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美の渉猟

感性を刺激するもの・ことを、気ままに綴っていきます。
お能・絵画・庭・建築・仏像・ファッション などなど。

国立文楽劇場の自販機

2023-03-08 19:22:05 | 文楽

今日は西長堀の図書館へ資料探し。

帰りは千日前線に乗って日本橋で降り

国立文楽劇場の前を通って帰った。

 

すると、以前はなかった(と思う)こんなものが。

 

 

これも「ラッピング自販機」の一種か。

 

文楽人形の顔が印刷されているのでもなく

自販機の外観の色と質感を

劇場を取り巻く銀色のアルミルーバーに合わせてあるという

なかなかしゃれた造りである。

 

※ご参考

 九条車庫前の自動販売機 - 美の渉猟 (goo.ne.jp)


国立文楽劇場の建物

2023-02-03 18:51:50 | 文楽

黒川紀章の建築には特に興味はないのだが
大阪の国立文楽劇場は好きである。
特にその外観。

黒色をベースに銀色の柱が林立し、
壁面の装飾は黒色タイルに白の目地。

それがいかにも江戸時代の遊郭の
往来に面した店先の格子のように見える。

 

(これは2階ロビーから撮影。)

格子の向こうには遊女が座っており、
客は格子越しに遊女を眺めその夜の相手を選ぶ。

文楽の代表的な演目は
近松門左衛門が書いた遊女と客の心中物だ。
そのことを本当によく捉えた外観だと思う。

ただ、一カ所だけ「どうかな?」と思うところがある。
それは扉の把手(とって)。

文楽劇場の扉の把手は「月」の字をデザイン化したもの。
桂離宮の襖(ふすま)の引手のデザインを借用している。

外観は遊郭の店先なのに、
扉の把手は王朝文化。

同じ江戸時代から発想を得たデザインとはいえ、
近松の世界に王朝文化が紛れ込んだような
違和感があるのだ。

他のデザインは
外観をはじめ、じゅうたんの柄まで
直線で構成されているのだが。

 

(窓際の裸婦像は後から置かれたものだろうが意味不明。)

 

扉の把手だけが流麗な王朝風。

(しかもこれは「月」が反転してるし。)

 

「なんか違うな」と文楽劇場に行くたびに思う。

(この把手が好きな方、すみません。)


初春文楽公演 「新口村」「阿古屋」

2023-01-25 17:24:57 | 文楽

1月24日(火)、
国立文楽劇場初春公演の第3部を見に行った。

第3部は午後5時30分開演。
大寒波到来のとても寒い夕方、大阪・日本橋の国立文楽劇場へ。久しぶりの文楽劇場。黒川紀章設計。



劇場内のチケット売り場で「今日の第3部のチケットありますか?」と聞くと、すぐさま座席表が画面で表示され、「色のついたお席が購入できます」と言われた。

劇場への道すがら、「チケットがなかったらどうしよう」と少しだけ心配していたが、「色のついたお席」は、全体の半分はあったと思う。席の残り具合に少し愕然とする。ま、平日だし。

前から4列目、舞台に向かって右側の席、セリフと物語の進行を語る太夫(たゆう)と三味線を弾く人が座る「出語り床」の近くを選んだ。三味線を近くで聞きたかったからである。

コロナ禍がまだ続く中、隣りは空席が良いなと思っていたが、余裕で両側とも空席だった。

1階ロビーにはこんなものが。

なぜか「くいだおれ太郎」も。

心なしか目がうつろ。

扉の把手(とって)は
桂離宮のふすまの引手のデザイン、「月」を踏襲。

ここのじゅうたんの色、柄が好きだ。

 

第3部は2本立て。
1本目は「傾城恋飛脚」(けいせいこいびきゃく)。いわゆる「梅川忠兵衛」。大坂の飛脚屋の養子・亀屋忠兵衛と遊女・梅川の心中物である。

今回はその中の「新口村(にのくちむら)の段」。
梅川を身請け(みうけ)するため公金を横領した忠兵衛が梅川を連れて故郷の新口村へ逃げてきて、実父に一目、会おうとする。

