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私の本棚

将来の夢は自分専用の図書館をもつこと。大好きな本に囲まれて暮らしたい。

密やかな結晶  小川洋子

2014-03-31 18:33:23 | いまの本棚
「失う」ということを、これほど美しく描いた小説はない。
高校時代のある時期に読みふけった小川洋子の作品で、おそらく一番気に入ったものがこれ。
(ほかにすっと名前の出てくる作品は、『妊娠カレンダー』『シュガータイム』くらい)

小川洋子は、人間を有機物として描くことにかけて他に類をみない作家だと思う。
唇でも薬指でも髪の毛1本でも切り離された爪ひとひらであっても、ルーペで覗きこんだように克明になまなましく、浮き上がるように描く。
彼女の描く世界はどことなく洋風で(本作で『和室』という単語が出てきたときに驚いたほど)、空気はすこしほこりっぽく、なまものがなまなましく光る。
そして、指が肌を撫でる摩擦音まで聞こえそうなほど、静かにはりつめている。
瓶に封じこんだ世界を転がして眺めるように味わう小説。

ふだんは物語のあらすじなどは書かないのだけれど、この作品については簡単に書くことにする。
舞台は島で、島の人々はつぎつぎに「何か」を「消滅」して生きている。
「消滅」はある日突然起こり、いちどそれが起こると、人々はもうそれを見ても、それが何のためのものだったか、どういう名前だったのか、思い出せなくなる。
「消滅」するものはさまざまで、「エメラルド」や「フェリー」、「鳥」、「薔薇」、「香水」などさまざまなものが消えていく。
その度、人々は要を為さなくなった(要を持たなくなった)そのものを川に流したり、燃やしたりして葬る。
島には空洞が増え、ひとびとの心はすかすかになっていく。
一方で「消滅」が訪れない人々が一定数いることが明らかになり、そうした人々は秘密警察に連行されていく。
そうした島で、「消滅」しながら生きる「わたし」と、「消滅」を知らない「R氏」のふれあいを軸に物語りは進んでいく。

「失う」というのはどういうことなのか。
必死に生きていてなお私たちは喪失から逃れ得ない。
喪失を抱えて、その痕の空虚を抱えて生きていくというのはどういうことなのか。
以前は痛々しい、美しい物語として読んだものが、今回は妙に自分が問われるように感じた。

それから、「小説」の「消滅」のシーンはやはり小説家らしく、強い思いが込められているように感じた。
作中で「書物を焼く人間は、やがて人間を焼くことになる」という言葉が出てくるのだが、調べてみたところこれはどうもナチス・ドイツの焚書に対するハインリヒ・ハイネによる『焚書は序章に過ぎない。本を焼く者は、やがて人間も焼くようになる』という警句をもとにしているように思われる。
作中の秘密警察の描写も、隠れ家の描写も、はっきりとナチス・ドイツやアンネの日記を思わせるものだった。
本を焼くシーンの描写は胸が痛むものだった。
私自身、本を焼くということに強い抵抗と怒りを感じる人種だけれど、小川洋子も明らかにそうだった。


薄紅天女  荻原規子

2014-03-30 17:16:55 | むかしの本棚
あっというまに、三部作の三作目にたどり着いてしまいました。残念な気持ち。
こちらは更級日記を題材にした作品で、思わず更級日記の該当部分(のみ)を読んだり、薬子の変について調べて知った名前が史実に挙がっているのにわきたった懐かしい記憶もあります。

物語の骨組みはむしろ粗いと言っても良いかもしれないこの作品、
それでいて他の二作に負けない魅力を備えているのは、登場人物の賑やかさ、さまざまな生き方によるものだと思う。
竹芝、陸奥、都とそれぞれの場所をそれぞれの思惑をもった人間が駆け回り、自由闊達な若者の姿が美しい。
特に、阿高と藤太の仲の良さには、読んでいるだけで羨ましくほほえましく、この作品の大きな光となっている。

