「失う」ということを、これほど美しく描いた小説はない。
高校時代のある時期に読みふけった小川洋子の作品で、おそらく一番気に入ったものがこれ。
(ほかにすっと名前の出てくる作品は、『妊娠カレンダー』『シュガータイム』くらい)
小川洋子は、人間を有機物として描くことにかけて他に類をみない作家だと思う。
唇でも薬指でも髪の毛1本でも切り離された爪ひとひらであっても、ルーペで覗きこんだように克明になまなましく、浮き上がるように描く。
彼女の描く世界はどことなく洋風で(本作で『和室』という単語が出てきたときに驚いたほど)、空気はすこしほこりっぽく、なまものがなまなましく光る。
そして、指が肌を撫でる摩擦音まで聞こえそうなほど、静かにはりつめている。
瓶に封じこんだ世界を転がして眺めるように味わう小説。
ふだんは物語のあらすじなどは書かないのだけれど、この作品については簡単に書くことにする。
舞台は島で、島の人々はつぎつぎに「何か」を「消滅」して生きている。
「消滅」はある日突然起こり、いちどそれが起こると、人々はもうそれを見ても、それが何のためのものだったか、どういう名前だったのか、思い出せなくなる。
「消滅」するものはさまざまで、「エメラルド」や「フェリー」、「鳥」、「薔薇」、「香水」などさまざまなものが消えていく。
その度、人々は要を為さなくなった(要を持たなくなった)そのものを川に流したり、燃やしたりして葬る。
島には空洞が増え、ひとびとの心はすかすかになっていく。
一方で「消滅」が訪れない人々が一定数いることが明らかになり、そうした人々は秘密警察に連行されていく。
そうした島で、「消滅」しながら生きる「わたし」と、「消滅」を知らない「R氏」のふれあいを軸に物語りは進んでいく。
「失う」というのはどういうことなのか。
必死に生きていてなお私たちは喪失から逃れ得ない。
喪失を抱えて、その痕の空虚を抱えて生きていくというのはどういうことなのか。
以前は痛々しい、美しい物語として読んだものが、今回は妙に自分が問われるように感じた。
それから、「小説」の「消滅」のシーンはやはり小説家らしく、強い思いが込められているように感じた。
作中で「書物を焼く人間は、やがて人間を焼くことになる」という言葉が出てくるのだが、調べてみたところこれはどうもナチス・ドイツの焚書に対するハインリヒ・ハイネによる『焚書は序章に過ぎない。本を焼く者は、やがて人間も焼くようになる』という警句をもとにしているように思われる。
作中の秘密警察の描写も、隠れ家の描写も、はっきりとナチス・ドイツやアンネの日記を思わせるものだった。
本を焼くシーンの描写は胸が痛むものだった。
私自身、本を焼くということに強い抵抗と怒りを感じる人種だけれど、小川洋子も明らかにそうだった。
高校時代のある時期に読みふけった小川洋子の作品で、おそらく一番気に入ったものがこれ。
(ほかにすっと名前の出てくる作品は、『妊娠カレンダー』『シュガータイム』くらい)
小川洋子は、人間を有機物として描くことにかけて他に類をみない作家だと思う。
唇でも薬指でも髪の毛1本でも切り離された爪ひとひらであっても、ルーペで覗きこんだように克明になまなましく、浮き上がるように描く。
彼女の描く世界はどことなく洋風で(本作で『和室』という単語が出てきたときに驚いたほど)、空気はすこしほこりっぽく、なまものがなまなましく光る。
そして、指が肌を撫でる摩擦音まで聞こえそうなほど、静かにはりつめている。
瓶に封じこんだ世界を転がして眺めるように味わう小説。
ふだんは物語のあらすじなどは書かないのだけれど、この作品については簡単に書くことにする。
舞台は島で、島の人々はつぎつぎに「何か」を「消滅」して生きている。
「消滅」はある日突然起こり、いちどそれが起こると、人々はもうそれを見ても、それが何のためのものだったか、どういう名前だったのか、思い出せなくなる。
「消滅」するものはさまざまで、「エメラルド」や「フェリー」、「鳥」、「薔薇」、「香水」などさまざまなものが消えていく。
その度、人々は要を為さなくなった(要を持たなくなった)そのものを川に流したり、燃やしたりして葬る。
島には空洞が増え、ひとびとの心はすかすかになっていく。
一方で「消滅」が訪れない人々が一定数いることが明らかになり、そうした人々は秘密警察に連行されていく。
そうした島で、「消滅」しながら生きる「わたし」と、「消滅」を知らない「R氏」のふれあいを軸に物語りは進んでいく。
「失う」というのはどういうことなのか。
必死に生きていてなお私たちは喪失から逃れ得ない。
喪失を抱えて、その痕の空虚を抱えて生きていくというのはどういうことなのか。
以前は痛々しい、美しい物語として読んだものが、今回は妙に自分が問われるように感じた。
それから、「小説」の「消滅」のシーンはやはり小説家らしく、強い思いが込められているように感じた。
作中で「書物を焼く人間は、やがて人間を焼くことになる」という言葉が出てくるのだが、調べてみたところこれはどうもナチス・ドイツの焚書に対するハインリヒ・ハイネによる『焚書は序章に過ぎない。本を焼く者は、やがて人間も焼くようになる』という警句をもとにしているように思われる。
作中の秘密警察の描写も、隠れ家の描写も、はっきりとナチス・ドイツやアンネの日記を思わせるものだった。
本を焼くシーンの描写は胸が痛むものだった。
私自身、本を焼くということに強い抵抗と怒りを感じる人種だけれど、小川洋子も明らかにそうだった。
