今日1月17日は阪神・淡路大震災が発生した日。
1995年の発生から28年が経った。
当時私は社会人4年目。大阪の実家に住んでいた。
まだ暗い早朝、経験したことのない大きな揺れで目が覚めた。
人形の首が飛んだことを覚えている。
「大きな地震やったなあ」という程度の認識で出勤すると、
29階の職場はグシャグシャになっていた。
(同じビルでも下層階は何ともなかったらしい。)
出勤してきたのは私の他に大阪在住者のもう一人だけ。
当時の職員はほとんどが兵庫在住者だった。
その日から安否確認の日々が始まった。
テレビからは
屏風が倒れたようになった阪神高速道路、
地面のすぐ上に屋根があった生田神社、
電車がめり込んだ伊丹駅など、
想像を絶する映像が次から次へと押し寄せてきた。
震災の数日後、高齢の大叔母が亡くなった。
お葬式はしたのだが
「焼き場が満員でなかなか順番が回ってこない」と
言っていたことを思い出す。
大叔母は大阪の大正橋に住んでいたのだが
震災で亡くなる方がどんどん増えて
大阪の焼き場まで満員になっていた、
ということだったと思う。
それから、私の実家は箔押業を営んでいるが、
震災後、線香の箱の注文がえらく多いと言っていた。
それだけお弔いが多かったのだと思う。
こうして書いていても、
胸がつぶれる。
震災で亡くなった方々、
改めて、
ご冥福をお祈りいたします。