バリ記 

英語関係の執筆の合間に「バリ滞在記」を掲載。今は「英語指導のコツ」が終了し、合間に「バリ島滞在記」を連載。

バリ記37 気がついたこと / ひそやかに、遠慮がちに /

2020-01-19 11:08:42 | 私の英語講習
2000年7月14日
気がついたことアラカルテ

五月の下旬にバリに来てから五十日くらいになる。バリ島について新たに発見したことを述べる。
まず、水である。どうしたことか髪の毛が縮れはじめ、髪がパサパサとしてきた。応援スタッフのオーストラリアから来たパトリシアもそうだという。どうやら水のせいではないかということになった。変化は髪の毛だけでない。白いマニキュアが黄色く変化してくる。白いシャツは何度か洗っているうちに黄ばんでくる。
 バリ島には、爪を伸ばしている人が多いのだが、男性も女性もその爪が汚れてみえる。実は、汚れているのではない。伸びた爪の裏表が水に攻撃されて、光沢を失い黄ばむのである。これがひとつ。
次に、バリ人には地図が描けない人が多い。ほとんどの人が描けない。逆に言えば地図が読めない。日本では、全ての家が載っている市町村別の地図もあればランドサットによる地図もある。バリ島では警察すらこのような地図をもっていないし、詳しい道路地図もない。
 学校で地図を描く練習もないようだから、必要性がなかったのだろう。
 次に話のポイント、核心的なことに触れず枝葉のこと、周辺の具体的な話がやたら多い。例えば、「いつから台所がつかえるの? 」と聞くと、「来週の月曜から」と答えればすむ話を、手洗い場がこうこうこう、こうなって、キャンセルをして、それはどういうわけで、だれのせいで、オレらは夜中まで家に集まって相談して・・・・」という話になり、さらに、話が飛び階段を支える鉄は一本ではすぐに腐ってしまうのではないか、不安だ、延々と話は続き放っておくと結論はなく、まるで終わりのないバリの音楽を聞くような感じだ。
 「それで、台所はいつになったら使えるの?」と聞くとまた別の話をし始める、といった感じである。
 次に、一人に質問すると寄ってたかるように三人、四人と口をはさんでくる。それも怒った様子で口をはさんでくるので、一人の言っていることが何か間違ったことを言っているように思える。
 「やかまし! オレは今、スリアシと話をしているんだ。」
と思わず言ってしまう。
 人によって違うのだろうかと観察していると、確かに無口な人もいるが、その無口なひとでさえ、時に参加してくる。だから一般的にそんな風なのだろう。
 次に、漢語ではなく、恐らく昔から使われていた言葉なのだと思うが日本語の動詞と音の意味がよく似た言葉がある。
語る、ストーリーを語る、物語みたいなことをカタとかカタカタというし、気持がたかぶるはタカブルと同様である。日本語という言語がある時期、この辺とも密接につなっがっていた、つまり日本語が積み重なってきた歴史の初期の頃、よく似た言葉を日本人も喋っていたのではないかと思ったりする。それは、着物をはいでいけば腰巻、つまりバリのサルーンが最後に残るというような、どこか根底のところで共通したものがあるという感じなのである。

