バリ記 

英語関係の執筆の合間に「バリ滞在記」を掲載。今は「英語指導のコツ」が終了し、合間に「バリ島滞在記」を連載。

バリ記6

2019-12-17 10:41:29 | バリ記
1999年11月9日
アクエリアスホテルのマデさん


アクエリアスホテルで働いているマデさんの奥さんは裁縫が得意だというので巾着袋をつくってもらうことになりました。
マデは二十九歳。旧都の港町でバリの北部にあるシンガラジャから、単身クタに出てき、職を探し、やがて結婚しました。
クタも有名な通り以外は、本当に村という感じで、マデの住むアパートはクタの中心にあるのですが、庭でアヒルなどもガアガアと鳴いています。近くでは、子供たちが土に線をひいて、ピョンピョン跳んでする石蹴りをやっていました。ヒンズーの子もイスラムの子もいっしょに遊んでいます。イスラムの子は、黒い帽子をかぶっているのでわかります。僕も、昔同じような遊びをやったことがあり、懐かしく思いました。
マデのアパートはちょうど4畳半くらいで、その部屋に夫婦二人で住んでいます。ベッドがあってあと、奥さんの中国製のミシン(三十五年程前に見たようなものでした)、小さなテレビとラジオがあります。
そんな部屋が並んだ棟の端にトイレとシャワー室があり、部屋代は十五万ルピア(二千五百円位)、トイレ代が三万ルピア(五百円位)だそうです。共同の炊事場、洗い場がありますが江戸時代の路地のようです。親から離れてクタで身を立てていこうとすれば、最初は誰もこういうところからスタートするのでしょう。
僕も学生時代は、渋谷の4畳半で冷房もなくムシムシした部屋に住んでいましたが、住めばこの4畳半が世界となって、別に不便は感じませんでした。
一緒に出てきた友達の中には、すでに成功の道を歩んでいる人もいるようです。インドネシアはこれからなんだ、これから一旗あげるぞという若者も多くいます。
お父さんがシンガラジャで木彫などをしていて、弟が家に残り、その血筋をひいたらしく、木彫をやり、絵を描いています。
マデさんは少々の日本語も喋ります。
アクエリアスホテルに来る人がいたら、ぜひともレストランでシンガラジャのマデさんを探してください。ちょっとはにかみ屋のよい男です。因に、このレストランにはマデさんが二人いますので。ハンサムな方のマデさんです。

1999年11月10日
バリの女性


クタかウブド以外の地域で生活をしていくのは大変難しいらしく、クタでなんとか仕事を探して、両親に仕送りし、また妹の学校に通う費用の足しにしようという女性や男性が多くいます。
今日、チャンディダサの近くの村から、この春、クタに出てきて叔父の家に厄介になって、仕事を探している女性に会いました。
何か将来したいことがあるのかとたずねると「ない」と答えます。本当にないのかと聞くと困ったような顔になって、いろいろ思い浮かべたりするのでしょうが、やはり「ない」と答えます。
「お金を得たい」それが今精一杯の希望のようで、なんともしれない気持ちになりました。
バリの女性は、本当によく働きます。どんなこともいわずします。同じ世代の僕が接した限りのアメリカ人女性のように理屈をこねませんし、なんだかんだと文句を言ったりしません。たいへん一緒に仕事がやりやすいのです。

1999年11月12日
ポロシャツ、Tシャツを作ってくれる店


いつもデンパサールの問屋さんで専用のポロシャツを作ってもらいます。生地も良く、注文どおりに作ってくれるので(もちろんプリントなども)たいへん重宝しています。
レザー商品のように、今のところ失敗、騙されたな、ということがありません。だいたい千円で上等のものができます。バリで千円といえば高いのですが、日本では五千円以上は絶対にするポロシャツで、イタリアものなんかと同じで、ポロのよりはずっといいと思っています。
バリでポロの服もたくさん売ってますが、おすすめできません。ブランド品がおすすめできないのです。本物といっても、こちらで作っているもので、どうしても品質が落ちます。NIKEのものもそうです。

【店の連絡先】
 Sidharta シドゥハルタ Jl Durian 10, Denpasar Tel. 0361-222578

両替について
セントラルクタの両替所が最も安心でき目安になるレートとなるのですが、この頃、ルピアの価格が各両替所でずいぶん違うのです。因に今日のセントラルクタは1円67ルピア、ホテルでしたら60ルピアくらい、銀行は59ルピアくらい、クタの町では74ルピアというところもあります。アチェ問題で値動きが激しいのかも知れません。

2000年1月10日
なぜ殺すのか


愕然とすることがある。クロボカンの刑務所を脱獄した囚人のうちの二人が、タバナンで豚を盗もうとして村人に見つかり、そのうち一人が殺された。このニュースを知っていた僕は、バリに着くなりバリのスタッフにこの話の顛末をもっと聞こうとしたところ、スタッフの一人が別の話をし始めた。
十二月の下旬頃、デンパサールの村にある家に三人の男たちが忍び込んだ。それに気がついた家の者は騒ぎオコカン(木のベル)を鳴らし、それが次々と村中に鳴り響くと村人たちが、くわやすき、鉄パイプなどをもって参集し、三人の男は殴り殺された。集団暴行に及んだのだ。以前にも物盗りにあったこの家の者たちは、見張りもつけ、待ちかまえていたようであったが、実際この三人が物盗りだったのかは判らず、バリのテレビニュースにもなったが、ニュースも伝えるだけで、集団暴行への批判はなかったようだ。警察も騒ぎが静まってから、ゆっくりと来た、ということだった。
これを話したBali Book Treeのスタッフ、オカとイダは、当然のように話す。
なぜ捕まえて警察に渡さないのか。彼らの説明から、理由らしきものを挙げてみる。
一 三人は穢れている存在だ
二 警察に渡しても、彼らはお金ですぐ出てくる
三 村には自衛のシステムがある

これは、僕風に言い直したものだが、彼らはざっとこういう意味のことを述べた。
僕なりに更に推測してみる。
インドネシアの経済は、この二年ひどかった。物盗りも増えている。
物価もこの二年で四倍になった。バリはまだしも他の島に比べたら豊かなほうである。
バリは行政単位と村単位の二重構造になっている。村の結束は強く、後に導入された行政地区とは、全く別のように村は機能している。近代法が導入されているが、この法と村の習慣法とこれまた二重構造である。人々に宗教的な意識はあっても近代法の意識は低い。さらに、法を守り、行政を行い、政治をするという人々は、ワイロの構造に組み込まれている。この組み込まれ方は見事である。何が善なのか、何が悪なのかという問題を、村人による集団暴行はいとも簡単に越えてしまう。
仏教もキリスト教もこの問題は考えぬいている。「穢れ」という概念は、相当プリミティグなものである。仏教やヒンズー以前の思想以前の原始的な感情である。自分に悪いものが取り付く。これを除去する。祓う。ここにまで瞬時に村人たちは戻ってしまう。この無意識にヒンズーが重なり村落共同体が重なり、現代という先進国から押し寄せるものが重なる。
手を加えた村人が捕まることなく、この事件はおさまった。死んだものはどうなるのか。どう答えるのか。 明日聞いてみよう。




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