去年7月に松竹座で歌舞伎を見たときも「新口村」が入っていた。泣かせる人気演目なのだろう。年の暮れの話なので季節が合わないなと思っていたが。

今回は、季節にぴったりの雪景色の舞台。天井からも白いものがはらはらと落ちてくる。舞台に降る雪は、紙の切れ端とわかっていてもはかなげで美しい。
紙の雪の美しさに見入っているうちに意識は物語世界へ入っていった。

親子は束の間の再会を果たし、また別れていく。罪を犯した息子を逃がす、老いた親の情。

太夫は親の情をこんな詞章で語る。

 …と届かぬ声も子を思ふ、平沙の善知鳥(うとう)血の涙、
 長き親子の別れには、安方(やすかた)ならで安き気も、
 涙々の浮世なり

文楽劇場では舞台の上に電光掲示板で太夫の語りが表示される。人形の動きを見ながら、太夫の語りを聞き、わからないところは電光掲示板の文字を追うという、少々忙しい目の動きが必要だが、言葉の理解は助けてくれる。

ここで驚いたのは「善知鳥」と「安方」という言葉が出てきたこと。
お能に「善知鳥」(烏頭とも書く)という演目がある。親鳥が「ウトウ」と呼ぶとヒナが「ヤスカタ」と応える、その習性を利用して鳥を獲っていた猟師の亡霊が主人公。

親鳥とヒナの関係で示される親子の情愛、ヒナが声を出すと捕まるという非情さの、両方を入れ込んだ、この語りの詞章。なかなか手が込んでいる。

※ご参考 

 友枝昭世を視た日 能「烏頭」 - 美の渉猟 (goo.ne.jp)

 

「新口村」が終わって15分休憩。
扉の把手はすべて「月」。

2階のロビーの窓。

窓の上部のこの形は、黒川紀章設計の「六本木プリンスホテル」のデザインを彷彿とさせる。

 

休憩から戻り、出語り床をみると、太夫が床本(台本)を置く見台が5つぐらい並んでいる。しかも黒漆に金のかざりが超豪華。阿古屋の打掛の豪華さに合わせたものか。

(2階ロビーに展示された阿古屋の人形)

三味線を弾く人が座る座布団も、「新口村」は1つだったのに3つに増えている。「何だろう、ワクワク」と思っていたら開演時間。

その5つほどある見台にそれぞれ太夫が。大人の男性が裃をつけてこれだけ並ぶと壮観。ちょっとこの席、近すぎたかも。

そして始まった「壇浦兜軍記」(だんのうら かぶとぐんき)、
「阿古屋琴責(あこや ことぜめ)の段」。


※あら筋はこちらをどうぞ。

 気高い阿古屋 大阪・国立文楽劇場のポスター - 美の渉猟 (goo.ne.jp) 


大岡越前が出てきそうな裁きの場に源氏方の秩父庄司重忠(ちちぶのしょうじ しげただ)という立派な武士が登場(名前から考えると畠山重忠がモデルか)。

その人形の、あまりの立派さに圧倒された。

さきほどの「新口村」の登場人物は町人と農民だったが今度は武士。しかも鎌倉幕府の要人という設定。支配階級と非支配階級の格の違いを見せつけられたような気分になった。

その重忠の語りを受け持つのが竹本織太夫。重忠の立派さにぴったりの美声だった。

さらに圧倒されたのが主役の遊君(遊女)、阿古屋である。
阿古屋はポスターと同じ、超豪華な装いで登場。

豪華ではあるが憂いのある様子をあらわす詞章が良い。

 形は派手に、気は萎れ(しおれ)
 筒に生けたる牡丹花の
 水上げかぬる風情なり

あたりを払うような威厳を持ちながら、しかも、どこまでも女らしい。
その仕草を見ていて、「遊女とは『女の中の女』なのだ」と当たり前のことに気づいた。そういう普遍的なことに気づかせてくれるのが芸術だと思う。

敵役の、赤い顔をした岩永左衛門に「塩煎責め(しおいりぜめ)にしてやる」と脅されても「オホホホホホ」と笑い飛ばし、「そんなことを怖がって、遊女の勤めが片時でもできるだろうか」(意訳)と言い放つ。

