先日、神奈川近代文学館の「太宰治展 ー語りかける言葉ー」に行ってきた。
中学生のころから親しんだ太宰治について、久しぶりに学び直す機会になった。
展示はかなり充実しており個人蔵の書簡や資料もたくさん、ラブレター、物の無心から誓約書まで揃っていた。
何気ない書簡に至るまで気遣いの人で、そういうものも全て作品になる巧さである。
特にラブレターは、こんなラブレターを受け取ったら最後確実に落ちてしまうだろうとかねがね思っていたが、肉筆となるとさらにその感があった。
(用紙の欄外に小さく片仮名でコヒシイって書くなんて、あまりに反則だと思う)
津島家の人々の写真や、金木の町の様子などをあれほど多く見る機会も初めてだった(太宰の生家である斜陽館は以前一度訪れたことがある)。
また、太宰生前から死後の資料保存までの美知子夫人の献身、というよりはもはや彼女自身のライフワークのように見えるが、りんご箱に貼り付けていた反故の原稿まで剥がして保存するなど、見ていて泣けてくるような気持ちに。
才能(特に何かをつくる人種の)に惚れるとはこういうことかと思った。しかも美知子夫人はは当時にしてはかなり高い教育を受けてて、だからこそ結婚が遅れて太宰と結婚する羽目になった面もあると思うんだけど。彼女以外には務まらない夫だったろうと思う。
美知子夫人との婚約の際、井伏鱒二にあてた誓約書も見ることが出来て感無量だった。
(個人的に一番笑えたのは、マントの無心をする手紙で、我が儘なのか謙虚なのか不明なおもしろおかしい必死の手紙だった。)
前置きが長くなったが、そういう経緯で、ついにこの本を買った。
これまでこの本の存在は知りながら、そしてそのうち読もうと思いながら、先延ばしになってきたのは、取っておきたい気持ちからだったように思う。
太宰の妻が、彼についてどういったことを語るのか怖くもあった。
文章を読んでみて、想像していた以上に聡明な方だったのだなというのがまずあった。
東京女子高等師範学校(のちのお茶の水女子大学)を卒業し高等女学校で教師をしていた経歴からも当然なのだが、明晰で読みやすく、記録もことこまかで、
こういう人と太宰が暮らしていたというのは、なるべくしてなったようにも、奇妙な取り合わせのようにも思われて不思議な気持ちだ。
太宰には少し頭が良すぎる、息が詰まることもある奥さんだったのかもしれない。
家庭人としての太宰の姿は、作品から推し量れるものとはやはり少し違っていて、むちゃくちゃな部分はそのまま、弱々しい部分はさらに弱々しく、けれどどこか明るくもあり、嬉しかった。
美知子夫人の目から見ると、やはり自分中心の世界に生きていたことがよく分かる。
ただ私が思っていたよりずっと、職業人としての作家の姿がつよく、小説を書くことのみに関しては努力の人だったのかと思った。
こんな人の身辺の世話をし支えながら、子を為してなお頼りない夫を見る心持ちはどんなものであったろうかと思う。
これほど聡明な人が、どんなにか歯がゆい、情けない思いをしただろうと思うけれど、それでもその死まで妻として連れ添ったのは、
今のように離婚ができない時代のせいもあろうが、やはり「彼の天分に幻惑されて」いたからなのだろうか。
以前私はてっきり、美知子夫人は「この人は私がいなくてはだめだ」というような気持ちで添っていたのかと思っていたのだが、本書を読むとそうでもなかったのかもしれないと思えてきた。
というのも、彼女の語り口が思いの外冷めていて、諦念と言うべきものが流れていて、その夫についても意外にも突き放した見方をしていた。
それはもしかしたら、没後しばらく経ってさまざまな整理がついてから書かれた(?)文章だからなのかもしれず、
この本が作家としての太宰治を記録することに主眼をおいたものである性質によるのかもしれないが、私にとってはひとつの謎として残った。
やはり彼女にとっては作家としての夫であり、彼女にとってもまた必死の十年間だったのかもしれない。
そして、太宰の女性関係(特に、太田静子・山崎富栄の二人)や、自殺前後のことにはほとんど触れられておらず、
語られない部分にある苦しみを伺い知ることは難しかった。
一つ、予期せず嬉しかったのは、太宰の故郷に数度訪れた際に美知子夫人が見聞きしたその風土について、私自身母が同郷の出身であるために、共感できる部分が多かったことだ。
津軽のことばや食べ物、風習など、私自身も馴染み愛する風土で、同じものを知ってる嬉しさがあった。
伊藤比呂美の解説も最後のほうが良かった。
何しろ太宰治について本当に勉強していたのはもう8年ほども前のことになるので、年譜も作品も頭から抜け落ちてしまったものも多く、詳細な記録に記憶がついていかない面も多々あった。
この本を読んだ以上、太田治子著「明るい方へ」と松本侑子著「恋の蛍:山崎富栄と太宰治」を読まないわけにはいかない、ということで
一気に課題図書が増えてしまった。
