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私の本棚

将来の夢は自分専用の図書館をもつこと。大好きな本に囲まれて暮らしたい。

たとへば君 四十年の恋歌 河野裕子・永田和宏

2014-05-30 17:00:38 | いまの本棚
Amazonで見かけて即購入(中古で)。
本来的には本屋さんや図書館が大好きだけれども、
Amazonの良いところはあなたにお勧めの商品といって並べてくれたり、書名のすぐ下に☆で評価がついているので、自分ではなかなか気づかないだろう良い本を拾い上げることができる点。
いろんな人のレビューをつらつら読むのも好き。

夫婦そろって歌人であった筆者らが、その馴れ初めの頃から、乳がんを患った妻の死までの間に紡いだ短歌とエッセイを集めた本。
河野裕子の短歌は、以前読んだ俵万智の本に出て来ていたので、知っているものがいくつかあった。
タイトルにもなっている、「たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか」など。
ああ、そういう状況での歌だったのか、という思いに、いっそうこの歌が愛おしくなる。

全体を通して、夫婦、家族、というものについて考え続けた。
恋人になる前から、恋人になり、夫婦になり、子をなし、老いて死ぬ。
そんな二人の道のりを生々しい短歌でたどるのは、決して事細かな記述があるわけでなくとも、古い映画のように鮮やかでしみじみとしている。
どだい回想やエッセイというものは得てしてそれが過ぎ去ってから思い返して書かれるものなのだから、リアルタイムでなくて当たり前。
それを、当時瞬間につくられた短歌を織り交ぜることによって、そのときの香りがふいに鮮烈に立ち上る仕掛けになっている。
そういう生々しさが、他のどのようなエッセイにも見られない生気をこの本に与えている。
(自分の若いころの作品を振り返るなんて、かなり気力のいる作業だと思うのだが)

恋人時代の歌がどれも若々しくて印象深い。あらあらしさも若さと思えばどこまでも輝かしい。
夫婦になってからの歌は一層の激しさ、強さをもって胸にせまった。
まだ私は夫婦というものをしらない。(私の両親を見ても、親というものはやはりどことなく子供からか見ると謎の多いもので、まして私は両親から馴れ初めや若かりしころのエピソードをほとんど聞いたことがない)
夫婦って……!夫婦って……!
なんなんだろう。
この歌人夫婦は、非常に仲の良い夫婦だったようだけれども、一方で諍うときは激しかったようで、夫婦ってそういうものなのか。
近くて遠くてにくらしくいとおしい。
私にとってはまだまだの領域。 
どんどん深く、どんどん潜っていって、どろどろと形なくとけていく。
ひとと生きていくのってたいへんだ。

その一方で、絶えず表現を続ける人種であるゆえか、相手や、相手に対峙している自分に対する視点がすっと突き放していて客観的である。
自分の激情を歌にするときでさえ、頭のどこかで観察しているふう。
子どもに対する視点もそうで、夫と息子の語らいのエピソードを河野裕子が綴った部分など、心底いいなぁと思う雰囲気があった。

詩にはまった時期を経て、今度は短歌に触れたわけだけれども、
短歌となるとなかなか難しい言葉が登場することも多い。
言葉の意味がわからない体験なんて今はなかなかないもの。
少ない字数で多くを表現する手法ゆえなのだろうか。
抑制した表現と短い語数でむしろその生々しさが際立つのが不思議。

亡くなる直前と歌にはさすがに痛ましさ、やりきれなさが満ちているのだけれども
ただの痛ましさで終わらないのは、作品として完成されているからなのだと思う。
夫婦が二人同時に死ぬということが考えられない以上、どちらかがどちらを看取る流れになるのは当然だけれども、
夫(妻)を看取るというのはどういうものなのだろうと考えずにはいられなかった。
「『私が死んだらあなたは風呂で溺死する』そうだろうきっと酒に溺れて」 永田和宏
生きるというのはあまりに長い、けれど過ぎてみれば短い時間なのだろう。
その、本書でいう40年の時間をひとりと連れ添うというのは、
なんとも混沌としたさまざまの日々の寄せ集めのようだ。

