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美の渉猟

感性を刺激するもの・ことを、気ままに綴っていきます。
お能・絵画・庭・建築・仏像・ファッション などなど。

夜明けの序曲

2023-02-06 18:48:52 | 宝塚

執筆していると終日出歩かないこともあり

どんどんお腹周りに肉がついてくる。

 

そこで数日前から始めた執筆前の早朝散歩。

見慣れた景色も少し違って見える。

大阪城の櫓(やぐら)と石垣とお堀。

お堀の水に櫓がきれいに映っていた。

今は葉を落としているが、このあたりの木は桜。

春が待ち遠しい。

 

夜明けの大阪府警。

湾曲ガラスに朝焼けのオレンジ色が

わずかに映っている。

 

夜明けの町を歩いていたら

宝塚歌劇のミュージカル「夜明けの序曲」を思い出した。

 

明治時代、「オッペケペ節」で

一世を風靡した川上音二郎と

妻の元芸者・貞奴(さだやっこ)の物語。

日本で一座を率いて芝居興行をしていたが

日本を飛び出して欧米に向かうという

実話をもとにしたミュージカル。

 

NHKの大河ドラマ「春の波濤」では

中村雅俊と松坂慶子が演じていた。

 

「夜明けの序曲」は芸術祭大賞を受賞。

また主題歌も名曲だ。

 

うろ覚えだけど、こんな歌詞だった。

 

  広い世界の空の下で

  思いのままに生きてみたい

  ただひとたびの 命をかけて

  ~~~(忘れた)明日の夢を見たい

 

  熱い血汐をたぎらせて

  燃ゆる思いをはずませて

  いざ行こう この道を

  めざすかなたは 雲のはて

 

  ああ わが望み はばたけと

  空高く いざ歌おう

  夜明けの 夜明けの 夜明けの序曲

  夜明けの 夜明けの 夜明けの序曲

 

散歩しながら頭の中で歌っていたら

今の気持ちに、ぴったりだった。

 

こんなふうに多くの人が

この歌に勇気づけられてきたと思う。


宝塚歌劇と阪神タイガース 関西が生んだ日本の文化

2021-10-18 12:01:11 | 宝塚

今日の日経朝刊の一面下、図書の宣伝欄に『プロ野球「経営」全史 球団オーナー55社の興亡』という本の宣伝が出ていた。「鉄道、新聞、映画からITへ―。オーナー企業の変遷は日本の産業興亡史そのものである」。その通りだ。ついに出たかという感じだ。庭に関係ない本を読んでいる暇はないが、読んでみたい。

私がプロ野球を見ていた数年間は、鉄道会社が球団の売却を始めた頃だった。新聞紙上には「身売り」(よく考えればすごい言葉だ)の見出しが躍っていた。華やかに見えるプロ野球選手たちは、実は私企業の「持ち物」なのだと初めて知った(子供の頃、住吉大社に家族でお参りに行ったとき、南海ホークスの選手が集団でお参りに来ていて、私は見逃したが母は目ざとく見つけたらしく、「みんな背え高うて、揃いの背広きてカッコよかったでー」と言っていた)。

身売り話は、まず阪急、南海、ちょっと間を置いて近鉄。あら、書いてみたら全部関西の鉄道会社だった。その中で阪神タイガースは命脈を保っている。セとパの違いはあるが。「阪急百貨店は売り場に入っているブランドの入れ替わりが早い」と聞いたことがあるので、阪急は何ごとも見切りをつけたら早いのだろう。

その阪急グループ(今はH2Oホールディングスか)の中で、宝塚歌劇団は赤字続きで「阪急のじゃじゃ馬娘」と言われながら、阪急電鉄創業者の小林一三が創ったので「赤字でも絶対手放さない」とヅカファンの姉によく聞かされた。近年の宝塚歌劇はグッズ販売やCS放送を展開、海外公演にも力を入れて海外ファンも増え、創立100周年を経て入場者数が更新され続けるなど好調のところに、コロナがやってきた。宝塚歌劇も休演・再開を繰り返す状況となった。

どうなるのかと思っていたら、日経の8月の記事によれば「人気が高くファンの増加に公演数が追い付かないので、宝塚卒業生による公演を本格化する」とのこと。そりゃめでたい!私はもう宝塚歌劇はめったに見ないけれど、宝塚歌劇はもはや私企業の持ち物ではなく、関西から生まれた日本の文化だ。このまま阪神タイガースと共に命脈を保ち続けてほしい。思わぬいきさつで、同じグループ会社になったことだし。


圧倒的な「美貌の力」・・・「エリザベート」雪組初演の花総まり

2009-05-24 18:30:00 | 宝塚
 宝塚月組公演「エリザベート」が始まった。エリザベート役のために宙組から特別出演している凪七瑠海(本来は男役)は、宝塚スカイステージのニュースを見た姉によると、「歴代のエリザベートの中で、一番歌がうまいかもしれない」そうである。「無茶なことするな~」と思ったが、さすが歌劇団、しっかり生徒の適性を見ているのだ。当然か。
 
 私が生の舞台を見た「エリザベート」は、96年初演の雪組公演と、それに続く星組公演だった。花総まりがエリザベートを演じた雪組公演では、エリザベートの我の強さが周囲と相容いれないことが悲劇を生んだように見えたが(作中の歌詞にあるとおり、花嫁を「選び違えた~」悲劇)、次の星組公演で白城あやかが演じたエリザベートは、エリザベート自身は健全な人で、ウィーン宮廷の前近代性がエリザベートを蝕んでいく、という印象だった。演者の個性によって悲劇の質が違ってみえるという、興味深い発見だった。実際のエリザベートの悲劇は、伝記などを読むと、花総まり型に近かったのではないだろうか。美貌にすべてをかけるという点でも。
 それにしても、初演の雪組公演は鮮烈だった。「エリザベート」というミュージカルを初めて見た衝撃も大きかったが(一つの帝国の終焉を、こんなにも美しい舞台に昇華させることができるのかという衝撃)、何といってもエリザベートを演じた花総まりの美貌は、圧倒的だった(もちろん、主演の一路真輝の歌唱力もすばらしかった)。
 特に一幕の終盤、鏡の間からエリザベートが出てくる場面での美しさは、場内の観客すべてを呑み込んでいた。歌舞伎の舞台で女形の美しさに客席がどよめくことを「ジワがくる」というが、花総まりの美しさには、声も出なかった(この直後の休憩でトイレに並んでいるとき、堰を切ったように誰もが花総まりの美しさを口にしていた)。
 三島由紀夫が書いた「玉三郎君のこと」という短い文章の中に、「美貌が特権的に人々の心をわしづかみにする」という表現があるが、それを思い出した。まさしく「わしづかみ」という表現がふさわしいものだった。ただ、このときの花総まりはまだ若く怖いもの知らずの頃で、後に宙組で再演した「エリザベート」ではずいぶん抑えた演技になっていたという。その意味でも、初演の雪組公演は、演者の(そのときの)個性と、役の個性が合致した稀有な舞台であったと思う。それを見ることができたのは、得難い経験であった。もう10年以上前の話だが…。

※「玉三郎君のこと」は、三島由紀夫『芝居の媚薬』(角川春樹事務所ランティエ叢書7)から。