Rio's Photo Album "千景万色"

EOS 5D MarkIIとEOS 40Dを旅の道連れにして、訪れた場所の風景写真集です。

ドイツ戦

2006-05-31 | 日記
ようやく放送が始まった。
しかし、思わずネットで速報を見てしまったため、ちょっと微妙。

こら、テレビ朝日、途中に20分近くもニュース入れるなら番組表にそう書いておけ!!あと、30分も寝れたじゃないか
しかも、サッカー放送の肩に「衛星放送」なんて入れるな!!せめて「衛星録画」と入れろ!!生中継と勘違いするじゃないか。
なんて、文句をちょっと言ってみた。

放送ではキックオフだ。見ないと。
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中国地方旅行記(15)~広島県縮景園

2006-05-29 | 中国地方
天気に恵まれた3日目。広島市内を歩く。


広島駅前。前夜とほぼ同じ場所から撮ってみた。
まずは縮景園へ。

<<縮景園>>
所在地:広島市中区上畑幟町2-11
築成:元和6年(1620)、広島藩主浅野長晟の命により上田宗箇が作庭。
様式:回遊式庭園
園の名称は、幾多の勝景を縮めて表現したことによるが、中国杭州の西湖を模して縮景したとも伝えられる。園の中央の濯纓池(たくえいち)内に大小10余の島を浮かべ、周囲に山を築き、渓谷、橋、茶室、四阿を配置。


(左)縮景園の入口の冠木門。入ったところに赤い和傘が立ててあった。ちょっと風流な感じ。(右)清風館。入口から入って正面にある。数寄屋造りで西側は書院造りになっている。


園中央の濯纓池(たくえいち)にかかる跨虹橋(ここうきょう)を渡り、超然居を望む。


白龍泉の辺りから清風館、跨虹橋を望む。


(左)明月亭。(右)夕照庵。


(左)ボタン園。ボタンの花の上に鮮やかな色の傘がさしてある。


(左)悠々亭。(右)悠々亭の辺りから清風館、跨虹橋を望む。

園内をゆっくりと一巡りすると、意外に時間がかかってしまった。無駄に写真を撮ろうとしているせいだろうか。園内の案内板をじっくり読んでいたためだろうか。それとも園内をくまなく巡ってしまったためだろうか。
とりあえず、いい天気でツツジやボタン、他にもたくさんの花(名前が全くわからない)が満開であった。なかなか!

(つづく)
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中国地方旅行記(14)

2006-05-28 | 中国地方
2日目は、岡山市~高梁市~広島市と移動し、広島市泊(走行距離242km)。
備中松山城を比較的じっくりと回ったために半日以上を費やしてしまい、予定では広島へ移動する途中で福山城を見ようと思っていたのが不可能になってしまった(福山市を通過が日暮れ時だった)。
とりあえず、翌日に向けて英気を養うことにする。


広島駅前。携帯で撮ったらぼやけた感じになってしまった。

(つづく)
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中国地方旅行記(13)~備中松山城#3

2006-05-28 | 中国地方
近世城郭である備中松山城(小松山城)からさらに臥牛山を登ると大松山城という中世・戦国時代の城郭跡がある。


(左)備中松山城(小松山城)の裏手、水の手門跡から遊歩道を降りる。(右)小松山と天神丸・大松山を結ぶ「立橋」。基礎は石垣で組んである(ようだ)。


(左)途中の様子。ところどころで石垣が残されている。(右)相畑城戸跡。かなり開けていて明るい。周りを歩くと土塁や石垣が残されている。


(左)天神丸跡。臥牛山の最も高いところにある(標高478m)。(右)大池。天神丸と大松山の中間にある。ガイドで調べた写真には杉などの木々に囲まれた静謐な石垣作りの貯水池の風情であったが、昨年の台風で近辺の木々が根こそぎ倒れてしまい、今は無惨な光景が広がる。


大松山の山上にて。ここでも眼下に無惨に倒れた木々の姿が見られる。写真中央よりやや右側に下に紹介する吊り橋が見え隠れする。


(左)吊り橋。大松山の東側の谷に架かっている。大松山から吊り橋までの道には、倒木や地崩れなどが復旧されずに残されているためかなり危ない。が、先にも行き来した人の足跡があったため、微妙な安心感を持って行ってみる。(右)吊り橋の中ほどから開けた方向(南東方向)を望む。天気がいいため気分と見晴らしがとてもよい。ただし、風もかなり強かったため体と気持ちがぐらついてしまう。

ここまで来てほぼ備中松山城をほぼ見尽くしたので来た道を引き返す。


(左)帰路の看板「登城心得 本日の登城 大儀であった 城主」。(右)最後の看板「登城心得 またの登城 心よりお待ちいたす 城主」。
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中国地方旅行記(12)~備中松山城#2