2000年7月15日
ひそやかに、遠慮がちに

 パトリシアが帰る日が来た。彼女は十七日間、メニュー作りとウエイター、ウエイトレスのトレーニング、ヨーロッパテイストのチェックと大活躍。
 最後の仕事が終わってパトリシアがあいさつをして、さてみんな二十才以上のバリのスタッフを見ていると、何ていうのだろうか、「世界うるるん滞在記」みたいな感じだ。
 しらけた人がいないのが不思議だ。人はみんな貴種流離譯のようになってしまうのだ。他所から来る人はなぜか尊く見えるものだ。
 彼女はこの十七日間、彼女が会ったバリの人々を批判することも、非難することも、愚痴をこぼすこともなく、文化・生活習慣の違いというものをしっかり認識して、仕事に入っていた。えてして、「バリ人って・・・・」と、馬鹿にした言い方をする人がいるものだが、この点は、わがスタッフは気持がよい。
 彼女が大好きなロングコーヒーもメニューに入れた。素敵なレストランで、美味しい食事をして、ワインを飲む。そして素敵な音楽がかかる、などと最後の夜は、はしゃいでいるように見えたが、そしてシェフやバーキャプテンもひそやかにこれから話が弾むことを期待していたのだったが、ふいの訪問客が僕の部屋のガーデンに来た。
 テレビのワイドショーや歌謡番組の何分かのコーナーを請け負って、制作している仕事をしている会社の社長だった。僕らは彼を歓迎しつつも、シェフたちは日本語がわからないから、とたんに遠慮の姿勢となって、パトリシアのお別れ会めいたものはそのまま散会となった。
 さて気がかりは、淋しそうに、遠慮がちに帰ったシェフのバワやバーキャプテンのプジャナであった。パトリシアも、しかたなさを感じているものの、心残りであったに違いない。いろいろあった日だった。


バリ記23 Ida Bagus ~ の無意識

2020-01-04 11:38:07 | 私の英語講習
2000年4月20日
Ida Bagus ~ の無意識


 例えば、バリ・ブックツリーのマーケティング・マネージャーは Ida Bagus Oka Suwardanaである。経理担当のマネージャーは Ida Bagus Suparsa である。OkaとSuparusaが探してきた経理のプロは Ida Ayuである。Idaはバリカーストでは、僧侶の階級であり、一番高い位であるとされている。Bagusは男性につけ、Ayuは女性につける。
大きな儀式には、これら僧侶の代表格みたいな人が中心的な役割を果たすが、Idaとつく者が儀式のお手伝いをする。
 今日は、エステサロン「エステ・デ・マッサ」の完成及びオープンの日となったのは、バリヒンズー教では日が良いためである。二十日を逃すと次は二十八日となってしまう。当然、エステサロンのコンサルタントを引き受けている我々は、この儀式の手配も行う。そして、当然我々のスタッフのIdaたちは神に捧げる為の鶏を殺すのも、供物を穴に埋めるのも、儀式に付随するすべてのお手伝いをする。これが、今日午後四時の話である。
 話を戻して、午前十一時。今日の「シェフ募集」の新聞広告を見て、メインシェフに応募したいと履歴書をもってバリの男性がやって来た。名前を聞くと、Ida Bagus Bawaと言う。するとOkaは咄嗟に安心したのか親近感を表し、気楽に話しはじめた。
 ここで疑問が湧いたのである。Idaという階級の者達は、大きな階級としての家族意識のようなものを持っているのではないか。そういえば、貴族階級をのぞき、他の階級の人たちにどうもとっつきが悪く、信用するまで時間がかかり、心の底では、どういう人間かわからないという慎重さを示す時が多い。
僕はそういうことにはお構いなく、「目」だけで人材を選んでいるので、Idaたちは本当はハラハラしているのかも知れない。
 「本当のことを言ってほしい。君らはIda以外の人たちと自分たちを区別しているのではないか。今日感じたんだけど、本当の祖父でないのに今日来てくれた僧侶を「お祖父さん」と呼んだり面接に来た男性にはたいへん親近感を持ったようだし。逆にマデとか、別の階級の人に接する時は相当慎重のような気がする。階級によって人を上に見たり、下に見たりすることがあるのかい」と口火を切った。
Okaが答えた。
「 同じIdaでも人によって違うと思う。Idaと名がついていても泥棒する者もいる。酒乱の者もいる。僕の場合、カーストは儀式の時に出てくるだけで、日常生活ではなんの差もなく、人間は平等だと思っている。」
なるほどと思う。だが言葉が意識的すぎる。
「我々の心は意識の世界と無意識の世界に二重になっているんだ。無意識の世界と意識の世界は互いに行ったり来たりするけれど、僕らは君らの無意識の世界がどうなっているか知りたいんだ。意識=言語なんだ。Okaの言葉は意識の世界だと思うが。Suparsaこの点どうだい。」
ともっと深めて質問してみる。
 Suparsaは思慮深い男性で、二十代、三十代、四十代は精神の修行中だからと出会った頃よく言っていた。
「オレはブラークマナ(僧侶)で、シュードラとは違うんだ、みたいな気持はないかい。ドライバーをしていた時に、よくこれも修行中なんだと言ってたよね。」