この本を買おうと思ったきっかけの一つに、接した患者さんの苦しそうな様子に近づけず、
その心に少しでも近づきたいという思いからだったのだけれども
その当初の思いは果たされたのかというと甚だ疑問である
なにがしかの啓示を得ることができたとすれば、
それは耐えがたい苦痛と、最期の瞬間まで揺れて動き続ける心のさまと、
それを受けとめようとする家族の悲痛さであって、
せめてその心のありようを私が決めつけるようなことはすまいという
小さな決意だった。


貧乏サヴァラン  森茉莉

2014-05-22 08:01:27 | いまの本棚
お気に入りのブログがあって、その中で紹介されていた本。
食に関する作者のあらゆるエピソードを集めたエッセイ。
こんなにセンスの良い食の楽しみ方は私にはできないけれども、
食に関するエッセイだけで1冊なんて、贅沢で素敵。
ついでに言えば、タイトルからして秀逸でいかにもおいしそう。
ちなみに筆者は森鴎外の娘。
高校のときに何冊かざっと読んだことあったかな。

だいいち、食って実はものすごくプライベートなものだと思う。
自分の家で当たり前に食べていたものが実は他の人の家では全然食べないものだったり、
同じものを他人の家で食べたら全然違う味だったり、
(卵焼きは砂糖か塩か、雑煮の具はなにか、お味噌汁の具は、目玉焼きの食べ方は、朝ご飯はパンか米か、なんて議論のつきない)
同じものを食べても味覚が違う以上、ほんとうの意味でその食べ物を共有することなんてできないし、
味覚嗅覚触覚視覚いろんな感覚を駆使して味わうものなので、
ほんとうのことを言えば、どんな食もこれくらいみっちり味わえるもののはず。

どんなに些細な食事でも、こういうエッセイの中では高級店の朝食のようにとくべつに感じる。
こんなふうに一食一食丁寧に味わってみたいと思うわけ。
たとえオペの間に頬張るコンビニのおにぎりでも、毎日行く生協食堂のごはんでも。
一人飯で掻き込む卵かけご飯でも。

婚家での食の風景も面白かった。
今の時代では昔ほどではないけれども、朝ドラの「ごちそうさん」のように、嫁ぎ先(いわゆる)での食のすれ違い、
全然違う文化に触れることなんて、昔は本当に大変だったのだろうな。
結果として離婚した筆者が、婚家先での食や出来事を語る筆の軽さが絶妙で、
幸福も不幸もひっくるめて、ひとの生活を見つめる視線が良いと思った。
あとお酒に関する描写もロマンチックだった。
牡蠣のお酒、飲んでみたい。

結局作品の中に登場する食べ物なんてファンタジーで、
同じお店に行って同じものを食べても、きっとファンタジーの中のものほど美味しくないし、きらきらもしていない。
それどころか自分が一度食べて感動した食べ物でさえ、もう一度食べに行くと前ほどの感動が得られなかったりする。
(ラピュタの中の目玉焼きパンしかり、ぐりとぐらの大きなカステラしかり)
食べてしまえばお終いの、一時だけの快楽。
決して手に入らない、届かない幸福。
通り過ぎていく透明な光りをかき集めて留めようとする筆者の奮闘と、すくい取る感性に、まさに乾杯というところ。



恋の蛍 山崎富栄と太宰治  松本侑子

2014-05-15 20:08:16 | いまの本棚
長かった太宰祭もこれでひとまず打ち止め。(とはいえたかが4冊…)
なんだかため息。
太宰に苦しめられた方がまた登場して、また悲しい。
亡くなった富栄さんは本人は望んだ心中だったのかもしれないが、死後の中傷と、娘に先立たれたご家族の苦しみを思うと、
やはり太宰は悪人だったと思う。
井伏鱒二が書いた太宰治の回想なんてあったら、読みたい。

