バリ記 

英語関係の執筆の合間に「バリ滞在記」を掲載。今は「英語指導のコツ」が終了し、合間に「バリ島滞在記」を連載。

バリ記16

2019-12-28 10:59:16 | バリ記
2000年3月6日
バリのホテル

 バリには、ひっそ
りとゆったりと、一日中本を読んだり音楽を聴いたり水に入ったり、時には散策をしてという風に過ごせるホテルが幾つもある。建築物も調度品やエクステリア、インテリアにも凝っていて、美意識みたいなものもくすぐられ、日常の生活空間とは違う空間を提供してくれる。ホテルスタッフの暖かい心遣いがあってこそだが、このようなホテルは、すべてにサービスがいき渡っている。
まるで芸術の中に身を染めてしまうようなアマヌサ。アマヌサの静かなビーチ。未来の誰かと必ずや一緒に泊まってみたいと思っている人には、おすすめのホテルである。
 アマヌサとは値段も格式も全然違うホテルだが、インドネシアの経済危機で建築が中断し、ようやくのこと本格的にオープンにこぎつけたバリ・アガというホテルがアマヌサの近くにある。ここも隠れ家的でこじんまりしたホテルだ。

 アマヌサやアマンキラ、アマンダリはまだ行かずにとっておこうという人には、このホテルやウブドのイバなどが良いのかも知れない。ブティックホテルと呼ばれていて、センスだけで勝負しているようなホテルだ。
バリにはピンからキリまでホテルがいっぱいある。僕は仕事で来る場合は、アクエリアスホテルが場所的に便利なので利用しているが、このホテルは一室二千円程である。アクエリアスホテルはレギャンストリートにレストランが面しているのでまだ二千円とれるのかも知れない。ちょっとレギャン通りから脇道に三十メートルも入ると、一室五百円位になってしまう。部屋をのぞかせてもらうとりっぱな部屋である。
ロスメン(民宿のようなところ)でもなく広く部屋数も五十はある。
こういうホテルは日本の雑誌では紹介されていないが、それでも欧米系の客、日本人も泊まっている。
長逗留をして、サーフィンに熱中するとかダイビングをマスターしようとか、という人には良いのかも知れない。
 バリはエアコンがなくても、よっぽど暑がりのひとでない限り大丈夫であり、その点、健康な若い人なら相当気楽に楽しめるだろう。
アマヌサなどは、どこかシャンというか気品を漂わせなくては、みたいなところがあるから、それはもっと大人になってからでいいとも言える。

2000年3月8日
今はそれがない


 バリ島に来て一週間が過ぎた。暑い日が続いている。きまって夜中の十二時頃になるとスコールがやってきて、半時ほどで通りすぎてしまう。
昨年の緊張感は緩み、バリに観光客が戻ってきた、という感がある。NHKなど民放を含めて、結構バリをテーマとした番組も十二月、一月とあったから、その効果もあるのかもしれない。
僕の方はと言えば、忙しい日が続いている。エステサロンのスタッフもほぼ予定通り集まり、面接も終え、研修に入った。昨日は、タバナンまで知り合いの見舞いに行き、夜は久しぶりにオベロイで「ラーマヤナ」というガムランと踊りを見ながら夕食を楽しんだ。
今日は、銀行、公証人事務所とまわった後、警察の人二人がわざわざ出向いてくれ、先日の入国管理局の態度を詳しく聞いてくれ、何かあったらすぐ連絡してくれ、という親切な対応をしてくれた。入国管理局の者は、お金にならないことがわかったから二度と来ないだろうと彼らは言う。
日本領事館には、まだ行く暇がない。
 バリにリゾートに来ていた時は日を惜しむように一日一日が貴重だった。早くも日常の生活に戻らなければならないことに、何かしら気持ちが騒いだ。
今はそれがない。バリが日常の一部となってしまった。このことを僕の好きなリスボンに置き換えてみる。リ スボンに五日間の旅行をして、のんびりと日常を離れて、アルファーマを歩いたり、ファドを聞いたりして過ごしたとする。僕は早くも二日か三日で帰らなければならないことを残念に思い、まだここでの日々がせめてあと何日か続いたらよいと思うのだろうか。
たぶん思わないと思う。
 僕の中で何が変わったのだろう。外国はいつでも来れるという存在になったからだろうか?
自分の気持ちの処理の仕方に激しさや勢いがなくなってきたからなのだろうか。
今がわりあいと、気持ちのよい仕事がやれているためだろうか。
この二年毎日が冒険旅行のようである。冒険旅行が実は僕の心踊る望みではなかったか。橋のない川を渡り、野営をし、毒蛇の襲撃をかわし、暗いジャングルに迷い込み、そして脱出し……という展開は自分自身が望んできたことではなかったか。


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