【鈍ら刀のような祈り】奇跡に開かれた目
柳生死すべし・・・
カキン カキン
ウァハハハハハハ
そんな ナマクラ 刀 では
ワシも人は 切れぬ ワ
ウァハハハハハハ 時代劇 !
そんな ふう に
神様へ対しての祈りも 鈍ら(ナマクラ)では、
適う祈りも 適わないのである
真剣で貫く(つらぬく)思いで祈りなさい と
聖書から読み取ることができるのです と
かの牧師は言ったのでありました。
ある日 こんな話しを聞いたことがある
ある盲人が、目が見えたいと
何時も人里 離れた
山で祈っていたのだと言う。
毎日、毎日 山にこもって祈っていたのだと言う。
盲人は、祈っても 祈っても聞かれない思いで
ある日 山を下りた
祈りを止めて山を下りたのである
そして 山里下りて 盲人は
心引かれる気になる異性と遭遇(そうぐう)したので
ある。
その盲人は、その異性の顔を見たいと思った
どうしても見たい どうしても見たい
と心 燃ゆる思いを抱いて 山に戻ったのだと言う。
見るべき目的に視点は定まり祈りを熱く捧げたのだと
言う。
その祈りは、イスライルのようであり、タンバリンを
打ち鳴らすように 止め処なく 止め処なく
手を叩き 打ち鳴らす 拍手と祈りの歓声(かんせい)に
満ちたものだった、洞穴に祈りの声と聖霊が充満するもの
だった のだと言う。
何時しか 叩く手から血しぶきが降ってきた。
手の平の血管が破裂して血しぶきがふってきたと言う。
そして、その血しぶきが盲人の目に降り注ぐ
それても 辞めることなく 止めることなく
手の平を叩き 主の栄光を歓喜で祈る盲人・・・
朝になり 山に光が入り 洞穴にも光が刺し込んだ
ときに盲人は 驚いたと言う。
そう 光を見たからである
そして盲人は 目が開かれたのである。
盲人だった者は、言葉が思いに足りないほどに
ご臨在する主なるイエスの栄光に感謝し また
山を下りていったのだと言う。
神は成し遂げる
真実なる祈りを聞き届け 受け入れられる
わたしは、平和をあなたがたに残し、
わたしの平和を与える。
わたしはこれを、世が与えるように与える
のではない。
心を騒がせるな。 おびえるな。
(ヨハネによる福音書14章27節)エーメン
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本当に甘かったです アップルマンゴーが。