もう一度、近代文学館に行きたいくらいだ。
中学生のころから親しんだ太宰治について、久しぶりに学び直す機会になった。
展示はかなり充実しており個人蔵の書簡や資料もたくさん、ラブレター、物の無心から誓約書まで揃っていた。
何気ない書簡に至るまで気遣いの人で、そういうものも全て作品になる巧さである。
特にラブレターは、こんなラブレターを受け取ったら最後確実に落ちてしまうだろうとかねがね思っていたが、肉筆となるとさらにその感があった。
(用紙の欄外に小さく片仮名でコヒシイって書くなんて、あまりに反則だと思う)
津島家の人々の写真や、金木の町の様子などをあれほど多く見る機会も初めてだった(太宰の生家である斜陽館は以前一度訪れたことがある)。
また、太宰生前から死後の資料保存までの美知子夫人の献身、というよりはもはや彼女自身のライフワークのように見えるが、りんご箱に貼り付けていた反故の原稿まで剥がして保存するなど、見ていて泣けてくるような気持ちに。
才能(特に何かをつくる人種の)に惚れるとはこういうことかと思った。しかも美知子夫人はは当時にしてはかなり高い教育を受けてて、だからこそ結婚が遅れて太宰と結婚する羽目になった面もあると思うんだけど。彼女以外には務まらない夫だったろうと思う。
美知子夫人との婚約の際、井伏鱒二にあてた誓約書も見ることが出来て感無量だった。
(個人的に一番笑えたのは、マントの無心をする手紙で、我が儘なのか謙虚なのか不明なおもしろおかしい必死の手紙だった。)
前置きが長くなったが、そういう経緯で、ついにこの本を買った。
これまでこの本の存在は知りながら、そしてそのうち読もうと思いながら、先延ばしになってきたのは、取っておきたい気持ちからだったように思う。
太宰の妻が、彼についてどういったことを語るのか怖くもあった。
文章を読んでみて、想像していた以上に聡明な方だったのだなというのがまずあった。
東京女子高等師範学校(のちのお茶の水女子大学)を卒業し高等女学校で教師をしていた経歴からも当然なのだが、明晰で読みやすく、記録もことこまかで、
こういう人と太宰が暮らしていたというのは、なるべくしてなったようにも、奇妙な取り合わせのようにも思われて不思議な気持ちだ。
太宰には少し頭が良すぎる、息が詰まることもある奥さんだったのかもしれない。
家庭人としての太宰の姿は、作品から推し量れるものとはやはり少し違っていて、むちゃくちゃな部分はそのまま、弱々しい部分はさらに弱々しく、けれどどこか明るくもあり、嬉しかった。
美知子夫人の目から見ると、やはり自分中心の世界に生きていたことがよく分かる。
ただ私が思っていたよりずっと、職業人としての作家の姿がつよく、小説を書くことのみに関しては努力の人だったのかと思った。
こんな人の身辺の世話をし支えながら、子を為してなお頼りない夫を見る心持ちはどんなものであったろうかと思う。
これほど聡明な人が、どんなにか歯がゆい、情けない思いをしただろうと思うけれど、それでもその死まで妻として連れ添ったのは、
今のように離婚ができない時代のせいもあろうが、やはり「彼の天分に幻惑されて」いたからなのだろうか。
以前私はてっきり、美知子夫人は「この人は私がいなくてはだめだ」というような気持ちで添っていたのかと思っていたのだが、本書を読むとそうでもなかったのかもしれないと思えてきた。
というのも、彼女の語り口が思いの外冷めていて、諦念と言うべきものが流れていて、その夫についても意外にも突き放した見方をしていた。
それはもしかしたら、没後しばらく経ってさまざまな整理がついてから書かれた(?)文章だからなのかもしれず、
この本が作家としての太宰治を記録することに主眼をおいたものである性質によるのかもしれないが、私にとってはひとつの謎として残った。
やはり彼女にとっては作家としての夫であり、彼女にとってもまた必死の十年間だったのかもしれない。
そして、太宰の女性関係(特に、太田静子・山崎富栄の二人)や、自殺前後のことにはほとんど触れられておらず、
語られない部分にある苦しみを伺い知ることは難しかった。
一つ、予期せず嬉しかったのは、太宰の故郷に数度訪れた際に美知子夫人が見聞きしたその風土について、私自身母が同郷の出身であるために、共感できる部分が多かったことだ。
津軽のことばや食べ物、風習など、私自身も馴染み愛する風土で、同じものを知ってる嬉しさがあった。
伊藤比呂美の解説も最後のほうが良かった。
何しろ太宰治について本当に勉強していたのはもう8年ほども前のことになるので、年譜も作品も頭から抜け落ちてしまったものも多く、詳細な記録に記憶がついていかない面も多々あった。
この本を読んだ以上、太田治子著「明るい方へ」と松本侑子著「恋の蛍:山崎富栄と太宰治」を読まないわけにはいかない、ということで
一気に課題図書が増えてしまった。
もう一度、近代文学館に行きたいくらいだ。
