バリ記 

英語関係の執筆の合間に「バリ滞在記」を掲載。今は「英語指導のコツ」が終了し、合間に「バリ島滞在記」を連載。

バリ記17 家族であるということ

2019-12-29 11:02:52 | バリ記
2000年3月9日
家族であるということ

 タバナンにケラビタン元宮殿がある。王制が廃止されてから六十年が経とうとしているが、そこに双子の兄弟がいて、この宮殿を引き継いでいる。もう、七十歳である。弟の方のMr.Giriの娘は、プトゥリという名であり、それは女性という意味である。プトゥリは、ホテルオベロイでエグゼクティブゲストリレーションズの担当として働いていた。そこで彼女と知り合った。以後、付き合いが始まり、創刊号の為の雑誌で、バリを特集することに決め、バリ島の音楽を発掘する時、彼女のお父さんに大変お世話になった。
鳥に笛をつけて空で音楽を奏でるバリの人々の楽しみ方、神の楽器といわれるガンバンの演奏、バリの口琴、バリの民衆歌などを取材し、録音した。観光では、ほとんど見れないが、芸術の域にある演奏家たちの代々引き継がれた音楽だった。よそ見をして、観光客の様子をうかがいながらやっているようなものではない。自分が奏でる音のハーモニーに全身全霊をかけている圧倒感があった。それらすべてを彼がアレンジしてくれたのだった。

 その時の縁で、バリに来る時、機会を見つけては、彼と話をした。
その彼が、動脈硬化から脳梗塞を起こし倒れた、という知らせがプトゥリからあった。
今日、彼に会うためにタバナンに出かけた。彼は、元気だった。記憶もしっかりし、英語も話し、前向きに僕らが持参した健康食品に積極的に対応してくれた。
問題はここなのである。一ヶ月はうっくつした状態でいたらしいが、今は立ち直りつつある。この人は立ち直っていくであろうと、彼の表情をみていればわかるものだ。僕らの言葉にも積極的に耳を傾ける。ノートをとろうとする。病気の加減にもよるのだろうが、僕の父も全く同じになり現在病院をいったり来たりしている。病院を行ったり来たりするのは、父そのものの性格のせいである。
性格とは、「物の考え方」を言う。これが性格の定義だ。
父は、何としてもこの困難に打ち勝っていこうという意志が薄弱である。母が言うことに(言い方にも問題があるが)怒り、病院が用意する食事を拒否し、母に甘え、自分の好きなものをいまだに食べようとする。あまりに面倒をかけるものだから、母が無視して一日病院に行かないとあわてて病院を抜け出て、タクシーを呼び、家に探しに来る。
 自分の父の事であるが、これではダメだろうと思う。
一人で立ってゆく意志がない。たとえ身体が病気でも心が健康であればいいではないか、という気持ちがない。つまり死などというものは決して自分では経験できないものなのだから、生きている間、心を健康にもっていこうという物の考え方ができないのである。
「俺はな、海で死ねたら一番ええんじゃ」と父はよく言っていた。
それは、海で働いていた男だったから、海にとけこんで死にたいという願望だったのだろうが成就できず、ベッドの上で甘えっぱなしでいるのだ。
 突き放したように言えば、死に方は生き方の問題である。
 死というものはあり得ない。
 死と言うものを存在すると考えるならよく死ぬということはよく生きるという意味である。
 そういう話をプトゥリのお父さんとした。しかし、実際の父とはこのような話をしていない。家族の声というのは一番身近にもかかわらず届かないものだし、しにくいものだ。



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