 Suparsaは
「シュードラの人の豪華な通過儀礼が寺で行われる時、腹立たしい気持があった」
 僕は続ける。
「アクエリアスのホテルのオーナーはマデと言い、シュードラだけど、彼は君らブラーフマナの人間には嫉妬はしないのかい。」
 Okaが答える。
 「それは絶対ないと思う。ただ僕らブラーフマナはブラーフマナであることを誇りにしていると思う。バリはブラーフマナとサトリア(王族)、ウエーシェ(士族・商人)はたった十%で、例えばマデという人と会った場合、東ジャワのマデなのか西ジャワ、南ジャワのマデなのか、その人の出自がよくわからない。だからよくわかるまで慎重になる。しかし、ブラーフマナつまりIdaと聞けば、どこのIdaとすぐにわかるので初めから慎重にならずにすむ....」
 日本人が同郷の者で集まったり、県単位で集まったりするのと似ているのかも知れない。
 「僕がマネージャーとしてシュードラの人を雇っても、君らは嫌がったりはしないかい。本当はするような気がするんだけど。」
 Okaは
「それはない。あなたは、この会社で必要なことは、いかに仕事がやれるかというのと語学力だと言っている。それによって給料もポジションも変ってゆく、と言っているし僕らもそれで了解している。自分より能力のあるものが必要時に上につくのは当然だ。日常生活のはこれはバリ人みんなが了解していることだ。」
 
 このように聞いても、本当のところはわからない
自分達が特別な人間だ、という思いがあれば、きっと彼らは特別な人間だ、と思われるに違いない。儀式の時、Idaたちは精を出し、他の人たちはその進行を見ている。これは我々がキリスト教であれ仏教であれ、神道式であれ何かの儀式をする時、神父やら、お坊さんやら、神主や巫女たちが、その進行をしてくれているのを我々が見ており、そこに特別な階級の意識や区別・差別の意識などないのと同じなのかも知れない。しかし、カーストとして残存している以上...という思いが立つ。依然わからない。

バリ記13 ああ、マッサージ

2019-12-25 10:42:41 | 私の英語講習
2000年3月2日
ああ、マッサージ


 「オカ、今度の店のスタッフは集まったかい?」
と、5日から始まる面接を心配して、バリに着くなり僕は、バリのマネージャーであるオカ(名前はオカでもバリ人)に聞くと
「ノット、イエット。殆どがジャワからの女性で、バリ人は2~3人。全部で18人」と答えた。
不思議な答えだったので、
「どうしてジャワの人が多いんだい?」と聞き返すと
「マッサージの仕事には、バリ人は来ない。」と言う。
「どうしてだい?」
「イメージ!マッサージというと売春をイメージするんだ」
「ええっ!なぜ、そんな大事なことを僕は今日知るんだ。募集広告には、なんてかいたんだい?」
「エステっていう言葉は、バリ人はわからないし、バリニーズマッサージという言葉を使ったから、たぶんバリ人は敬遠したのだと思う」

 僕は、オカの気の利かなさを嘆き、あぁ、こういうところにもイメージの違いがあるのかと、またひとつバリを知ることになった。
5つ星のホテルでは、部屋に来てくれるマッサージサービスがある。日本にもある。僕もマッサージを頼んだことがある。
 「それじゃぁ、オカ、僕はバロンコテッジ(1泊3千円くらいの安いホテル)で、マッサージを頼んだことがあるけど、マッサージにきた女性はセックスにも応じるのかい?とてもそんな風に見えなかったけど。」
「ケース バイ ケースだけど、前もって、ホテルにそう言えば、応じると思うけど…」
会社の他のスタッフもオカに同意する。みんな、マッサージはよろしくない職業と考えているようだ。
観光客相手のマッサージ兼セックスプロバイダーが元締めでいるらしい。
 
