なんくるないさぁ~だんな と わたし と SLE と

  12歳SLE発症。ループス腎炎Ⅳ型。
早発閉経で妊活強制終了。子なし人生の幸せ模索中。

就職編③

1980年01月17日 | 膠原病とともに
★2006年4月 社会復帰を目指して★

退院してからも鬱状態は続いていました。

人に会うのが嫌でしかありませんでした。
まるで自分が自分でないようで。

「これではいけない」と無理に友達と会ったりしました。
でもそのときは楽しくても、友達と別れたあと、
どうしようもない不安に襲われるので、
また会うのが嫌になる。それの繰り返しでした。

今まで出来ていた些細な事が
できなかったのも辛かったです。
例えばいつも行っているスーパーなら、
だいたいドコに何があるってわかりますよね。
それがわからないんです。

お金の計算もできなくなっていました。
今日は何曜日だから明後日は何曜日。
そんなこともあやふやでした。
忘れないようにメモをしたことを忘れたり、
自分で片付けたモノの場所がわからなくなったり。

そして昔はそんなことは簡単に出来たって
そいういうコトはわかるんです。
だからこそ辛くて辛くて仕方ありませんでした。
「私は何も出来なくなってしまったんだ」と、
自信を全く失っていました。

眠って起きたときに、また入院していたらどうしよう。
また歩けなくなっていたらどうしよう。
今度は、もう目が覚めなかったら。。。。
そんな不安が頭の中にこびり付いて離れませんでした。


でも、幸か不幸か。医療や福祉を学んでいた私は
「ううん。大丈夫。大丈夫」と自己流リハビリを始めました。

まずは、必ず終わることをやり始めました。
単純なことです。食器を洗ったり。洗濯物をたたんだり。
今日は牛乳だけ買ってこよう。
今日は友達に1時間だけ会ってみよう。

そんな些細なコトを繰り返しながら
自分に自信を取り戻していきました。

そして、2006年3月。
社会福祉士国家試験合格通知がきました。
国家試験の合格は私に最大の自信を取り戻してくれました。

CNSで唐黷トから2年。
社会復帰を目指して就職活動を始めることにします。

もう一度自分の通う病院で働きたいと思い、
退職した会社へ迷惑をかけたことのお詫びを兼ねて
連絡をとりましたが、すでに遅し。。。
ソコに私の居場所はありませんでした。

それはただ患者として通うことになっただけ。
ただ働く前に戻っただけ・・・のはずだったのですが。

職員の見る顔、見る顔はすべて知っている顔。
声をかけてくれる人は私の記憶には無い
入院中のワタシを知っていたり。
私の居た仕事場には他の人が居て。

診察に行くたびに
「なんでワタシは働いてないのだろう」と。
胸の締め付ける思いが湧き上がりました。

戻れないとわかったなら、
次の一歩を踏み出すしかありませんでした。
そしてやはり目にとめたのが社会福祉士としての職。

家の近くで開設したばかりのデイサービスセンターで
生活相談員の募集を見つけました。

早速、久しぶりに履歴書を書き、
久しぶりに面接を受けました。

結果は採用。

しかし、社会福祉士試験に合格はしたものの、
厚生労働省から社会福祉士としての登録証
届いていなかったので、この時点で働き始めると
契約終了までは「社会福祉主事」としてしか働けないとのことでした。

デイサービスの会社は社会福祉士としての地位を認めており、
「社会福祉主事」「社会福祉士」との待遇は全然違いました。

実はワタシ福祉が苦手になっていました(^^;
どうしても自分のことを重ね合わせてしまうからです。

社会福祉士としての資格を活かせるわけでもなく、
新しい仕事に就くストレスを抱えるというリスク。
「そこまでしてやりたい仕事だったっけ?」
両親や主治医とも相談し、自問自答の末、辞退しました。

その後、苦手だとはいいながら、福祉分野への興味は断ち切れないので
視覚障害者ガイドヘルパー全身障害者ガイドヘルパー
精神障害者ホームヘルパーなど福祉関係の資格を取り、
医療事務員の仕事を探していくつか面接を受けました。

しかし、結果は不採用

面接で決まって聞かれたことは、
「なんで前職は辞めたの??」でした。

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