2006-05-25 | 中国地方
備中松山城は、臥牛山(標高約480m)の北から大松山・天神の丸・小松山・前山の4つの峰の内、小松山の山頂(標高約430m)を中心に築かれた近世城郭を指す。

<<備中松山城>>
所在地:岡山県高梁市内山下1
築城者:秋葉重信(築城年:延応2年=1240年、鎌倉時代)
    :水谷勝宗(修築年:天和3年=1683年、現存する天守等の修築)
形状:山城
遺構:天守、二重櫓、三の平櫓東土塀、石垣(現存)
   :本丸南御門、東御門、腕木御門、路地門、五の平櫓、六の平櫓、土塀(復元)

ということで、この大手門跡から先がいわゆる備中松山城の城郭部分になる。

(左)ニの平櫓跡から大手門跡(写真手前右側)、三の丸(写真中央から左側までの石垣上の平面)、二の丸(写真一番奥の石垣上の平面)を望む。写真中央やや右側に見える土塀の下の石垣は天然の巨岩上に築かれており、備中松山城の特徴をよく表わす。(右)三の丸から大手門跡を見下ろす。


二の丸から城下を望む。周りの山々も眼下に見下ろせてしまう。


二の丸から本丸・天守を望む。写真中央に五の平櫓、その左方が六の平櫓、これらに挟まれた本丸南御門がある(すべて平成9年に復元)。
その右奥に見えるのが天守。


備中松山城天守(望楼型、木造本瓦葺二重二階、国指定重要文化財)。天然の巨岩の上に石垣を築いて天守台としている。正面の唐破風付き出窓など装飾性が高い天守である。


(左)本丸東御門。本丸の勝手口にあたり、引戸の門である。(右)腕木御門。本丸の裏門にあたり、下りていくと搦手門に出る。


(左)天守より本丸を望む。中央の建築物が五の平櫓、その右が六の平櫓、間の門が本丸南御門(本丸の正面玄関)。(右)天守より二重櫓を望む。


後曲輪より二重櫓(現存、二重二階櫓、重要文化財)を望む。後方に天守も見える。二重櫓も天守同様に天然の巨岩の上に石垣を築いて櫓台としている。

これら城郭の石垣の下は、すべて断崖絶壁。難攻不落の城であっただろうことがよく分かる。この城を築いた人(職人さん)は凄い!というか、こんな断崖絶壁の山上にこれだけの石垣を作る石(岩石)を運び上げたのも凄い。
この城を眺め、眼下の高梁市街と周りの山々を眺めると、天気の良かったことも相まって、山道を登り登ってここまで来てよかったなぁ、なんて思いました。

(つづく)
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中国地方旅行記(11)~備中松山城#1

2006-05-24 | 中国地方
岡山市から国道180号で北を目指し、高梁市へ。
高梁川沿いを遡ること1時間くらい、だろうか・・・(そろそろ記憶があやふやに)。高梁市街の先、市街地北東に見える臥牛山の山上に城郭が見えてくる。
備中松山城は、日本国内で最も高いところにある天守の現存する山城である。結構な山道を登らないとならない。


臥牛山ふもとにある御根小屋跡(現在は高梁高校)。石垣の脇をJR伯備線が走る。
松山城主の平時の居館、政務執行の場として用いられた。一方、山上の備中松山城は戦時の城塞であり、かつ平時は城主の権威の象徴であった。

今回はマイカーで城見橋公園駐車場まで行き、そこからシャトルバスで鞴峠まで上がった。バスで上がった峠道の下はかなりの断崖絶壁。あまり自分では運転したくない道だった。


(左)鞴(ふいご)峠駐車場、シャトルバスを降りたところ。(中)鞴峠駐車場から備中松山城への山道。かなり険しい・・・。(右)山道にあった看板「登城心得 あわてずゆっくり歩むべし 城主」。
 

(左)中太鼓丸、右奥に見える石垣が中太鼓丸櫓跡。(右)看板「登城心得 この辺りがちょうど中間地点である。しばし休まれよ 城主」。


中太鼓丸櫓跡を下から仰ぎ見る。


中太鼓丸櫓跡から城下を臨む。既に結構な高度である。こんなところにある城を誰が攻めるんだ!?


(左)中太鼓丸から更に山道を登るとじきに大規模な石垣が見えてくる。それが大手門跡とその背後の三の丸の石垣である。(右)大手門手前にかかる看板「登城心得 よくぞまいられた 城主」。
ホントによくぞまいったよ、自分!!

