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永江朗のオハヨー!日本語 ~広辞苑の中の花鳥風月

短期集中web連載! 手だれの文章家・永江朗が広辞苑を読んで見つけた自然を表す言葉の数々をエッセイに綴ります。

からのしょうがつ【唐の正月】

2012年11月02日 | か行
(近世語。中国で冬至を元旦としたからという)冬至。


 唐、つまり中国の正月というから、てっきり春節のことだと思ったら違った。春節は旧暦の新年で、だいたい1月の下旬ぐらいだ。横浜の中華街では盛大なお祭りがある。でも「唐の正月」は冬至のこと。12月の20日ごろだろう。

 冬至は1年でいちばん太陽の出ている時間が短く、夜の時間が長い。太陽の高度も低い。つまり翌日からは少しずつ太陽が高くなり、昼の時間が長くなっていく。新しい生命の誕生のように感じる人もいるだろう。そう考えると、冬至を元旦とするのはとても理にかなっているのではないか。

 ぼくにとって冬至はカボチャを食べる日だ。子どものころ、冬至カボチャを食べると風邪をひかないと教えられた。あの黄色は強烈で、風邪のウイルスなんか簡単に追い払ってしまう……ような気がする。

 でも、冬至にカボチャを食べる本当の理由は、夏に採れたカボチャの賞味期限が、そろそろこのあたりだからだと聞いたことがある。早く食べなきゃまずくなるぞ、というわけで冬至カボチャを食べたのだとか。ほかに、小豆粥やコンニャクなども食べるといいという。どれも身体が芯から温まりそうだ。

からすにはんぽのこうあり【烏に反哺の孝あり】

2012年11月01日 | か行
烏が雛のとき養われた恩に報いるため、親鳥の口に餌をふくませてかえすということ。子が成長の後、親の恩に報いるたとえ。


 親孝行しろ、烏だって親孝行しているんだぞ、烏を見習え、ということか。

 しかし、親孝行をしなさいといわれると、かえって反発したくなる。生んでくれ、育ててくれと、たのんだおぼえはないぜ、なんていったりして。

 親は子どもが将来、孝行してくれることを期待しながら、子育てするのだろうか。自分の老後のために、子どもを生んで育てるのだろうか。子育ては年金か保険みたいなもの?

 子どものいないぼくにはわからない。

 子育ては一大事業だ。親は大変な苦労をして子どもを育てる。しかし「育ててやったんだから、こんどはおまえが恩を返す番だ」といわれると、「はいはい、そうですね」とはいいにくい。

 毎日のニュースでいちばんいやな気持ちになるのは、わが子への虐待事件だ。事件にならないまでも、子どもを苦しめる親はたくさんいる。親になるべきでないのに、親になってしまった人たちもいる。

「烏に反哺の孝あり」なんて言葉は、あまりつかわないほうがいいと思う。

かめのとしをつるがうらやむ【亀の年を鶴がうらやむ】

2012年10月31日 | か行
欲に限りのないことのたとえ。


 鶴は千年、亀は万年。1万年生きるといわれて買った亀がすぐ死んでしまい、クレームをつけると「ちょうどその日が1万年目だった」といわれる小咄を思い出した。1万年はオーバーだけど、実際に亀は長寿で、100年以上の飼育記録も珍しくないようだ。鶴のほうは20年から30年ぐらい。

 これは貧乏人の偏見かもしれないけど、お金持ちほどお金に対する執着が強いように思う。いや、お金に執着するからお金持ちになるのか。ぼくら貧乏人だって、お金はほしい。すごくほしい。でも、お金のために何か努力するかというと、「そこまでして、お金はほしくないな」と思ってしまう。きっとお金持ちは、お金のために努力できる人なんだろう。それを欲といってしまうのは失礼かもしれない。

 欲に限りがないといえば、寿命についてもそうだ。若者よりもお年寄りのほうが健康に気をつかっている。健康食品やサプリメントや体操なんかも大好き。じゅうぶん生きたから健康に気をつかうのはやめた、というお年寄りはめったにいない。生きれば生きるほど、もっと生きたいと思うのか。そんなに人生って、楽しいですか?

かまん【花幔】

2012年10月30日 | か行
花が咲き連なったさまを幔幕にたとえていう語。


「幔幕」というのがわからない。『広辞苑』を引くと、「式場・会場などに張りめぐらす幕」とある。これはわかるが、続いて「上下両端を横幅とし、その間を縦幅として縫い合わせたもの。上端だけ横幅のもの、あるいは縦幅だけでまったく横幅を欠くものもある。まだらまく。うちまく。幔」とあるのが意味不明。上端だけ横幅? 縦幅だけで横幅なし? イメージできない。『新和英大辞典』で「幔幕」を引くとa curtainと書いてある。なんだ、カーテンか。

『デジタル大辞泉』を見ると「もと、布を縦に縫い合わせたものが幔、横に縫い合わせたものが幕」だそうで、なるほど。

 デパートの催事場を囲う紅白の幕とか、葬儀場の白黒の幕も幔幕というのだろうか(それにしても、どうして催事場は紅白の幕なんだろう。もう少し洒落たデザインのものはないのか)。

「花幔」といわれてもピンとこないが、「花のじゅうたん」ならわかる。ぼくが連想するのは、ソフィア・ローレンが出た『ひまわり』という映画だ。一面がひまわりの畑だった。

 花幔も、遠くから見るぶんにはきれいだが、その中に入ると意外と虫が多くて閉口する。

かぼちゃやろう【南瓜野郎】

2012年10月29日 | か行
容貌のみにくい男をののしっていう語。


 頭が空っぽ、という意味だと思っていた。あっちは「どて南瓜」だ。南瓜野郎とどて南瓜はどこが違うのか。どて南瓜の「どて」は「土手」のことか(『広辞苑』では「どて南瓜」と表記)。土手は斜面になっているから、日当たりも悪そうで、土手で育ったカボチャはまずいかもしれないが、だからといって罵倒語にするほどひどいだろうか。まずい野菜ならほかにもたくさんあるだろう。育ちすぎた大根とか、栄養の行き渡らなかったさつま芋とか、日があまり当たらなかったトマトとか。味はともかく、虫食いだらけのキャベツなんかもかんべんしてほしい。

 ほかにもひどい野菜はたくさんあるのに、カボチャばかり使われるのは、言葉の響きと、あの形のインパクトからだろう。大きいし。形が変ということでは生姜や海老芋も負けていないが「この生姜野郎!」ではスパイスが利いたいいヤツみたいだし、「海老芋野郎」はおめでたい感じがする。「メロン野郎」は甘すぎる。悪口として使えそうなのは「トマト野郎」と「スイカ野郎」ぐらいか。そうそう、「おたんこなす」というのがあった。いわれて悔しいのはどれだろう。