 僕は、エステの店を立ち上げたら、小さなホテルにもマッサージの要望があれば派遣するつもりだったので、この会話でこの計画にブレーキをかけてしまった。
 そう言えば、サヌールのバリ・ハイアットに泊まった時、海辺で女性が近づいてきて、マッサージをしないか、と誘われたことがあり、マッサージをしてもらいながら、セックスはどうか、と誘われたことがあるのを思い出した。僕は、あれは特別なことだと思っていた。また、昨年、メリア・バリに泊まった時、マッサージを頼んだら、二人の女性がやってきて、部屋に僕の妻がいることを確めてから一人が帰ってしまったことがある。
 もしかしたら、防衛のためかも知れない。マッサージ=セックスと勘違いしている男もいるかも知れないし、マッサージ中、男がその女性にしつこく交渉を始めるかも知れない。
ここ三、四年でエステの店が雨後の竹の子のように増えた。しかし、エステという短縮形の日本語は、バリに定着していない。さて、どうやって良い人材を集めるか。思わぬ障壁である。
広告の出しなおし。しかし、スタッフのトレーニング開始は八日である。あと一週間。うまくいくのやら。


バリ記10

2019-12-21 08:39:23 | 私の英語講習
2000年1月17日
LIZA HANIM


 のびやかな声で、テレビから聞こえてくる歌は、スンダ(インドネシアのダンス音楽)のような気もするし、西洋の雰囲気もする。またどこか日本の歌謡曲~ポップスの雰囲気もするが、とにかく歌がうまい。声が限りなくでるようで、曲線を描くようにのびる歌声は天性のものだろう。テレビ画面から急いで歌手の名前を写し取った。LIZA HANIM(リザ・ハニム)という。
翌日、スタッフに聞くと、みんな知っていた。マレーシアの歌手だという。今、バリでも人気なのだそうだ。
もう一人いる。SITI NURHALZA(シティ・ヌラールザ)。LIZAよりももっとポップスぽくなる。この歌手もまだまだうまくなるだろう。
 ポルトガルの大衆歌謡がアマリア・ロドリゲスによって芸術の域にまで達した。
西アフリカのモルナはシザリア・エポナによって喝采を浴びるようになった。
スンダ系の音楽(今のところなんと読んでいいかわからないが、たぶんジャンル名がでてくるだろう)にも、世界に通用していく人が現れるのだろう。

「これは良い」と思うときには、その歌や歌手は、もう時間の問題で昇りつめる寸前のところだ。シザリアを知ったのは、リスボンでアルファーマの店だったが、1年後、彼女はマイクロソフトのビル・ゲイツやクリントン大統領たちに招待され、歌を披露している。
まもなく、日本でも発売され、CDの種類の多い都会の店には、必ず3~4枚程のアルバムが店頭に並んでいた。
 きっと、LIZAは世界的な歌手になっていくと思う。
美空ひばりのうまさとホイットニーのうまさをイスラムで乗けてしまったようなうまさである。


