(写真:松本城天守<長野県松本市>)
<<松本城>>
別名:烏城(からすじょう)、深志城
所在地:長野県松本市
築城者:島立貞永(築城年:永正元年=1504年)が前身である深志城を築く
小笠原貞慶(改修:天正10年=1582年)が松本城と改名
石川数正(改修:天正年間)、石川康長が本丸を石垣造とし、天守創建
形状:平城
遺構:天守・乾小天守・渡櫓・辰巳付櫓・月見櫓・石垣・堀など
備考:
松本城天守五棟(天守・乾小天守・渡櫓・辰巳付櫓・月見櫓)は国宝指定。
天守・乾小天守は渡櫓で連結される連結される「連結式天守」で、天守・辰巳付櫓・月見櫓は直結する「複合式天守」で、これらから構成される松本城天守は全国唯一の「複合連結式天守」である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/3d/ea7d65e28cd27d2b9aa8c96b306c2af0.jpg)
松本城外堀のお堀端。
城外に出てお城の北側のお堀端を東向きに歩く。松本神社前を通り過ぎたあたり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/db/41eb3f5de1cb09262b005f67aa0391d0.jpg)
右手が本丸(石垣造)、左手が二の丸(土塁)。本丸と二の丸の間は、内堀になる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/13/8806f7f28bb7531fa2b790b5b420adc5.jpg)
二の丸の北側にある二の丸裏御門橋。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/27/9ebc661ed3c38410e659b60bfe1baee6.jpg)
二の丸裏御門橋を渡って、二の丸跡を望む(南向き)。
右手の木陰に天守の屋根が見え隠れする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/db/031e7725acffc8d1318d4aa1bfb2718a.jpg)
太鼓門。太鼓門は二の丸の東面にある(写真では西を向いている)。
太鼓門枡形は平成11年に木造復元。なお、かつては写真右手の石垣上に太鼓楼があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/f6/87fd0e43edba7576788208cf2700573a.jpg)
太鼓門の北側の様子。土塁が続く。
この土塁の一番向こうの端にかつては二の丸丑寅櫓があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/47/5ad9f70e422b3954a69311b5016368fc.jpg)
太鼓門枡形の高麗門をくぐる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/04/fdb1a14d53ec9fc0f4b57b43ee4dae11.jpg)
太鼓門枡形。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/9c/a6fe397f6c5aa1aa5737589c5f748148.jpg)
太鼓門枡形の櫓門を裏側(城内側)から望む。
梁がものすごくぶっとい。木材、というよりもそのままの丸太のよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/a3/eec6c887f73154295eab1aee1543da5c.jpg)
太鼓門を抜けて、そのまま正面を見る。
正面には、内堀を挟んで黒門枡形の左袖の続櫓。太鼓門を突破してきた敵兵に睨みを効かせている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/30/634bbb5581a796356ec0733eae90b401.jpg)
上の写真から、もう少し歩を進めて本丸を望む。
手前の内堀と、黒門枡形、中央奥の木陰に天守が見え隠れする。
ちょうど太鼓門の入口(上から6枚目の写真)から、順番に城内へと進み、この正面の黒門枡形を抜けると、本丸に入れて天守に至る。かつてはこの順路で登城していたのだろう。
<<松本城>>
別名:烏城(からすじょう)、深志城
所在地:長野県松本市
築城者:島立貞永(築城年:永正元年=1504年)が前身である深志城を築く
小笠原貞慶(改修:天正10年=1582年)が松本城と改名
石川数正(改修:天正年間)、石川康長が本丸を石垣造とし、天守創建
形状:平城
遺構:天守・乾小天守・渡櫓・辰巳付櫓・月見櫓・石垣・堀など
備考:
松本城天守五棟(天守・乾小天守・渡櫓・辰巳付櫓・月見櫓)は国宝指定。
天守・乾小天守は渡櫓で連結される連結される「連結式天守」で、天守・辰巳付櫓・月見櫓は直結する「複合式天守」で、これらから構成される松本城天守は全国唯一の「複合連結式天守」である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/3d/ea7d65e28cd27d2b9aa8c96b306c2af0.jpg)
松本城外堀のお堀端。
城外に出てお城の北側のお堀端を東向きに歩く。松本神社前を通り過ぎたあたり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/db/41eb3f5de1cb09262b005f67aa0391d0.jpg)
右手が本丸(石垣造)、左手が二の丸(土塁)。本丸と二の丸の間は、内堀になる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/13/8806f7f28bb7531fa2b790b5b420adc5.jpg)
二の丸の北側にある二の丸裏御門橋。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/27/9ebc661ed3c38410e659b60bfe1baee6.jpg)
二の丸裏御門橋を渡って、二の丸跡を望む(南向き)。
右手の木陰に天守の屋根が見え隠れする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/db/031e7725acffc8d1318d4aa1bfb2718a.jpg)
太鼓門。太鼓門は二の丸の東面にある(写真では西を向いている)。
太鼓門枡形は平成11年に木造復元。なお、かつては写真右手の石垣上に太鼓楼があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/f6/87fd0e43edba7576788208cf2700573a.jpg)
太鼓門の北側の様子。土塁が続く。
この土塁の一番向こうの端にかつては二の丸丑寅櫓があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/47/5ad9f70e422b3954a69311b5016368fc.jpg)
太鼓門枡形の高麗門をくぐる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/04/fdb1a14d53ec9fc0f4b57b43ee4dae11.jpg)
太鼓門枡形。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/9c/a6fe397f6c5aa1aa5737589c5f748148.jpg)
太鼓門枡形の櫓門を裏側(城内側)から望む。
梁がものすごくぶっとい。木材、というよりもそのままの丸太のよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/a3/eec6c887f73154295eab1aee1543da5c.jpg)
太鼓門を抜けて、そのまま正面を見る。
正面には、内堀を挟んで黒門枡形の左袖の続櫓。太鼓門を突破してきた敵兵に睨みを効かせている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/30/634bbb5581a796356ec0733eae90b401.jpg)
上の写真から、もう少し歩を進めて本丸を望む。
手前の内堀と、黒門枡形、中央奥の木陰に天守が見え隠れする。
ちょうど太鼓門の入口(上から6枚目の写真)から、順番に城内へと進み、この正面の黒門枡形を抜けると、本丸に入れて天守に至る。かつてはこの順路で登城していたのだろう。