ると、私達の列の両側には重なるような人混みが出来た。その中には出発を聞いて駆けつけた多くの脱走兵や、看護婦、それに女子軍属の顔も見え隠れして、小さく手を振る者もいた。念じるような、祈るような、詫びるような目もあった。 勿論隊列の両側には、衛兵が銃剣を構えて警戒しているが、私はその重なるような人混みの中に何人かの懐かしい瞳を捕えた。互いに無事を祈る、言葉よりも確かな別れの挨拶であった。 引込み線には有蓋貨車が長々と続いて私らの到着を待っていた。 私は呼び出されて、これからの輸送の給食責任者を命ぜられた。そこで私は斉々哈璽以来行動を共にした、藤根、大阪屋、土橋、大橋、斉藤などといった、主に東北出身者を給食担当者として選んで指揮を執ることにした。 私が特に東北出身者を選んだのは、彼らの強い仲間意識と、東北人独特の純朴な温かさを尊重したからである。 貨車には五右衛門風呂のような鉄釜が二基並んで、周りには給水用のドラム缶が三本と、ニュームのバックが十五、六本、それに麻袋入りの米と、その米に混入する一斗缶の油脂が数個置かれていた。 向かって左側は三段に仕切られ、これはいわばベッド代わりで休息の場でもあった。 出発を前に各車輌の員数表を手渡され、他の貨車同様入り口の扉が閉められた。その扉と貨車との間には十センチほどの空間があり、ここには木製のトイレ流出口が斜めに取り付けられ、その両側から鉄の扉ががっちりと止めていた。 貨車の上から二十センチほどのと処には、三十センチ四方の換気口があり、これにも有刺鉄線が縦横に張られていた。 外界と車内との空気の流通は、この換気口とトイレ用に作られた木製樋の間隙によって行われるのだが、外からの空気は夕暮れと共に刻々と寒さを増してきた。 貨車が哈璽浜を発って第一回目の飯上げは、十時間も後の時間が設定されていたから、当然夕食の時間は過ぎているはずであった。 充分に米の量は積み込まれているのに、何か不合理を感じたが、それにはそれなりの彼らの計算があったことを後になって知るのである。シベリアとの国境いでもある黒竜江を渡るまでは、停車時の脱走を警戒して扉を開ける危険避けたのである。 貨車はがたんと重い衝撃で動き出す。扉の隙間の風景が走馬灯のように変ると、視界からたちまち町並みが消えていった。 貨車が走り出してから執拗に小型の磁石を見詰めていた藤根が、突然素っ頓狂な声をあげた。「こりあぁ,だめだ」 東に向かって停止するはずの指針が、いつまで経っても方向を変えないのだ。 「ばかぁ、あたりまえだべさ」 大阪屋が自嘲気味に言った。 みんなと同様、私の心の底にも僅かながら残っていた望みがぶつりと切れて、改めてシベリアの白い茫漠とした平原が瞼の裏に広がっていった。 (シベリアへの抑留、極寒の地での凍土と病いとの戦い。生き抜いた者達へ渡された 「帰国の途」という切符とは・・・チチハル陸軍病院経理勤務、そして終戦。ハルピン への移動・・・、病院開設・・・。傷病兵、難民で施設はあふれ、修羅場と化した。 「哀しき夕陽、原作 能瀬敏夫」) https://07nose.wixsite.com/bethesda-kashiwa
「2021年「台湾文旦」好評予約販売中」


にほんブログ村 ブログブログへ



葦のかご教会水曜讃美祈禱会(2021年7月21日)能瀬熙至兄弟
https://www.youtube.com/watch?v=_M4MP_KELdI/
 
 
【賛美】主の計画の中で
Seekers (Within Your Plan
주님의 계획속에서
https://www.youtube.com/watch?v=NjUEbhpxJYE&feature=youtu.be

【賛美】いつもいつまでも
Seekers (Always andForever
항상영원히까지
https://www.youtube.com/watch?v=MsfDBkdK3XQ&feature=youtu.be

【賛美】あなたが共に
Seekers (Together with God
당신이 함께
Eng,Kor sub)
항상영원히까지
https://www.youtube.com/watch?v=xTuqgreT0hg&feature=share

【賛美】善き力にわれ囲まれ
By loving forces
선한 능력으로,ENG/KOR sub
covered by Seekers
Eng,Korsub)
항상영원히까지
https://www.youtube.com/watch?v=2tCshyJunSM
 
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 七)哈璽浜の二月「哀しき夕陽... | トップ | 豪雨の中でセミが鳴く »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

祈り」カテゴリの最新記事