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美の渉猟

感性を刺激するもの・ことを、気ままに綴っていきます。
お能・絵画・庭・建築・仏像・ファッション などなど。

デヴィッド・ボウイの予言

2022-02-27 19:51:07 | デヴィッド・ボウイ

ロシアがウクライナに侵攻した。
自分が生きている間に、こんなことが起こるとは思っていなかった。

連日の報道に接していて、
デヴィッド・ボウイの「ステイション・トゥ・ステイション」という曲を思い出した。
曲の中で繰り返し歌われるのは、次の歌詞だ。

The return of the Thin White Duke
Throwing darts in lovers' eyes
やせた青白い公爵の帰還
恋人たちの眼にダーツを投げながら

It's too late to be grateful
It's too late to be late again
It's too late to be hateful
The European cannon is here
感謝されるには遅すぎる
再び遅れるには遅すぎる
憎まれるには遅すぎる
ヨーロッパの大砲ここにあり

この曲が発表されたのは1976年。
私がこの歌詞を知ったのは1988年、高校生の頃。
『オディティ デビッド・ボウイ詩集』という本を買って読んだ。
「よくわからないけど、当時のヨーロッパの政治情勢を歌っているんだろうな」と、
勝手に思っていた。
同時に、ヨーロッパという地域の複雑さを、勝手に感じていた。

1976年は冷戦真っただ中の頃。
1977年、ボウイはベルリンの壁を題材にした曲「ヒーローズ」を発表。
1989年、ベルリンの壁崩壊。冷戦は終結したのに、それから30年余りを経て、
2022年、ロシアによるウクライナ侵攻という状況に、
この歌詞がピタリと当てはまっているように思えてならない。
ボウイの予言めいたものを感じる。

特に、It's too late to be late againという歌詞が、
胸に突き刺さる。

どうか「遅すぎる」という事態になりませんように――1日も早い終息を祈る。


デヴィッド・ボウイの伝記映画が!

2021-08-04 09:32:34 | デヴィッド・ボウイ

デヴィッド・ボウイの伝記映画ができたそうだ。

クィーンの「ボヘミアン・ラプソディ」の大成功以来、

エルトン・ジョンとか、

イギリスのロックミュージシャンの伝記映画がハヤリのようである。

 

さきほど、映画の予告編を見た。

デビューから「ジギー・スターダスト」あたりまでの内容らしい。

 

見てるだけで、泣きそうになった。

 

※私のボウイに対する愛は、こちらをどうぞ。

 デヴィッド・ボウイ きらびやかな孤独 - 美の渉猟 (goo.ne.jp)

 I Can’t Give Everything Away デヴィッド・ボウイの遺言 - 美の渉猟 (goo.ne.jp)

 

予告編の中の「誰にも理解されなかった男が・・・」という言葉が

印象的だった。

ま、きらびやかな外見と違って、

歌詞は暗くて重くて深いもんね。そのギャップがいいのだが。

 

ボウイに扮した俳優さんの声が、ボウイによく似た低い声でビックリ。

でも美貌は、本人に負けるな。

 

鋤田正義写真展でも思ったけど、

ボウイはやっぱり「超」がつく美形である。


I Can’t Give Everything Away デヴィッド・ボウイの遺言

2017-01-21 19:20:30 | デヴィッド・ボウイ

 東京ではデヴィッド・ボウイの大回顧展「DAVID BOWIE is」が開催中だ。ボウイの生前からイギリスをはじめ各国を巡回していた展覧会。日本に来ることを期待していたら、昨年1月、本人の訃報が先に飛び込んできた。新譜「★(ブラックスター)」が発売されたばかりだった。ボウイと死が結びつかず、訃報に接したときは一瞬、絶句した。
 ※私のボウイに対する思いは、このブログ内の「音楽」—「デヴィッド・ボウイ きらびやかな孤独」をご参照ください。
 
 遺作「★」の収録曲は7曲。暗い曲調に始まって徐々に明るくなってはいくが、逆に歌詞は重くなる。ラスト2曲の、短く研ぎすまされた歌詞に、いまの世界に対するボウイの絶望が色濃く映し出されている。
 ラストから2曲め、“Dollar Days”のサビの歌詞(CD付属のブックレットより)。
  
 俺は希うのだ
 奴らの背中を来し方へ押し戻そうと
 そしてすべてを騙すのだ、幾度も幾度も
 俺は懸命なのだ
 全ては悪い方向へ進み、そしてそれは続く
 変わらぬものが苦みへと変わる
 俺は落ち始めている
 