恥ずかしながら私自身、太宰と心中した山崎富栄さんにはあまりよい印象を持っておらず、
独占欲の強い、めがねで近眼のそそっかしい感じの人というイメージを勝手につくっていた。
本書によってそれが見事に覆された。
ゆたかな職能のある立派な職業婦人だったとは驚きだった。
太宰ってやっぱり、できる賢い女性が好きだったのかしら。
体裁としては小説なので、筆者の解釈や脚色が入っているのでしょうが、事実として書かれているところだけくみ取っても、
私のイメージが間違っていたのは確かだった。
富栄さんの日記は生々しかった。
恋に落ちるってこういうものなのか。

自殺直前の太宰のぎりぎりの様子が4冊のなかでいちばん詳しく、
それほどまで極限の状態に追い込まれていたというのは意外だった。
自分をついばむように小説を書いていた、っていうのは本当なんだなあ。
私にはちょっと想像がつかない。
美知子夫人が手記にその周辺のことを書かなかったのも、当然だし納得のいくことだった。
結局、太宰一人が悪人だったのかと思えば、納得のいくことであり
どうしてこんな人が作家として成功してしまって、
これだけ多くの人を巻き込んでしまったのか
残念で仕方が無い。

で、太宰を嫌いになったかと思えば、そうでもなく、
ただただこのひとがかなしく、その才能がうつくしい。



回想 太宰治  野原一夫

2014-05-12 13:33:30 | いまの本棚
まだまだ懲りずに太宰治の世界へ。
今度は編集者として太宰治に関わった方の手記。
先日読み終えた太田治子の「明るい方へ」の中で何度か言及されていた本。
高校の課題で太宰治研究(の真似事)をした時に、どうしてこういった本を読まずに済ませたのか、残念である。
もっとも、当時の私が読んでも今のような不思議な気持ちに囚われることはなかったかもしれない。
男と女の生々しい感情なんて、想像するばかりだったからなあ。
このところ続けて読み過ぎたせいで、気持ちがこの時代に行ってしまっている感じ。
今ならふらふら歩いて太宰のいる飲み屋に辿り着けそう(行けたらいいのに)

編集者というのだから、一番客観的な太宰治の姿が見られるのではないかと期待していた。
太宰治の作家としての部分や作品に直接的に関わるエピソードなどが豊富だった津島美知子「回想の太宰治」。
太田静子との恋愛を中心に綴った「明るい方へ」。
本著には、それら二作とはまた違った太宰治の姿があった。
家庭の中の太宰治も、飲み屋での太宰治も、愛人関係に右往左往する太宰治も、どれも驚くほど生々しく生き生きとしている。あ、太宰治って本当に生きていたんだ、という感覚が今までになく強く湧き上がってきた。
この本の中の太宰治は、予想を裏切る姿ではなかったけれども、不思議とリアルで、新鮮で、声や動画が再生できそうなほど。
以前母と、三鷹周辺でゆかりの地を巡ったことがあったけれども、その時に巡った料理屋などがいくつも登場して懐かしい。(もっとも、ほとんどの場所は様変わりしてしまっていて、一番当時の面影を残していたのはJR線を横切る無骨な鉄橋だった)
あの町を、ほんの60年ほど前に歩いていたなんて。という気持ちと、
60年も前に生きていた人なのに、どうしてこんなに近しく感じるのだろう。という気持ち。
どうしよう、太宰にまつわる何かの世界に入ってしまいそう笑
思いがけず、作品のモデルであるような気がする人物も描かれていて、発見が多かった。

家庭での様子と、愛人の前での様子、どちらもはっきり描かれているのにはびっくりした。
改めて、こんなにだめな人なのに何故もてたんだろうという疑問が沸き上がってくる。
(高校の時、太宰はなぜもてるのか、なんていう文章まで書いたのだけれど)
才能があったのか。それほどの才能だったのか。
これほど人を巻き込んで、女性を死なせて、迷惑をかけ続けてなお愛された人。
そうあってもなお死から離れられなかったのはどうしてだろう。
落ちていく運命から逃れられなかったのはなぜだろう。
心底不思議に思った。
それから、こんなにだめな人なのに、一般受けする小説を書けるという点も不思議。
だめな作家を持つ奥さんの気持ちがそんなに書けるんだったら、もっと奥さんに優しくすればよかったのに、なぜあなたはそれができない、と100回くらい文句を言いたい。
そう思いながら、井伏鱒二宛の結婚誓約書や、彼の書いたラブレターなんかを思い出すと、泣けてしまう。
混乱している。