バリ記9

2019-12-21 08:31:22 | 私の英語講習
2000年1月15日
バリの女性

 昨夜はバリの女性スタッフ達が日本食に挑戦する気持ちがあるというので、日本食レストランに連れて行くことになった。クニンガンで休日を楽しみたいという雰囲気がある。寿司のわさびの効き方は鼻と目に来るので、以前イダはびっくりしてしまい、それから寿司は避けるようになった。申し訳ないサービスのしかただった。昨夜はその点は避けて、とりあえず食べれそうなものを選び、ちょっとずつ食べて、日本料理もよいものだと思わせるよう工夫した。結果は上々だった。冷やっこ、もろきゅう、ぎょうざなどから入り、串かつ、そして親子丼を分けた。デザートにはミルクとあずきの入ったミルク金時をおすすめした
ここで食の違いについて語るのではない。女性の環境についてである。聞くところによる話である。一部貴族階級に見合い結婚もあるが、だいたいが自由結婚である。カーストもほとんど無視しているようであるが、カーストの違いは儀式のときなどに、手続の問題(例えば名前を変えるとか)として現れてくるが、大したことでもないようだ。
 僕の知る限り、かなり結婚願望が強く、出産願望も強いようだ。しかしながら日本のロック音楽の歌詞のような、病的とも思えるほどの恋への切なさや、恋での悲しみ、恋での歓喜、男女の心や神経や内臓等との一体感に焦がれるようなものではなく、おおらかさが感じられるような雰囲気を持っている。エッチな話などは穢れたものだとは思わず、恥じらい方も解放性が感じられる。個人的な幻想を共同の幻想や家族への幻想に収斂させているようだ。
結婚は村(パンジャール)の成員となるためには必須だから、つきあった男性とはひたすら結婚の道へ進むことになる。処女性も重んじられている。処女を失った女性はこの点が気持ちの上でひっかかるようだ。仕事については自分の代わりはいくらでもいるんだと思いたくない《個人意識》の強さはなく、仕事上などではいくらでも代わりはいるが子供を産むのは代わりはいない、という感覚。僕の言い方で表現すれば、そんなふうだ。
 一生独身でいることは、村生活の成員権、ひいては葬式などにも影響するから、その点では制度としての強迫的なということになるが、彼女らは「強迫」などとは決して思っていない。どこかに抜け道なり、空気孔があって、窒息死はしなくてすむようになっているのだろう。
離婚もあまりない。僕の女友達は離婚をしたが、老後、死後のことが一番の悩みの種であり、既婚女性からの中傷も多く、夫を寝取られるではないかと心配する女性も多いようだ。
総じてバリの女性の環境は以上のようなものであり、付け加えるならば、よく働くなあと思う。これは数人との話の中での印象に過ぎず、体験的ではないので、その旨付記しておく。

2000年1月16日
贈与


 世界の経済を平均化、あるいは分業化していくために、「贈与」という概念が新しく登場している。
富める国は、貧しい国にお金なり、物なりを援助の形で贈与する。お金を貸しても戻らなかったと言うメキシコやブラジルのような例から、贈与も積極的にとらえようという動きである。貧しい国から何もかも巻き上げてしまうための贈与ではなく、国々の自立を促すものだ。
スケールを小さくして言えば、ワイロも贈与の一種である。
バリの公務員の給料は低い。法律上、相続税や贈与税はないから、富める者はいつまでも富める者で、貧しい者が裸一貫からビジネスを興していくことは難しい。
 観光業に参入してもうけようという人たちには、まだしも成金になっていく可能性があるかも知れないが、それ以外には、利息の高さから言っても易しいものではない。日本の公務員は恵まれているが、それでもワイロが起きるのだから、バリでは、日常茶飯事となっている。
 多くの税を払う代わりにワイロ。許可をとるためにワイロ。商品を納めるのにワイロ。
これらの小さな贈与は当然経済に組み込まれていて、公務員たちの足りない給料を補っている。不正と言えば不正なのだが、仕方がないといえば仕方がない社会と経済のしくみである。
タクシーに高い料金をボラれる。買物の交渉で高く買ってしまう。それはお金を持っていそうな者にするので、我々日本人は毎日贈与している。
 経済社会が発展していくと倫理観も変化し、ワイロはいけないことになるかも知れないが、世界規模からこの問題を考えるとサービス産業が発展してしまって後戻りできない。
国は、贈与を行って、農、林、水産物など、それぞれ分業になりつつある国々から分けてもらい共に仲良くやっていくしか、今見出せる解決策がなさそうである。
小さなスケールの点では、贈与は禁止の方向に行きそうであるが、大きなスケールでは、贈与が責務のようになってきている。