 信じないでくれ、ただ1秒だけ
 今、俺はお前のことを忘れ去っている
 俺も懸命なのだ
 俺は希うのだ
 
そしてラストの曲、“I Can’t Give Everything Away”。“Dollar Days”から演奏は途切れずにつながっていく。
 
 そう、何かがとても間違っている
 この律動が放蕩息子たちを呼び戻す
 動きを止めた心臓たちと花で飾られた報道たち
 そして私の靴の上に刻まれた髑髏
 
 私は全てを与えきることはできない
 全てを与えきることは
 私は全てを与えきることはできない

 見るほどに感覚を失い
 否定を口にしつつ肯定する
 これが今までの私の伝えたかった全てだ
 私の送り続けた伝言だ

 私は全てを与えきることはできない
 全てを与えきることは
 私は全てを与えきることはできない

 ボウイは、ベルリンの壁がまだあった頃、壁の西側でコンサートを行って、そのスピーカーを東側にも向けた人だ。東ベルリン側の壁にはたくさんの市民が集まってこのコンサートを聴いていた。ほどなく壁は東ベルリン市民の手によって壊された。ボウイはそのきっかけの一つをつくった人だ。その人が、この深い絶望をうたう。前のアルバム発表が2013年。それからこのラスト・アルバムが発表される2015年までの間は、ISの台頭や難民問題の深刻化、ところかまわぬテロの頻発など、世界がこれまでと違う様相を見せ始めた時期と重なる。
 この2曲を聴いていると、ボウイのこんな思いが聞こえてくる。―俺はベルリンの壁を崩せたかもしれないが、世界はふたたび分断されようとしている。東西の分断とは違う、もっと深刻な分断だ。世界は、前より悪くなっている。世界は瓦解寸前だ。瓦解しようとする世界の中で、俺の命は尽きようとしている。俺にできるのはここまでだ―。ラストの曲で “I Can’t Give Everything Away”と繰り返すボウイの声を聴いていると、その声は決して叫んではいないのに、血がにじむような絶望感と無力感が迫ってきて、胸がつまる。

 この世でもっとも感覚が鋭く、真っ先に変化を感じられるのは詩人だ、という言葉を聞いたことがある。ボウイは詩人だった。詩人であると同時に、世界に対して責任を持とうとした人だった。だからボウイは、日本文化を死守しようとして自決した三島由紀夫に傾倒していたのだと思う(三島はもともと「詩を書く少年」だった)。デヴィッド・ボウイといえばスターとしての華やかさと表現スタイルの変遷ばかりが言われるが、ボウイが歌う言葉の重さとそこに込められた思想こそ、もっと語られるべきだ。

 一方で、このラストの曲はとても美しい。流れるようなギターの音色が印象的な、軽やかで洗練された曲だ。この美しさからは「それでも世界は生きるに値する美しい場所だ」というボウイの思いも、感じることができる。この曲には「否定を口にしつつ肯定する Saying no but meaning yes」という歌詞がある。これはボウイの代表作「ヒーローズ」の「僕たちはヒーローになれる、たった一日だけ」という歌詞をはじめとするボウイ独特の表現方法を総括したものだ。この曲そのものが、「否定しながら肯定する」ボウイの表現方法をそのまま体現した曲なのだ。そんな曲をラスト・アルバムのラスト、自分の人生の締めくくりに持ってくるなんて、見事としか言いようがない。

 そしてこの曲を聴いていると、三島由紀夫と澁澤龍彦(仏文学者で作家)が泉鏡花(明治後期から昭和初期に活躍した作家)について語った対談を思い出す。その中で三島は鏡花の遺作『縷紅新草』を激賞している。「…言葉だけが浮遊して、その言葉が空中楼閣を作っているんだけれども、その空中楼閣が完全な透明で、すばらしい作品、天使的作品!作家というものはああいうところへいきたいもんだね」。二人はまた、鏡花の作品を読んでいると天国でも地獄でもない、「その中間の澄み切った境地」、「天使界」とでも呼ぶべきところへ連れていかれると語る。三島の言う「(作家として到達したい)ああいうところ」とは、その澄み切った境地、天使界と同じ場所だろう。ボウイのこの最後の曲の美しさに接していると、ボウイは世界に絶望しながらも、アーティストとしては、三島が憧れた境地に確かに到達していたと思う。
※対談の出典は澁澤龍彦著『三島由紀夫おぼえがき』(中公文庫)。