入水前後、遺体捜索の記述は辛かった。
太宰治の自殺(未遂含む)を、歴史上の事実として受け止めていたけれど、もちろん実際に身近にいてリアルタイムで体験していた人たちがいたわけで、
あれほど死ぬ死ぬ言っていた人であったけれども、やはりその入水は突然の予期せぬ出来事であって、
今は小川のような玉川上水も(夏に訪れた時は蚊にめちゃくちゃ刺された)、その頃は川幅も広く人食い川なんて呼ばれていて、
その六月の雨の中、呆然と立ち尽くす人の姿が見えるようで、辛かった。
遺体の描写はたまらなかった。
太宰治が死んだのは60年ほども前のことで、私は何年も前からその事実は知っていたのに、今初めてその訃報に触れたような、痛々しいやるせない気持ちだった。

太田静子は、太宰が山崎富栄と入水したことについて、彼女が太宰の死に付き添ってくれたことを感謝している、と語っていたそうだ。
その気持ちも、分かるような気がする。
ひとりでは死ねなかったひとだろうと思う。
けれども、放蕩を尽くして、小さなこども三人を残して愛人と死んだ彼のことを、殊に美知子夫人はどんな思いで迎えたかと思うと、
そのご苦労、苦しみを思うと言葉が出ない。
それでも彼女が後年果たした資料保存の働きを思うと、泣くに泣けない辛さである。

太宰治他殺説というものもあるそうだ。
太宰の首にひもで絞めたあとがあっただとか、太宰の死に顔は安らかで富栄の死に顔が鬼の形相だったとか、
富栄が青酸カリを持っていただとか、そういうところから出ている話のようなのだが、
本書のなかで野原一夫氏は、ひものあとなどは断じてなかったと言っている。
太宰は発達が遅れていた息子の行く末を案じていたという証言もあり、富栄からの無理心中であったという説も分かる気はするのだけれど、
いずれにせよ、私にとって大切な作家がそういった形で亡くなったのが悲しい。
絶筆となった「グッド・バイ」があまりに明るい、いかにも良さそうな作品であったので、なおさらだ。

太宰祭の最後の一冊(?)にとってあるのが、松本侑子著「恋の蛍」。
山崎富栄について、その生涯、太宰との恋愛について丹念に取材して書かれた本のようだ。
この本を読むと、彼女に対するイメージ(酒場の女、嫉妬深い、などなど)が変わるらしい。
もう少しの間、太宰治について考え続けようと思う。

それにしても思うのは、太宰治本人の、手記が読みたいということである。
数多くの彼の小説がそれに当たるものであることは承知していても、
様々な人が描く太宰治像を組み合わせても、(まるで恩田陸の小説のような作業をしている気がする)
どうしてもその核心に触れられないように感じる。
何を考えて生きていたのか。
何を考えて死んでいったのか。
これもまた、太宰治の人たらしのテクニックであろうかと思いながら、
どうしてもその気持ちを抑えられない私がいる。




明るい方へ 父・太宰治と母・太田静子

2014-05-09 18:20:28 | いまの本棚
引き続き太宰についてどっぷり考えている。
太宰の妻、津島美知子の手記に引き続き、
「斜陽」のモデル(原案?あるいは、製作におけるアシスタント?)であり太宰と愛人関係にあった太田静子の娘(太宰との間の私生児)である太田治子の手記。
ああ説明がややこしい。
ある意味で、美知子氏の「回想の太宰治」を補完するものとしても読めるかもしれない。

太宰治という男について、ずっと考えている。
高校生の頃考えていた像が崩れていき、ひとつ資料を読むたびに私の中の彼の姿が少しずつ変わる。
とらえどころのない人といえば確かにそうなのだけれども、気にさわるといきなり怒りだしたり、
いちど弱気になるとどこまでも情けなかったり、
人格が破綻しているのではと思うほど。
幼いまま小手先だけ大人になった歪な人だったのかもしれないと思った。

