台湾食材 BETHESDA KASHIWA

美味しい台湾食材をはじめ何だかんだ日々のこと書き綴ります。
クリスチャンファミリー

2016年4月3日蔡豊智宣教師「主耶穌的見證」 (北京語)

2016-04-03 23:01:51 | 祈り
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2016年4月3日

筑波福音基督教会

「主イエスの証人となる」

(北京語)

主耶穌的見證



使徒行伝1章8節 



メッセンジャー 蔡豊智宣教師

http://www.voiceblog.jp/tsukbataiwankyoukai/

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【ココ ココ】

2016-04-03 00:13:51 | 祈り


【ココ ココ】

今日2016.04.1. こんな夢を見たのだ
それは まだ見ぬ孫2人(園児の男女)と車で貧乏旅行へと行く
夢だった

旅行中に車がトラブルをおこし急遽近くのスタンドに入った
入ったスタンドは何故かトラブル車で混み合い 
しばらく待ち時間と修理で直るまでに時間がかかると言われ 
周りを見渡すと 其処には移動遊園地
らしき騒がしい光と その隣に静かに細く狭くつながる屋台らしき
光が見えた

私たちは 貧乏旅行の為に移動遊園地でお金を使うより
屋台を見学しようということになり
(言い方を変えれば「買い物しない冷やかし」であるが!)
其の屋台の方へと向かい歩いて行った

屋台の前に立つと頭上には「台湾屋台村」と書いてある
恐る恐る そのテントに覆(おお)われた細くつながる
光のアーチをくぐって行く
すると 静かだ 静かすぎる・・・ 静か!!!

屋台の台には 水餃子や カキ氷や 豚足 ゲームなどめぼしい
ものが並んでいるが・・・   人の気配を感じない!

だんだん 孫のテンションが雰囲気と異なって高ぶってくる
屋台の雰囲気に高揚してくる
そして すでに出口付近・・・

大の字に寝ている2人を発見すると 孫がハシャギ
だして手が付けられない そして次々と屋台に置かれたものを
「コレも欲しい」 「コレはいらない」 と払い落して行く

家族皆、「やめなさい」「やめなさい」と言いながら
其のなにか違う静けさに後ずさりして行く・・・

その気配を察したか
1人の中年おばさんが出て来てこう言った
「誰の紹介でココに来たんだい?」

私たちは皆揃って
「偶然です」「偶然です」と更に 後ずさりする
神秘的な空気が立ち込めている

すると中年おばさんの声も徐々に大きくなり
「誰の紹介でココに来たんだい?」
「誰の紹介でココに来たんだい?」と繰り返される

屋台の人が次々と集まり 皆が皆 口を揃えて
「誰の紹介でココに来たのですか?」と言うのである

それは ますます顔もとに耳元に切迫し近づく
ムチ打たれ十字架につけられるイエス様をオリーブ山
から引き下ろすような勢いだ

中年おばさんは容赦なく迫ってくる
「誰の紹介でココに来たんだい?」と・・・

私たちは皆揃って
「偶然です」「偶然です」と言い続け後ずさり
するのだが その声は止まない

そして 中年おばさんはこう言った
「紹介が無い者は ココに来る事が出来ないのだょ」と

さらに続け 中年おばさんはこう言った
「もしかしたら○○市の牧師先生かぁ?」

私は 思いつく牧師先生の名前を言った
すると中年おばさん含めその大きな声に集まった屋台の
人々の顔色が一変して
「じゃー此方に来なさんい」と更に狭い路地に
引き込み導くのである
(バニヤン 天路歴程の場面が目に浮かぶ)

其の時 私は孫がハシャギやらかした事を
どう償うかと頭を巡らしていた ょ
(気迫が石打ならぬ 殴られると思っえたから)

でも それは違い
「○○牧師先生のご紹介なら」と 沢山のご馳走と 
妻も喜ぶ台湾の懐かしい味と芸を振る舞ってくれたのである
そして 私の名乗った教会に台湾屋台村の長老らしき人が
電話を入れた 
聖書を開く雰囲気がして牧師婦人の声が電話口から漏れてくる
私たちを見る目は メシアの兄弟を見る顔だった

そして一段 落ち着くと
中年おばさん トンネルの先を案内してくれた

其処には 赤い羊の顔のぬいぐるみのような2体の
ココ と ココ と言う動物が居て 会釈してくれた
(創世記初めの「ある」が頭に浮かんだ)

そして 帰りが近づき
「妻が 孫がハシャギ破損したお店の商品代金の弁償を
献金したいので幾ら支払いしましょうか? 」と聞くと

中年のおばさん含め皆
「何もいらない」と言う
それでも 律儀な妻は1万円を封筒に入れ置いて行こう
とする
すると 中年のおばさん含め皆は 「其処まで言うなら
20万円でも置いて行ってください ょ」と言われた

でも・・・
貧乏旅行の途中に車のトラブルでココに来た私たちには
底をつく財布に弱り目に祟り目・・・
金は無く それほどの大金を払えるはずが無い 困った!

すると 妻に息子がすかさず「僕払う ょ」と
お金をだしたのである (その言葉に従順に)

そして スタンドに車の状況を見に行くと
「あとオイル交換が終われば完了です」と車内を見せて
くれた
すると カーナビも大きくて見やすく 使いやすいのに
変えられ 至れり尽くせり 足らなかったモノが全て
与えられ供えられていた

驚いた 
そして聞いたのである
そのスタンドマンに「どうしたのか?」と
するとスタンドマンはこう言ったの サ
「○○牧師先生のご紹介なら」
「代価はすでにお支払い済ですから」と

そして 目が覚め この御言葉を聖書で見た


召されたとき奴隷であっても、それを気にしないがよい。
しかし、もし自由の身になりうるなら、むしろ自由に
なりなさい。
主にあって召された奴隷は、主によって自由人とされた者であり、
また、召された自由人はキリストの奴隷なのである。
あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。人の奴隷と
なってはいけない。
兄弟たちよ。各自は、その召されたままの状態で、神のみまえに
いるべきである。
第一コリント7章21-24節  

そして
バニヤン 天路歴程を読みかえしたくなった
エーメン

・・・・??? 4.1 か???
[ボイスプログ]筑波福音基督教会(中国語/日本語 礼拝)更新
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