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歴史観と歴史認識

2006-08-31 | 歴史について
今年も騒々しい夏が終わろうとしています。
毎年8月になると繰り返される無用な論議。
大東亜戦争・靖国神社・東京裁判・・・・・
当ブログの読者様方は既にご存知のことなのですが、やっぱり今年も書いておきましょう。
歴史についての基礎知識。

①歴史観とは国家間はもとより、個人の間でも違うのが当たり前。
例えば。
美術史上のエドガー・ドガの価値。
あなたと私では違いますよね?
技術史上におけるピタゴラスの価値。
これも、あなたと私では違う。
文学史上の樋口一葉の価値。
これも、あなたと私では違う。
政治史上のポエニ戦争の価値。
これも、あなたと私では違う。

価値もそうですし、意味も違う。
当たり前ですね。
同じように第2次大戦についても見方は違う。
ということなんですね。

②歴史認識は個人個人で違うのが当たり前。
例えば。
今の人類文明における重要な構成要素を3つ挙げなさい。
あなたは何を挙げますか?

私と同じ人なんてめったにいないでしょう。

日本文化の中で最も重要な要素は?

これも人それぞれ。違いますよね。

では文明に対して、文化に対して、異なった価値観を持っているということですね。

では歴史事象に対する認識も、当然違いますよね。
つまりありとあらゆる戦争に対して、ありとあらゆる宗教行為に対して、ありとあらゆる国家とその体制に対して、ありとあらゆる法とその手続きに対して、異なった感想と意見を持つのが当たり前ですね。

③何かを裁くときの判断基準は“その時、その場所における法”しかないということ。
①②のように個別具体的なものが歴史認識であり歴史観なのであるから、過去(全ての事象は過去、つまり現在以前におきています)を裁くための方法としては、唯一中立な考え方としての法治主義しかないということです。
そして法治主義の原則として罪刑法定主義がある以上、その時、その場所で施行されていた法以外には何かを罰する方法は無いということ。

ことわっておきますが、私の本質はアナーキストです。
国家もなく、法もなく、ただ礼儀作法や倫理道徳によって無為自然に理想社会が存立することが最上であると思っています。
法なんて無いほうが良い。
裏をかく人間が出てくるから。

しかし、現在の人間社会は、それでは成り立たないし。
現状では中立的客観的基準としては法しかない。
悪はたくさんある。しかし公平な立場で認識できるのは“法の下の悪”しかない。

法を超えてまで他人を、他人の行為を、歴史事象を裁けるようなご立派な人間は存在しない。

まぁ、以上の意見も私の意見でしかないのですが。
でも対案はありますか?

いずれにしても歴史観や歴史認識を政治などという下世話な行いの道具にはして欲しくありません。


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