ふと思ったことだけれど、荻原規子の描くヒロインが決して美形ではない(もちろんかわいらしくはある)のも好感がもてる理由かもしれない。
稚羽矢、小倶那、阿高の三人の誰が好みかを延々と話し合ったのも懐かしい。
どの人物もまっすぐなことこの上なく、愛おしいなあと思って読んだ。

荻原規子の作品では、ヒロインがたった一人の人と巡り会い惹かれ会うさまがほぼ必ず描かれるけれども、その迷いのなさ、ひたむきさに今また打たれた気持ち。
昔読んだときははるかな憧れだったものの(なにしろ女子校だった)、10年近く経ち、やはりあれはファンタジーなのだと思わざるを得ない。
こうしたひたむきさ、美しさはどうにも私には手に入りそうにもない。
相手にかける言葉一つ、登場人物に及ばないのだから当然のことだと思う。
たった一人の人、などというものが本当にあるのかわからないままながら、あの頃の痛切な憧れを思い出して、少し切なくなった。

それからやはり私は昔の日本語や、着物、風習が好きで
もう少し前の時代(日常的に着物を着ていた時代)に生まれたかったと思うことも多い。
もっとも、慣例が今よりずっと重んじられる中に生きていては、きっと私は息が詰まっただろうし、
着物にも動きにくいと文句を散々言うだろうと思うので、無い物ねだりなのだけれども。
せめてことばだけでも、自分なりに美しいものをと思って過ごしていきたい。



白鳥異伝  荻原規子

2014-03-29 16:54:47 | むかしの本棚
空色勾玉に続き、一気読み。
読む間から、懐かしさやらうれしさやら切なさが止まらなかった。
勾玉三部作の中で、わけても一番好きだった作品です。
本作のもとになったのは、ヤマトタケル伝説だそうで、ますます日本神話を勉強したくなる。
古事記の解説本でも買おうかな・・・・(こうして積ん読本が増加の一途を辿るわけですが)

登場人物が生き生きとしているということは空色勾玉の感想で描いた通りですが、さらに補足を。
人が人を見るときの眼差しを描くのに卓越した作家なのだ。
ということを、中学生頃の私はずいぶん深く感じ入って、憧れたのだ。ということを久しぶりに思い出した。
おそらくこの点においては私の知る中で最も優れた作家であり、
そういった意味で私が荻原規子をある意味最も愛した理由だったと思う。
人が人を見るときの眼差し、そのつよさ、温度、色、落とされる瞬きの影、
思いを込めた視線の全てを、手を伸ばせば触れるかのような筆致で描ききっている。
そんな視線を向けられることにもとても憧れました。

それから、物語が型としてもうまく構成されているなということを感じた。
これは、夢中になって読んでいたころには気付かなかった(それどころではなかった)発見。
やはり力のある作家だなと再認識した。

それから、話の上でさまざまな土地が登場するのも妙に良い。
作中に出てくる土地の風土が生き生き描かれるというのはファンタジーらしさだと思うが、
その描き方が、草いきれや雨の匂いのようにはっきりと立ちのぼる、生気に溢れたものになっている。
あとは、七掬がつくる鹿の鍋や、振る舞われる酒などが不思議と印象に残っていた。
これも何度も読み返した思い入れのなせる業かもしれないが、作中のどの人も、どの土地も、どの食事も、
まるで見てきたかのように生き生きと立ち上がるのは、優れた文章なのだと思う。

やむを得ない流れではあるものの、私も徐々に年齢を重ね、読む本の好みも変わり、
昔見ていたように身の回りを、世界を見ることは適わなくなってきた。
仕方のないこととは思いながら、どうしても辛いことばかりが目につく年ごろにもなり、
夢として楽しめていた世界のことも忘れがちに、今ある生活を留めることで精一杯になっている。
もちろんあの頃も、登場人物たちのように素直に人生を生きることができていたわけではないけれど・・・・
それでもまたこの世界を私が楽しむことができたのを、心底ありがたいと思った。
あの頃のように夢の世界に長く留まることはもうできなくなったけれど、本を開けばその間はそこに戻ることができる。
10代前半の自分が見ていた世界をもう一度ただしく見ることができるとは得がたい僥倖だった。
作中の遠子の眼差しはそのまま、あの頃の私の眼差しであり、
それを得て生きるのはたぶん、少しばかりの直感を私に与えるだろうと思う。


