あっというまに、三部作の三作目にたどり着いてしまいました。残念な気持ち。
こちらは更級日記を題材にした作品で、思わず更級日記の該当部分(のみ)を読んだり、薬子の変について調べて知った名前が史実に挙がっているのにわきたった懐かしい記憶もあります。
物語の骨組みはむしろ粗いと言っても良いかもしれないこの作品、
それでいて他の二作に負けない魅力を備えているのは、登場人物の賑やかさ、さまざまな生き方によるものだと思う。
竹芝、陸奥、都とそれぞれの場所をそれぞれの思惑をもった人間が駆け回り、自由闊達な若者の姿が美しい。
特に、阿高と藤太の仲の良さには、読んでいるだけで羨ましくほほえましく、この作品の大きな光となっている。
ふと思ったことだけれど、荻原規子の描くヒロインが決して美形ではない(もちろんかわいらしくはある)のも好感がもてる理由かもしれない。
稚羽矢、小倶那、阿高の三人の誰が好みかを延々と話し合ったのも懐かしい。
どの人物もまっすぐなことこの上なく、愛おしいなあと思って読んだ。
荻原規子の作品では、ヒロインがたった一人の人と巡り会い惹かれ会うさまがほぼ必ず描かれるけれども、その迷いのなさ、ひたむきさに今また打たれた気持ち。
昔読んだときははるかな憧れだったものの(なにしろ女子校だった)、10年近く経ち、やはりあれはファンタジーなのだと思わざるを得ない。
こうしたひたむきさ、美しさはどうにも私には手に入りそうにもない。
相手にかける言葉一つ、登場人物に及ばないのだから当然のことだと思う。
たった一人の人、などというものが本当にあるのかわからないままながら、あの頃の痛切な憧れを思い出して、少し切なくなった。
それからやはり私は昔の日本語や、着物、風習が好きで
もう少し前の時代(日常的に着物を着ていた時代)に生まれたかったと思うことも多い。
もっとも、慣例が今よりずっと重んじられる中に生きていては、きっと私は息が詰まっただろうし、
着物にも動きにくいと文句を散々言うだろうと思うので、無い物ねだりなのだけれども。
せめてことばだけでも、自分なりに美しいものをと思って過ごしていきたい。
こちらは更級日記を題材にした作品で、思わず更級日記の該当部分(のみ)を読んだり、薬子の変について調べて知った名前が史実に挙がっているのにわきたった懐かしい記憶もあります。
物語の骨組みはむしろ粗いと言っても良いかもしれないこの作品、
それでいて他の二作に負けない魅力を備えているのは、登場人物の賑やかさ、さまざまな生き方によるものだと思う。
竹芝、陸奥、都とそれぞれの場所をそれぞれの思惑をもった人間が駆け回り、自由闊達な若者の姿が美しい。
特に、阿高と藤太の仲の良さには、読んでいるだけで羨ましくほほえましく、この作品の大きな光となっている。
ふと思ったことだけれど、荻原規子の描くヒロインが決して美形ではない(もちろんかわいらしくはある)のも好感がもてる理由かもしれない。
稚羽矢、小倶那、阿高の三人の誰が好みかを延々と話し合ったのも懐かしい。
どの人物もまっすぐなことこの上なく、愛おしいなあと思って読んだ。
荻原規子の作品では、ヒロインがたった一人の人と巡り会い惹かれ会うさまがほぼ必ず描かれるけれども、その迷いのなさ、ひたむきさに今また打たれた気持ち。
昔読んだときははるかな憧れだったものの(なにしろ女子校だった)、10年近く経ち、やはりあれはファンタジーなのだと思わざるを得ない。
こうしたひたむきさ、美しさはどうにも私には手に入りそうにもない。
相手にかける言葉一つ、登場人物に及ばないのだから当然のことだと思う。
たった一人の人、などというものが本当にあるのかわからないままながら、あの頃の痛切な憧れを思い出して、少し切なくなった。
それからやはり私は昔の日本語や、着物、風習が好きで
もう少し前の時代(日常的に着物を着ていた時代)に生まれたかったと思うことも多い。
もっとも、慣例が今よりずっと重んじられる中に生きていては、きっと私は息が詰まっただろうし、
着物にも動きにくいと文句を散々言うだろうと思うので、無い物ねだりなのだけれども。
せめてことばだけでも、自分なりに美しいものをと思って過ごしていきたい。
