【ベテスダの池とは】よくなりたいか?
認識の無い病を抱えて生きる者か?
病の認識を持って何も出来ずに
生きる者か?
ベテスダの池に集まる者は
病を悟り(さとり)それに取り込まれる
者たちだった
「よくなりたいか?」
そこに神様の決断が注ぎ込む
「よくなりたいか?」
5:2 さて、エルサレムには、羊の門の近くに、
ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、
五つの回廊がついていた。
5:3 その中に大ぜいの病人、盲人、足なえ、
やせ衰えた者が伏せっていた。
5:5 そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。
5:6 イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間の
ことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」
5:7 病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、
池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、
もうほかの人が先に降りて行くのです。」
5:8 イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて
歩きなさい。」
5:9 すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き
出した。ところが、その日は安息日であった。
ヨハネの福音書5章2-9節
イエス?
ノー ?
そしてイエス・キリストを選択し
信仰の御座に道を定めるなら
その決断は歩くことが許されるのです
ベテスダ(慈愛の池)(恵みの池)(哀れみの池)
そこは 天の窓開く栄光の場所
決断を再認識し 神様の決定の証明を頂くなら
幸いな人生を歩む者となれるのです
ハレルヤ エーメン
[ボイスプログ]
筑波福音基督教会
(中国語/日本語 礼拝)更新
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