ということで、次回は備中松山城三の丸、二の丸、本丸(天守)を紹介します。
(つづく)
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UEFAチャンピオンズリーグ決勝

2006-05-18 | 日記
バルセロナ優勝!やったぁ!!
レーマン退場後、アーセナルがぐっと引ききってしまった上にFKからアーセナルに1点が入ってしまってとてもイヤな感じになったけど、バルセロナはよくぞ逆転できた。やっぱりエトォはスゴい。
気合を入れて、起きて良かった。

それにしても3:30起きはやっぱりつらい。だけど、W杯が始まるとこんな日が続くのだろうな。今のうちから体力を溜めておかないと・・・
さて、これからちょっとだけ眠ろう。寝坊するとまずい。

最後に、映像乱れすぎでした。バルセロナの2点目が入って以降、5分くらい映像が来なかった。まったくどういうことだ!!
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23人の侍

2006-05-17 | 日記
メンバー発表から1日遅れになりますが、いよいよ決まりましたね。
W杯メンバー23人。

ほぼ下馬評(悪い意味でのジーコの選考実績)通りだったけど、巻が選考されたのはサプライズでした。個人的には希望通りに巻が選ばれ、ほっと一息。明らかにコンディションの良くない久保よりも、今、一番フレッシュでコンディションのいい巻の方がずっと良いと思っていました。
あの堅固なジーコファミリー(ある意味頑固にファミリーに新参者を入れてこなかったところ)に、巻が食い込めたのが驚き。
W杯本戦にも、ぜひ出場して試合を決める1点を(と言わず何点でも)とってくれ。

巻選出でした私の中のジーコ評ですが、
松井の不選出で大幅にです。とても残念。松井は、ジーコファミリーの一角に食い込んでいたと思っていただけに残念です。

さらには1%もの可能性がなかったとはいえ、平山、闘莉王、阿部、今野らアテネ世代を召集して欲しかった。彼らには今の代表を凌ぐ実力を備えつつあるし、次回のW杯を見据えると今回のW杯に出場することで得られる経験はとても大きいものになるのに。
まあ、次世代の選手を強化する、ということは刹那的な勝利を目指してきたジーコ監督には、そもそも与えられなかった使命なのかもしれないが・・・

ただ、これらの気になる点はともかく、今はドイツW杯
日本代表には是非頑張ってもらいたい。
頑張れ日本

ちなみに今回のW杯日本代表のテーマは、サムライ、なんですよね?←タイトルの話です。
(代表ユニフォームのテーマ、なのだろうか)
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中国地方旅行記(10)~備中高松城址

2006-05-15 | 中国地方
2日目は備中松山城のある高梁市を目指し、岡山市内から国道180号で北西へ。
まずは、その途上にある羽柴秀吉の水攻めで知られる備中高松城址に寄り道。

三の丸(池ノ下丸か?)から本丸・二の丸を臨む。写真奥の右側の山が羽柴秀吉の本陣があった龍王山。

この備中高松城は北・東・南の三方を山に囲まれ、その西には足守川が流れる。周辺の土地は田んぼが多く、水面との比高がわずかに4mしかない。
そのため高松城は深田・沼地で囲まれ人馬の進み難い要害の城であった。秀吉はこれを逆手に取り、3kmに及ぶ堤を築き、折しも梅雨時で増水した足守川の水を流し込み、高松城を人造湖中に孤立させた。


(左)間堀と本丸、(右)石碑「史蹟 高松城址 附 水攻築堤址」。


(左)高松城主 清水宗治の首塚、(右)宗治の辞世の歌。
宗治は、秀吉の水攻めにあい、主家(毛利家)の安泰と高松城内に取り残された部下5千人を助命することを条件に切腹することを承諾し、水攻めで出来た湖上に小舟を浮かべ、秀吉から送られた酒肴で最後の盃を交わし「浮世をば今こそ渡れ武士の名を高松の苔に残して」と辞世の歌を残して自刃した。


(左)蛙鼻築堤跡、(右)築堤跡の脇に立つ高松城跡・築堤の高さ表示板。
水攻めの際に築かれた堤は、堤底22m、上幅11m、高さ7m、長さ3km超もあった。蛙鼻築堤跡はその堤の最下流部に位置し、現存している。


最上稲荷の大鳥居。伏見・豊川と並ぶ日本3大稲荷らしいが、今回はパス。
高松城址、蛙鼻築堤跡に行く道が意外によく分からなかったが、国道180号からこの大鳥居をくぐれば高松城址はすぐそこだった。
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GW・中国地方旅行記(9)

2006-05-14 | 中国地方
ようやく旅行1日目の分が終了。岡山市泊(走行距離254km)。
この日(5/1)は天気がむちゃくちゃ良くて、全国各地で最高気温が夏並みになってて、場所によっては30℃を超えていたらしい。
お城などを歩いている時間が結構長かったので、日焼けと歩き疲れが合わさって、ホテルに着いたらどっと疲れが・・・
翌日のことを考えて早めに眠りについたのでした。


JR岡山駅。
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