バリ記 

英語関係の執筆の合間に「バリ滞在記」を掲載。今は「英語指導のコツ」が終了し、合間に「バリ島滞在記」を連載。

バリ記28 地球の歩き方

2020-01-10 10:09:01 | バリ記
2000年5月14日
地球の歩き方

昨夜、激しい雨が夜中から降り始め、朝まで続いた。レギャン、クタはいつものように洪水状態だろうと思いながら寝た。
バリに来たのはいつだったのかも忘れてしまい、今日何曜日で何日なのかもわからず、それはあくまでも部屋にカレンダーがないのと、日と曜日がついていない時計を持ってきたからだと、改めて気づく。
朝十時も過ぎると、すっかり空は晴れ上がった。毎日、涼しく良い日が続いている。部屋では、クーラーは要らない。
食器がようやく見つかった。バリはどこもかしこも五つ星ホテルは、ジェンガラという会社の陶器を使っていて、独占状態の為、注文すると五ヶ月はかかり、とても八月一日のオープンには間に合わない。ジェンガラのものはデザイン的にはバリにある陶器屋さんの中では群を抜いて良い。しかし、重たい。重すぎるのが欠点である。日本の陶器のような洗練さはなく、ただ土の香りがする、というのが特徴かもしれない。僕は土の香りをするような、重たいものは求めていないが、ここしかないとなったら、しかたがないかとあきらめていた。灯台元くらしで、デンパサールのデパートに行ったら、期待しているものがあった。スラバヤに会社があるという。早速連絡をとり、バリの出張所のスタッフがすぐやってきて話し合い、これにて食器問題が解決した。
五ヶ月も待たせて平然としているジェンガラのスタッフ及び社長の横柄な態度に気分を悪くしていたので、すっきりしたのである。
そうこうしていたら、「地球のあるき方」の取材があった。二十四才の若い女性が、クタ、レギャン、スミニャックを担当し、三週間滞在して取材するのだそうだ。彼女は、役得でカルティカプラザホテルに無料で滞在し、取材しているのだそうだ。ガイドブックの影響力は大きい。広告代にすれば大変なものだ。
日本では、有名旅行雑誌が三つある。つまり三つの旅行雑誌のうちのひとつ。たかだか二十代の娘のセンスによる取材で、バリの店も影響される。逆に言えば、どうしても取材しなければ編集員として恥になってしまうような店作りをすれば良いということにもなる。

2000年5月31日
ひどい話

バリ島から日本に旅行する場合、きちんとした手続きをふめば、日本領事館も厳しいとは思うけれど、ビザを発行してくれる。ひどいのは、インドネシア人同士のことだ。
普通、パスポートを作ってもらうのに、余白二ページくらいで45000ルピアである。これが正規の値段である。このパスポート発行に中国系のブローカーが絡む。
ビザを出してもらう為、あらかじめ旅行日程を先に決めている人がほとんどだ。そこが目のつけどころと、期日までに間に合わせたいなら、お金を出せ、俺がうまく話をつけてやる、と申請手続きの周辺にいて、話をもち込んでくる。パスポートを作る係員も、その仲間もすべてグルである。これで1,500,000ルピア(約25000円)をとられる。
次は、出国の際である。日本なら無料のところである。政府は出国するインドネシア人から1,000,000ルピアをとる。計2,500,000ルピア。普通の人のサラリーの五ヶ月分である。
さらにおまけがつく。日本で物を買う。それを持って帰ると、なんだかんだと言ってお金を要求する。ひどい国である。たかりである。ふんだりけったりである。役人がそれをする。役人は給料が低いから、という理由がつく。だから、政府が悪い、となる。
脱税がほとんどで、道路などのインフラも整備できない。役人にそこそこの給料も払えない。だから利権でもうけようという者が出てくる。この悪循環が経済の裏で繰り返し繰り返し行われている。
日本の敗戦時のように、外から強制的に変革されるなら、改革は進みやすいのだろうが、インドネシアにまだそのような機会がない。スハルトが沈んだだけではこの国はおいそれと変りはしないのである。そう簡単に自分自身の力で、過去からの習慣や関係性を断ち切れるものではない。
この国が、せめて日本くらいまで(良いとは言えないまでも)つまり、一般大衆が正規料金でパスポートが取得でき、無料で出国できるようになるまであとどれくらいかかるだろう。
さて、このことに関してのバリ島民の意識だが、ほとんど外国に出ないから、被害の意識はなく、そんなものだと思っている、といった方が正解の感じがする。
僕は、このH・Pを通じてこのような問題を書きつづけている。
《不安》は、《わからなさ》からやってくる。なんとかして《わからなさ》をわかるように明らかにしたいと思う。



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