バリ記 

英語関係の執筆の合間に「バリ滞在記」を掲載。今は「英語指導のコツ」が終了し、合間に「バリ島滞在記」を連載。

バリ記18 ああ、こんな人もいるんだ

2019-12-30 11:06:31 | バリ記
>2000年3月10日
あぁ、こういう人もいるんだ


 「本木さんですか」と店に顔を出していたら、たずねられた。若い男性である。ホームページをいつも見ていて、大変貴重で役立つ情報が載っているとおほめをいただいた。サーフィンをしにやってきたのだそうだ。鼻の皮もむけて真っ黒に日焼けしている。
 「バリの滞在記でも書いてくださいよ」とお願いした。
掲示板に投稿してくれるとおもしろい。いろんな人の旅行記を別のコーナーにして掲載できる。すると、もっと情報が集まる。
 また別のある日、おもしろいというか、あぁこういう人もいるんだと思わせる46才の(46才には見えないほど若い)男性が店にやって来た。ガラスに絵を描いたものを売り込みしに来たのである。おもしろそうな人だったので、後日、また会いましょうということになって、4,5日経ってから電話がきたのでいっしょに食事をすることになった。
 栄養士になって病院に勤め、それが嫌になって武蔵野美術大学に入り、それも途中でやめ、オーストラリアでレストランを開いたのが31才の時だそうだ。大繁盛したのだが、ビザ管理のミスで腕の良い相棒が強制送還になり、そこから苦労が始まった。今は、赤字で店を閉じたらしい。バリ島には、絵画の店を3店もっていたのだそうだ。それも家主とのトラブルでダメになったらしい。
 「今、死んでも悔いはありませんよ」と彼はぼそぼそと言う。
 「悔いはないなんて嘘でしょ。」と僕は言う。
 「いつも身体のどこかに火種のようなものがあって、いつもそれがくすぶっているんじゃありませんか」と言ってしまう。悔いはないなんて、言い方を知らないだけだと思う。
 「今まで、やりたいと思うことを一生懸命やってましたしね。人の見れないところもいっぱい見たし。そういうことからすると、毎日生き切ってきた、という感じですから。もちろん、まだまだやれると思うし、夢もいっぱいありますよ。」

 帰るところはないと言う。ヌサドゥアに小さな家を借りて、そこで絵を描き何とか売り込もうとしている。出直ししようとしている。シンガポールに行くかもしれないと言う。
 4時間もいろいろ話をして別れ際、ガラスの絵の売り込みをされた。ヤーマのような店では売れない。現に10個ほど置いているが1個も売れていない。幾つかのモチーフ上のアドバイスをして別れた。
 こんなふうにして人と出逢う。縁があればまた会う。なんでもそうだが、人、物、事は向こう側からやってくる。そしていつも選択をせまられる。選択をして人生が変わる。そしてまた選択をして人生が変わる。二度と同じことはない。むこう側からやってくるものには、できるだけオープンスタンスでいようと思う。



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