備中松山城は、臥牛山(標高約480m)の北から大松山・天神の丸・小松山・前山の4つの峰の内、小松山の山頂(標高約430m)を中心に築かれた近世城郭を指す。
<<備中松山城>>
所在地:岡山県高梁市内山下1
築城者:秋葉重信(築城年:延応2年=1240年、鎌倉時代)
:水谷勝宗(修築年:天和3年=1683年、現存する天守等の修築)
形状:山城
遺構:天守、二重櫓、三の平櫓東土塀、石垣(現存)
:本丸南御門、東御門、腕木御門、路地門、五の平櫓、六の平櫓、土塀(復元)
ということで、この大手門跡から先がいわゆる備中松山城の城郭部分になる。
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(左)ニの平櫓跡から大手門跡(写真手前右側)、三の丸(写真中央から左側までの石垣上の平面)、二の丸(写真一番奥の石垣上の平面)を望む。写真中央やや右側に見える土塀の下の石垣は天然の巨岩上に築かれており、備中松山城の特徴をよく表わす。(右)三の丸から大手門跡を見下ろす。
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二の丸から城下を望む。周りの山々も眼下に見下ろせてしまう。
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二の丸から本丸・天守を望む。写真中央に五の平櫓、その左方が六の平櫓、これらに挟まれた本丸南御門がある(すべて平成9年に復元)。
その右奥に見えるのが天守。
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備中松山城天守(望楼型、木造本瓦葺二重二階、国指定重要文化財)。天然の巨岩の上に石垣を築いて天守台としている。正面の唐破風付き出窓など装飾性が高い天守である。
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(左)本丸東御門。本丸の勝手口にあたり、引戸の門である。(右)腕木御門。本丸の裏門にあたり、下りていくと搦手門に出る。
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(左)天守より本丸を望む。中央の建築物が五の平櫓、その右が六の平櫓、間の門が本丸南御門(本丸の正面玄関)。(右)天守より二重櫓を望む。
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後曲輪より二重櫓(現存、二重二階櫓、重要文化財)を望む。後方に天守も見える。二重櫓も天守同様に天然の巨岩の上に石垣を築いて櫓台としている。
これら城郭の石垣の下は、すべて断崖絶壁。難攻不落の城であっただろうことがよく分かる。この城を築いた人(職人さん)は凄い!というか、こんな断崖絶壁の山上にこれだけの石垣を作る石(岩石)を運び上げたのも凄い。
この城を眺め、眼下の高梁市街と周りの山々を眺めると、天気の良かったことも相まって、山道を登り登ってここまで来てよかったなぁ、なんて思いました。
(つづく)