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歴史観について(1)

2005-01-02 | 歴史について
教科書問題、靖国問題、チベット問題を始め、様々な場所で議論される“歴史観”とはなんでしょう。実は多くの場合、誤用がまかり通っている言葉です。歴史学は本来は高度に個別具体的な学問ですから、歴史観というものは、個人個人で、全く異なっていて良いのです。Aという歴史観が正しくて、Bという歴史観が間違っているとかいうのは、学問的には無意味な考え方です。例えば、abcdeという歴史的事象を説明するのに、Aという歴史観は優れている、とか、abcdefghiという多くの歴史事象を解釈するのにBという歴史観が優れている、というような表現でしか使えない言葉なのですね。
何故ならば“客観的歴史観”というものは存在しないからです。歴史とは、人類の歴史上に起こったとされる事象のいくつかを説明したものです。その説明のやり方が歴史観です。ちなみに歴史学とは、なにが歴史的事実なのかを検証して、それを説明するための歴史観を構築する学問です。
ですから、全ての歴史観は、説明する人の個性によって、一定のバイアスがかかっています。
もし“客観的な”歴史観を構築するならば、全くニュートラルな人間が、全くニュートラルな考えの下に、全くニュートラルな方法で、全くニュートラルな子供を教育して、その子供に歴史学の方法を教育しなければなりませんが、実際には、全くニュートラルな人間も、養育法も、子供も存在しませんから、科学的に“客観的な”歴史観の構築は不可能なのです。
ですから、人間は誰でも、できるだけ自分の興味のある歴史事象とされる出来事を、自分の好みの歴史観で説明できますし、それが当たり前のことなのです。


(鮎川龍人)

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