デヴィッド・ボウイ きらびやかな孤独

2015-03-08 22:49:50 | デヴィッド・ボウイ

 昨日(3月7日)のNHK総合テレビ「SONGS」はイギリスのロックスター、デヴィッド・ボウイ特集だった。久しぶりに見るボウイはやっぱり超美形。ボウイの曲をよく聴いていたのは中学3年生から高校卒業までだっただろうか。ロック好きの姉たちの影響で小さい頃からボウイの存在を知っていたが、自分で洋楽を聴くようになった中3の頃、ボウイのアルバム「レッツ・ダンス」が世界的に大ヒット、ちょうど同じ頃に大島渚監督による主演映画『戦場のメリークリスマス』が公開され、さらに本人の来日公演も重なり、日本ではデヴィッド・ボウイの一大ブームが巻き起こった。テレビではボウイ特集が組まれ、書店には写真集や関連本があふれていた。当時はブリティッシュロック全盛期、活躍する20代の若手ミュージシャンに影響を与えてきた存在として、また現役の華やかなロックスターとして当時30代後半だったボウイは君臨していた。
 ボウイは誰よりも美しいロックスターだが、ここまで長く(現在67歳だそうだ)キャリアを続け、後に続く人に多大な影響を及ぼしてきたのは、美貌とカリスマ性だけではないだろう。大きな魅力の一つは、ボウイの書く歌詞だ。
 私が高校生だったある夜、ラジオからボウイの初期のヒット曲「スペース・オディティ」(1969)が流れてきた。“Ground Control to Major Tom”(管制塔よりトム少佐へ)という印象的なフレーズで始まり、管制塔と宇宙飛行士トム少佐とのやり取りで構成されたこの曲は、宇宙飛行にいったん成功したかに見えたトム少佐が、宇宙船の不具合で宇宙空間に投げ出されてしまうという内容だ。歌詞の最後、ボウイはこう歌う。「私は宇宙船のまわりをただよっている/月のはるか上/地球は青く/私にできることは何もない」
 何度か聴いたことがある曲なのに、その夜は、宇宙空間に投げ出されたまま永遠に地球に帰還できないトム少佐の孤独が突然私の胸に迫ってきて、涙が止まらなくなった。このとき私は、デヴィッド・ボウイという人はそのきらびやかさの陰に深い孤独を秘めた人だということに気づいたのだった。

 一度それに気づいたあとは、ボウイの曲の歌詞が深みを持ち始めた。たとえばあまり知られていない
“All the Madmen”(1970)では、「私は狂った人達といっしょにここにいるほうがいいのです」と歌う。こちらもごく初期の曲。繊細すぎて周囲と相容れない、相容れる方法をまだ知らない青年の苦しさが、胸を締めつける内容だ。だがこの曲の最後にボウイはこうも歌う。
「鎖を解き放て」。
 孤独に苦しむがその苦しさに安住せず、苦しさの中から未来に目を向ける強さを、この人は持っていたのだと思う。だからこそ、これだけ成功したのだろうが。

 そして有名な「ヒーローズ」(1977)。コマーシャルなどでは“We can be Heroes”のフレーズだけ使われることが多いが、このあとの歌詞はこう続く。
“Just for one day.”(たった1日だけ)
 この曲は「ベルリンの壁」に引き裂かれた恋人たちを歌った曲だ。若い頃の繊細さは、社会情勢を鋭く見据える眼となって、ボウイの作る曲の一つの核となっていく。

 この他にも「スターマン」(1971)の子ども達への無類の優しさ、「ステーション・トゥ・ステーション」(1976)の意味はよくわからないが残酷なおとぎ話のような魅惑、「レッツ・ダンス」(1983)の切ないロマンチシズムなど、いま思い出すだけでもキリがない。

 中学3年と高校の3年間、私の趣味はブリティッシュロックを聴くことと、三島を読むことだった。大人になってから、かつて興味を持っていた対象がふと目前に表れ、その魅力に再び触れたとき、当時の感動がその後の人生の生きる糧になっていたことに気づく。あるいは人生経験を重ねた分だけ、その魅力をより重層的に感じることができる。十代の後半という人生における最も多感な時期、何に心を惹かれるかは人それぞれだが、デヴィッド・ボウイというおそらくロック史に名を残すスターの魅力に深く触れたことは、とても幸運だったと、今にして思う。