空色勾玉  荻原規子

2014-03-27 10:52:33 | むかしの本棚
先日、伊勢神宮にお参りをしてきました。
その途中で、あ、ここは勾玉三部作の舞台ではないか!と気付いて、帰宅した途端に読み始めた、三部作の第一作目。
ずいぶんと読んでいなかったので内容もすっかり忘れてしまっていて、あんなに読み込んだのに忘れてしまうものだなと少し悲しくなった。
倭姫の息子が誰だったかまで覚えていなかったなんて・・・・!
伊勢にお参りして、改めて日本の神話や古典について勉強したい気持ちが出てきた。
私の古典好きも、思えば勾玉三部作あたりから始まっていたので、改めて自分のルーツについて考える契機に。

荻原規子の作品の何がすごいって、(日本の古典をみごとファンタジーに落とし込んだ、という点はもちろんのことながら)
お約束の展開を真に魅力的に描ききり、どこまでも夢を見せてくれるところである。
改めて読み返して、いかにもお約束の展開とプロットではあるのですが、登場人物があまりにも生き生きとしていて驚いた。
初めて読んだ時からゆうに10年以上の時間が空いたにもかかわらず、夢中になって読めてしまう。
11歳頃の私が見ていたものをもう一度見ることができた。
意外ななりゆきで理系専門職への道を進んできた私の根本にあるのは、やっぱり本の中の世界で、自分の心を解放できる場所はやっぱりここなんだなと。
日本的なはなしことばや世界にはどうにも憧れるものがある。

あと、意外な発見としては、稚羽矢が良いのはもちろんのこととして、
利戸王と鳥彦がこんなに素敵だったっけ、というのが発見だった。
年を取るなりの変化はやっぱりあるらしい。

余談なのですが、私たちが伊勢神宮をお参りした翌日に天皇皇后両陛下が勾玉・剣とともに参拝されたらしく、
どうやら私たちと線路の上ですれ違ったようです。
あれほどに古い神話が、今も伊勢や天皇家には目に見える形で生きているというのは、やはり由緒のある国であり、
幾多の戦乱を越えていまだ堅持されているというのも、いくら島国で他国の侵略を免れたとはいえ、誇って良いことなのだろうと思いました。
ファンタジー好きとしては、稚羽矢と狭也の子孫が今も残っていて、伊勢には照日王と月代王がまつられているわけて、
なんとも心躍ることです。

更に余談ですが、最近徳間書店から文庫版が出ていて、
私が持っているハードカバーはもうなかなか手に入りにくくなってしまったようです。
ファンタジーをハードカバーで読む喜びというのはなかなかのものですが、ちょっと寂しい。
こちらには私が持っている古い方の表紙を載せておきます。


ある一日  いしいしんじ

2014-03-22 20:40:31 | いまの本棚
どうしても気になった、いしいしんじの作品。
表紙が綺麗で雰囲気があります。

ほんとうに、こういう世界に生きていらっしゃる方なんだろうか、という感想がどうしても出てきてしまい、代わり映えのしない・・・・
あまりにも特殊な世界を描くので、イメージしながら読むのが難しく、読むのに時間がかかる。
出産シーンの描写は見事でした。
ご自分の体験をもとに執筆しているのか(そうでなければここまで書くのは難しいかと思う)、鬼気迫る筆だった。

いしいしんじの作品とは、どの宗教とも似ていない、いのちに対する率直な眼差しであり、泥臭くうずまく世界への畏怖でなりたっている。
ひとつの新しい宗教の書を読むのも同然。
毎回不思議な体験をします。

じぶんが出産する機会があれば、読み返そうと思う。