バリ記 

英語関係の執筆の合間に「バリ滞在記」を掲載。今は「英語指導のコツ」が終了し、合間に「バリ島滞在記」を連載。

バリ記31 色・崩壊そして・・・

2020-01-13 10:29:21 | バリ記
2000年6月11日

 バリ・ガラスでできたレストランを建設中である。建設と並行して、様々な準備をしなければならない。料理の決定、ドリンク類の決定、メニューデザイン、トレーニングなど事細かである。
 最高の味、最高のもてなし、最高のデザインがあれば、成功することは間違いないだろうが、そのシンプルな、三つの原理に到達するには、事細かに微密に物事や想像力を積み上げてゆく必要がある。
 そのような中で、今日は日曜日。天気がよく、爽やかである。レギャン通りをブラブラ歩き、シェフ特別用のスカーフとエプロンを探すのが、外での唯一の目的である。久しぶりに買物気分で店を見て歩いていると、ちょっとずつ新しいおみやげ物も出てきている。ビーズ物が流行っているのだろうか。
 シェフ用のスカーフは、絹のバティックを使用したいと思っていた。絹のバティックを売っている店がベモコーナーからクタスクウェアに行く途中の右側にあったのをおぼえている。値段も定価でびっくりするほどだったのもおぼえている。
その店で買おうと思っていた。シェフにも好みはあろうが、これは僕が決めるつもりだった。ひとつは、シェフの肌の色や雰囲気で決めた。つまり、色に意味をもたせずに決めた。茶とえんじの間のような色で金色も入っている。
 もうひとつは、色に意味をもたせたかった。あんたは、シェフなんだ。料理の世界では、最高の地位なのだ。それに恥じないように頑張れ。みたいに、その事が通じるような色を選ぼうと思った。あまり知られていないが、バリ島には、色のヒエラルキーがある。
 アグン山のあるほうには聖なる者が宿り、海のほうに邪悪なものが住むと見なす。その聖なる色は黄金である。その対極の色は、黒である。黄金色、白、黄、赤、黒と続く。
 黄金色は、楽器や舞踊の衣装でも使われるが、その色の見事なのは、家族が行う通過儀礼の時だ。全てが黄金色である。 全ての色に似合う完全の色である。
 白地に黄金、赤に黄金、黒までも黄金色が配され黄金色は黒に負けないのである。
 あれこれ考えた末、シェフのスカーフは、黄金、白、それに淡い水色、黄色が入ったものを選んだ。
 黒は、邪悪な神バタラデュルの色だ。シェフは黒を希望していたがやめた。
 白は、ブラーマ(慈愛の神)の色だ。それに太陽の色(黄色)と火の色(赤)が加わる。その中に火を使う台所での仕事が主なのだから、赤が入っていて欲しかったが、それは見当たらなかった。
 かくして、明日は、これらのスカーフを見せて、特別な思いをシェフに伝えるのである。このようにして一つ一つ片付けていく。レストランオープンまで、あと五十日である。

2000年6月13日
崩壊、そして・・・

 戦後、最大の事件といえば、僕は阪神大震災とオウム真理教事件、そして神戸の酒鬼薔薇聖斗の事件だと考えている。
 それらの事件は、戦後日本人が励み、生きてきたことの崩壊を意味しているように思えるし、東西冷戦が終わり、日本ではバブルが崩壊し、金融危機となり、ベンチャー企業は次々と倒産した。
 近代都市が一瞬にして崩壊する。制度も法も、過去も明日も崩壊する。それが阪神大震災である。オウム真理教事件では、ただ宗教的な動機で無関係な人々をサリンで殺した、という動機や縁のない殺人が起こった。それに心優しそうな知性の人が参加しているのからしてわかるようでわからない不可解さがあった。
 もっと心の核の部分を現実に浸犯してみせたのが神戸の事件だった。家族、親と子、その事件はやはり戦後五十数年間のこの日本の社会の中の家族、親子の関係、心の奥底を衝撃的に映し出した事件だった。この事件はオウム事件と底のほうでつながっているのかも知れない。
 それら三つの事件は一九九〇年年代に入ってから、バタバタと起こった感じだ。
 近代都市などは一瞬にしてつぶれるんだよ、そのときあてになるのは、個人、個人が生きていく力なんだよ、制度や規則なんてまるっきりダメなんだよ、政府みたいなのも労働組合みたいなのもからっきしダメなんだよ、そんな中で、それでも人間はやっていくんだよ、弱さも強さもズルさも、全部さらけだして、みたいな強烈な衝撃が世界の人々を揺さぶったと思う。それが阪神大震災だ。
 前置きが長くなったが、それが今日の話である。
 阪神大震災後、自分が経営する事務所、住む家を失った時、夫婦はどうなるか。夫婦それぞれの過去、現在の思い、未来へのひそかな思い、それらも凝縮されて噴き出てしまうはずである。その凝縮のされ方を想像するのは難しい。
 男はこの際に自然に順したような生活を送りたいよ思い、女は男についていこうとしたけれど、都会の生活をやっぱり好む。それは逆であってもよい。二人で次を見つける旅もした。バンコク、シンガポール、バリ、ブルネイ。漂流するように旅をした。二人とも元には戻りたくなかった。壊れたものを建ち直らせる、その原点のような希望がなかった。
 希望とは新しく別々に、それぞれの思いでやり直すことだったのだろう。女はバリ島で踊りにはまってしまった。男は別の事を考えていた。ある日、女のほうから男に別れたいと申し出があり、それは受けざるを得ない感情のものだった。

 男は一人になった。長く滞在したバリ島、そこでやり直そうか、どうこれから生きていこうか。被災から四年。男に心ときめかせるバリ島の女性が現れた。こんな感情がまだ身体のどこかから湧いてくるのかと不思議に思いながらも、突き動かしてくる心の衝動は激しかった。
 何もかも捨てて、ヨットにすべて生活道具を入れて、黒潮を避けるようにしてグアムの西を渡り、漂海民のいるスラウェシを渡り、バリ島に入った。その女性がいたからである。ヨットをバリ島に向かって意思して操ってきた。漂流してきたのではない。逆である。
 日本からバリ島へ逆にのぼったのである。幾らかの蓄えはある。バリ島でつつましく生活してゆければよい。そう思っている。しかし、なんだか第二の人生が始まったようで、やろうぜ、と思ってくる。  
 僕は、やろうぜ、と思い、やろうと起き上がった時の男と会った。今日のことである。彼に在留許可証を取ってあげた。



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