引き続き太宰についてどっぷり考えている。
太宰の妻、津島美知子の手記に引き続き、
「斜陽」のモデル(原案?あるいは、製作におけるアシスタント?)であり太宰と愛人関係にあった太田静子の娘(太宰との間の私生児)である太田治子の手記。
ああ説明がややこしい。
ある意味で、美知子氏の「回想の太宰治」を補完するものとしても読めるかもしれない。
太宰治という男について、ずっと考えている。
高校生の頃考えていた像が崩れていき、ひとつ資料を読むたびに私の中の彼の姿が少しずつ変わる。
とらえどころのない人といえば確かにそうなのだけれども、気にさわるといきなり怒りだしたり、
いちど弱気になるとどこまでも情けなかったり、
人格が破綻しているのではと思うほど。
幼いまま小手先だけ大人になった歪な人だったのかもしれないと思った。
非常に克明な手記である。
母である太田静子とのやり取りから得た情報が多いのだろうか、
それにしても、太宰と静子の間のやり取りなどあまりにも克明な描写が多いので、
ふっと、これもまた虚構の世界であるような(太宰が用いる手法である)気すらしてしまった。
それほどまでに、静子が娘に対し、太宰について詳しく語っていたのかもしれないが、これほどまでに描けるものだろうか。
太田静子との日記をめぐるやりとり、その狡賢さについて本著では繰り返し述べられているが、
まったくその通りの人間だったのだろう。
良い作品を書くために必死で、どんな手を使ってでも静子の日記を手に入れたかった様子がよく分かる。
人間としての太宰の弱さ、脆さ、狡さを、また突きつけられたようだ。
その結果として生まれた著者が描いたとは、驚くほかない作品である。
「斜陽」はうつくしい終わりを迎え、まさに「ねむるようなロマンス」が完成した。
けれどそのあとに残された母子の苦労についても、断片的に書かれている。
ロマンスで終わるものではないと知っていながらも、私自身「斜陽」は特に好きな作品で、あの作品の世界に浸りきっていた部分もあったので、非常に心苦しくもあった。
「斜陽」のかず子のモデルである太田静子についても、当然ながら小説とは違い、筆者の容赦ない筆がはしっている。
「斜陽」のファンとしてはどうにも好奇心をかきたてられる女性であるが、
本著を通して見る太田静子は、「斜陽」におけるかず子とは少し違っていて、
もっと具体的な、はっきりと姿をもって浮き上がる、ある意味で真に「斜陽」的な女性だった。
太田静子のところから帰ってきた太宰を、太田静子の影を察した美知子夫人が泣いて責めたという記述があり、失礼とは思いながらも意外に思った。
なんとなく、彼女はそういうことで取り乱さない人なのではないかというイメージがあった。
(もちろん、そのイメージこそ現実的ではなく、私自身そういった場合には泣いて責めるのが当然の反応だろうと思っているのだが)
美知子夫人の手記では太宰の愛人関係や入水前後の様子についてほとんど触れられていなかったので、
その点において本著は「回想の太宰治」の補完として読めるのではないかと思った。
太宰についての手記は他にもあるが、これほど周囲の人間から語られ、描かれる作家というのもおもしろい。
年表を見るだけでも語ることの多い作家なのははっきりしているが、妻や愛人を始めとして手記が多く書かれ、
しかもおそらくどの手記もそれぞれ克明に太宰を観察・記録して書かれているのだから、やはりそれほどの何かを持つ人だったのか。
これほど間近に見られ、愛されていながら破れかぶれで、絶えず人をひっかきまわし、きっとどこにも気が休まらず、憑かれたように死を願ったひと。
私の想像を超えていて、太宰がどんどん分からなくなっていく。
人格破綻者だったのだといえばそれまでである。
にんげんに共通する何かの性質をあらわした作家なのではなく、ただ非常に特異な一人の男が、たまたま文を書く才能に恵まれていたために、
作家として愛され、人々の目を集める太宰治が生まれたというだけなのかもしれない。
それなのに、それにしてはあまりに人間的な小説を書く。
津島美知子、太田治子、ふたりの手記を通じて確信したのは、
破天荒な小説家として生きるほかなかった人であること、
小説についてのみ、真実一途な人であったということ、
戦争がきっと彼の死期を延ばしていたに違いないということ、
ポーズというにはあまりに必死に惨めに生き尽くした人だったということだ。
もう一度、太宰作品を読み直さなければ!と思うのだけれども、
意外に多作な作家なので、どれだけの量の課題図書だろうとげんなりする。
もともと、太宰や三島のような好きな作家であっても、作品によって好き嫌いが強いたちなので、
太宰も結構読み残した作品がある。
とりあえず、山崎富栄に関する本(手記ではない)と、本著のなかにもたびたび登場した野原一夫の回想手記は読まなければいけない、という思いを新たにした。