非常に克明な手記である。
母である太田静子とのやり取りから得た情報が多いのだろうか、
それにしても、太宰と静子の間のやり取りなどあまりにも克明な描写が多いので、
ふっと、これもまた虚構の世界であるような(太宰が用いる手法である)気すらしてしまった。
それほどまでに、静子が娘に対し、太宰について詳しく語っていたのかもしれないが、これほどまでに描けるものだろうか。

太田静子との日記をめぐるやりとり、その狡賢さについて本著では繰り返し述べられているが、
まったくその通りの人間だったのだろう。
良い作品を書くために必死で、どんな手を使ってでも静子の日記を手に入れたかった様子がよく分かる。
人間としての太宰の弱さ、脆さ、狡さを、また突きつけられたようだ。
その結果として生まれた著者が描いたとは、驚くほかない作品である。
「斜陽」はうつくしい終わりを迎え、まさに「ねむるようなロマンス」が完成した。
けれどそのあとに残された母子の苦労についても、断片的に書かれている。
ロマンスで終わるものではないと知っていながらも、私自身「斜陽」は特に好きな作品で、あの作品の世界に浸りきっていた部分もあったので、非常に心苦しくもあった。
「斜陽」のかず子のモデルである太田静子についても、当然ながら小説とは違い、筆者の容赦ない筆がはしっている。
「斜陽」のファンとしてはどうにも好奇心をかきたてられる女性であるが、
本著を通して見る太田静子は、「斜陽」におけるかず子とは少し違っていて、
もっと具体的な、はっきりと姿をもって浮き上がる、ある意味で真に「斜陽」的な女性だった。

太田静子のところから帰ってきた太宰を、太田静子の影を察した美知子夫人が泣いて責めたという記述があり、失礼とは思いながらも意外に思った。
なんとなく、彼女はそういうことで取り乱さない人なのではないかというイメージがあった。
(もちろん、そのイメージこそ現実的ではなく、私自身そういった場合には泣いて責めるのが当然の反応だろうと思っているのだが)
美知子夫人の手記では太宰の愛人関係や入水前後の様子についてほとんど触れられていなかったので、
その点において本著は「回想の太宰治」の補完として読めるのではないかと思った。

太宰についての手記は他にもあるが、これほど周囲の人間から語られ、描かれる作家というのもおもしろい。
年表を見るだけでも語ることの多い作家なのははっきりしているが、妻や愛人を始めとして手記が多く書かれ、
しかもおそらくどの手記もそれぞれ克明に太宰を観察・記録して書かれているのだから、やはりそれほどの何かを持つ人だったのか。
これほど間近に見られ、愛されていながら破れかぶれで、絶えず人をひっかきまわし、きっとどこにも気が休まらず、憑かれたように死を願ったひと。
私の想像を超えていて、太宰がどんどん分からなくなっていく。
人格破綻者だったのだといえばそれまでである。
にんげんに共通する何かの性質をあらわした作家なのではなく、ただ非常に特異な一人の男が、たまたま文を書く才能に恵まれていたために、
作家として愛され、人々の目を集める太宰治が生まれたというだけなのかもしれない。
それなのに、それにしてはあまりに人間的な小説を書く。
津島美知子、太田治子、ふたりの手記を通じて確信したのは、
破天荒な小説家として生きるほかなかった人であること、
小説についてのみ、真実一途な人であったということ、
戦争がきっと彼の死期を延ばしていたに違いないということ、
ポーズというにはあまりに必死に惨めに生き尽くした人だったということだ。

もう一度、太宰作品を読み直さなければ!と思うのだけれども、
意外に多作な作家なので、どれだけの量の課題図書だろうとげんなりする。
もともと、太宰や三島のような好きな作家であっても、作品によって好き嫌いが強いたちなので、
太宰も結構読み残した作品がある。
とりあえず、山崎富栄に関する本(手記ではない)と、本著のなかにもたびたび登場した野原一夫の回想手記は読まなければいけない、という思いを新たにした。
太宰漬けの5月になりそうだ。