美しくて強くてカッコいいのである。

重忠、阿古屋、岩永左衛門の人物像をそれぞれ見せながら、いよいよクライマックス、景清の行方を知らないという阿古屋に琴、三味線、胡弓を弾くよう重忠が強要する。「琴責め」の始まりである。

どんな風に弾くのかと思っていたら、阿古屋の前にお琴(人形用の小さいお琴)が出され、人形が琴爪をはめて(ビックリしたが人形の手そのものを取り換えていたそうである。しかも琴爪は彫りと彩色で表現されているとのこと)、お琴を弾くのだが、同時に出語り床の一番端に座っていた若い人がホンモノのお琴を弾き始めた。

ここから次々と、三味線、胡弓と、人形の前にミニチュア楽器が出てきて、そのたびに若い人がそれぞれの楽器を弾いていた。

目をみはらされたのは、楽器を弾く(振りをしている)人形の、繊細な指の動き。何というか、超人的な技に見えた。観客は一つの楽器の演奏が終わるたびに大拍手。

特に最後の胡弓の演奏は、人形の指の動きを「これでもか」と見せるように高音を出したり低音を出したり、ほとんど曲芸。しつこいぐらいだった。

聴き終わった重忠は「音色から阿古屋が嘘をついていないことがわかった」と、敵役の文句も、情理を尽くした言葉で封じ込めて、さっさと大団円。
胡弓がしつこかったので、ちょうど良かった。

疑いが晴れて「ありがとう存じます」と頭を下げる阿古屋。

出語り床も大変な大人数だったが、舞台上も、主な人形には3人の人形遣いがつく上に、その他大勢の人形もたくさんいて、人形と人間でほぼ満員の賑々しい舞台。やはり初春公演のめでたさ。それぞれが大熱演だった。

観客はまず舞台の人形と人形遣いに大きな拍手を送り、幕の向こうに人形たちが消えたあとは右を向いて出語り床の太夫、三味線の人にも大拍手。

観客全員が同じ気持ちになったときの、何という高揚感。
観劇というものの醍醐味はここにある。

お能では、実は自由に拍手ができない。舞台の人たちが全員引っ込んだ後、拍手をしたければ、する。その拍手さえ不要だと、プログラムに書いてある演目もある。

文楽(や歌舞伎)は要所々々で拍手ができて、観客の感動をすぐに演者に伝えることができる。その開放感を久しぶりに味わった。

次の文楽劇場の公演は4月。「妹背山婦女庭訓」(いもせやまおんなていきん)の通し(三段目まで。四段目は7・8月公演)と「曽根崎心中」である。

今から待ち遠しい。

(終演後の文楽劇場)


文楽「阿古屋」観賞

2023-01-24 20:49:10 | 文楽

国立文楽劇場から今、帰宅。

「阿古屋」観賞。

メチャクチャ良かった。

やられてしまった。

もう毎公演、見に行くことにする。

大阪って、すばらしい。

 

でも客の入りは半分ぐらい。

東京では、たいてい満員とのこと。

アカンで、大阪。

 

感想は後日。


続・文楽劇場のポスター(良弁僧正の顔)

2023-01-10 19:19:43 | 文楽

大阪メトロの駅に

文楽劇場の、また違うポスターが。

「良弁杉由来」(ろうべんすぎのゆらい)という話から。

東大寺の開山、良弁僧正の出生にまつわる話らしい。

話の内容は全然知らないのだが、

この良弁僧正の、なんとも言えない優しい表情。

 

人形の顔は、人間のように表情をつくることができないのに

(ときどき眉が動いたり目を閉じたりするものもあるが)、

どうしてこんな表情ができるのだろうか。

 

お能でも、能面自体は表情を変えたりできないのに

お能の舞台では悲しんだり怒ったりしているように見える。

 

白洲正子は『お能の見方』という本の中で

「お能の面にしても、お茶の茶碗にしても、単なる道具でもなければ美術品でもない、人を得てはじめて甦える生きものです」と書いているが、

昨日の阿古屋や、この良弁僧正の人形を見ていると

人形も、人形遣いという「人」を得て命を吹き込まれるのだと

しみじみ感じる。

 

※ご参考

 気高い阿古屋 大阪・国立文楽劇場のポスター - 美の渉猟 (goo.ne.jp)