太宰漬けの5月になりそうだ。
太宰の妻、津島美知子の手記に引き続き、
「斜陽」のモデル(原案?あるいは、製作におけるアシスタント?)であり太宰と愛人関係にあった太田静子の娘(太宰との間の私生児)である太田治子の手記。
ああ説明がややこしい。
ある意味で、美知子氏の「回想の太宰治」を補完するものとしても読めるかもしれない。
太宰治という男について、ずっと考えている。
高校生の頃考えていた像が崩れていき、ひとつ資料を読むたびに私の中の彼の姿が少しずつ変わる。
とらえどころのない人といえば確かにそうなのだけれども、気にさわるといきなり怒りだしたり、
いちど弱気になるとどこまでも情けなかったり、
人格が破綻しているのではと思うほど。
幼いまま小手先だけ大人になった歪な人だったのかもしれないと思った。
非常に克明な手記である。
母である太田静子とのやり取りから得た情報が多いのだろうか、
それにしても、太宰と静子の間のやり取りなどあまりにも克明な描写が多いので、
ふっと、これもまた虚構の世界であるような(太宰が用いる手法である)気すらしてしまった。
それほどまでに、静子が娘に対し、太宰について詳しく語っていたのかもしれないが、これほどまでに描けるものだろうか。
太田静子との日記をめぐるやりとり、その狡賢さについて本著では繰り返し述べられているが、
まったくその通りの人間だったのだろう。
良い作品を書くために必死で、どんな手を使ってでも静子の日記を手に入れたかった様子がよく分かる。
人間としての太宰の弱さ、脆さ、狡さを、また突きつけられたようだ。
その結果として生まれた著者が描いたとは、驚くほかない作品である。
「斜陽」はうつくしい終わりを迎え、まさに「ねむるようなロマンス」が完成した。
けれどそのあとに残された母子の苦労についても、断片的に書かれている。
ロマンスで終わるものではないと知っていながらも、私自身「斜陽」は特に好きな作品で、あの作品の世界に浸りきっていた部分もあったので、非常に心苦しくもあった。
「斜陽」のかず子のモデルである太田静子についても、当然ながら小説とは違い、筆者の容赦ない筆がはしっている。
「斜陽」のファンとしてはどうにも好奇心をかきたてられる女性であるが、
本著を通して見る太田静子は、「斜陽」におけるかず子とは少し違っていて、
もっと具体的な、はっきりと姿をもって浮き上がる、ある意味で真に「斜陽」的な女性だった。
太田静子のところから帰ってきた太宰を、太田静子の影を察した美知子夫人が泣いて責めたという記述があり、失礼とは思いながらも意外に思った。
なんとなく、彼女はそういうことで取り乱さない人なのではないかというイメージがあった。
(もちろん、そのイメージこそ現実的ではなく、私自身そういった場合には泣いて責めるのが当然の反応だろうと思っているのだが)
美知子夫人の手記では太宰の愛人関係や入水前後の様子についてほとんど触れられていなかったので、
その点において本著は「回想の太宰治」の補完として読めるのではないかと思った。
太宰についての手記は他にもあるが、これほど周囲の人間から語られ、描かれる作家というのもおもしろい。
年表を見るだけでも語ることの多い作家なのははっきりしているが、妻や愛人を始めとして手記が多く書かれ、
しかもおそらくどの手記もそれぞれ克明に太宰を観察・記録して書かれているのだから、やはりそれほどの何かを持つ人だったのか。
これほど間近に見られ、愛されていながら破れかぶれで、絶えず人をひっかきまわし、きっとどこにも気が休まらず、憑かれたように死を願ったひと。
私の想像を超えていて、太宰がどんどん分からなくなっていく。
人格破綻者だったのだといえばそれまでである。
にんげんに共通する何かの性質をあらわした作家なのではなく、ただ非常に特異な一人の男が、たまたま文を書く才能に恵まれていたために、
作家として愛され、人々の目を集める太宰治が生まれたというだけなのかもしれない。
それなのに、それにしてはあまりに人間的な小説を書く。
津島美知子、太田治子、ふたりの手記を通じて確信したのは、
破天荒な小説家として生きるほかなかった人であること、
小説についてのみ、真実一途な人であったということ、
戦争がきっと彼の死期を延ばしていたに違いないということ、
ポーズというにはあまりに必死に惨めに生き尽くした人だったということだ。
もう一度、太宰作品を読み直さなければ!と思うのだけれども、
意外に多作な作家なので、どれだけの量の課題図書だろうとげんなりする。
もともと、太宰や三島のような好きな作家であっても、作品によって好き嫌いが強いたちなので、
太宰も結構読み残した作品がある。
とりあえず、山崎富栄に関する本(手記ではない)と、本著のなかにもたびたび登場した野原一夫の回想手記は読まなければいけない、という思いを新たにした。
太宰漬けの5月になりそうだ。
