2009年12月18(金)、スガシカオのライブに行った。ロンドン凱旋公演だ。会場はZepp大阪だったが、南港コスモスクエア駅から出口を間違えたのか、すぐに会場にたどりつけなかった。この日はとても寒くて風の強い日で(「ロンドンより寒い」とライブの中でスガシカオも言っていた)、街灯も少ないし暗いし、人も歩いていないし、連れと二人して強風の中、途方にくれた。結果的には10分程度の短い時間のことで、何とか会場にたどり着いたが(Zeppの駐車場のウラから鉄柵をむりやり開けて入った)、その約10分間は、大阪市のベイエリア開発の失敗を文字通り寒々と肌に感じた時間だった(人のせいにするなって)。
会場に入ると、なんだか観客の年齢層がいつもより高くて40歳前後が目に付いた(私もその一人だが)。2階の指定席だからか?1階はオールスタンディング、1階は若い人が多かったかもしれない。それから男性客が多い。それも40代以降のサラリーマン風、女性についてきたという風情ではなく、自ら歌っている人が多かった。もしかして、NHK「プロフェッショナルたち」のテーマ曲の影響か?指定席の最前列には50代ぐらいの管理職らしき方々が座っていらっしゃって異彩を放っていたが、あの人たちは今回のライブをサポートしている千趣会の幹部だろう。
さて、ライブそのものは、いつもながら、楽しかった!!お疲れ気味だったのか、歌詞を忘れたり間違えたり、声が出ていなかったりしていたけれど。いつもライティングが凝っているので今回も楽しみにしていたが、すべての照明が落とされて真っ暗になったライブ会場で、曲の高まりとともに天井近くのライトが徐々に光りだし、曲の最高潮に合わせてすべてのライトが目つぶしのように観客を射る瞬間は、何度経験しても興奮するものだ。ライブというものの醍醐味の一つだ。今回は「13階のエレベーター」が良かった。この曲のSFアニメ的な雰囲気と、コンピュータ制御されたライティングの、無機質でありながら暴力的な感じが、絶妙にマッチしていた。中学生のときに見た「銀河鉄道999」劇場版アニメを思い出した。何かが起こりそうな不穏な空気を孕んだ闇、その闇の中で明滅し始める原色の小さな光、そして突如視界を真っ白にする強烈な光。ライブ会場という空間は子供の頃夢中になったSFアニメを思い出させる。
もう一曲、印象に残った曲は「夕立ち」。~ふいに君がくちずさむ ぼくはきいてる ききおぼえのないメロディ もう消えてしまうくらい ちいさな声で やがて途切れてしまう…CDでは何気なく聴いていたが、ライブで聴いていたら、この曲が持っている切なさが、ハッと胸に迫ってきた。恋人同士であっても、ある瞬間ふいに顔を出す、相手の理解できない部分。隣同士で座っていても、ふと湧いてくる、相手が遠いところにいるような感覚。そんな微細なものをすくいとれる感性をこの人は持っているのだなと、改めて思った。
お能で言えば、「清経」(きよつね)だ。平家の公達 平清経が戦いを前にして入水して果てる。嘆き悲しむ妻のもとに清経の亡霊が現れるが、せっかく来てくれた夫の亡霊に、妻は恨み言を繰り返し、夫もまた入水に至った自分の事情を話し続け、最後は自分だけ成仏して再び闇の中に消えていく。夫婦であっても二人は理解しあうことはない。「清経」について、歌人の水原紫苑さんは「白洲正子の見た能」(平凡社 別冊太陽『白洲正子の旅』)の中で、「愛し合う男女の間でも真の理解は不可能であり、心の闇はそのまま手つかずの闇として残る」と書いている。これは「夕立ち」のテーマそのものだ。「清経」をつくった世阿弥が現代的なのか、スガシカオが普遍的なのか。両方かな。
ライブも終盤に差し掛かると、スガシカオの作り出す世界に、自分の体が浸されているような気分になってきた。ライブ会場の空間が、油のようなねっとりしたものに満たされて、その中に浮いているような感じ。ああ気持ちいいな…また来年のライブでもこの雰囲気に浸りたい。
会場に入ると、なんだか観客の年齢層がいつもより高くて40歳前後が目に付いた(私もその一人だが)。2階の指定席だからか?1階はオールスタンディング、1階は若い人が多かったかもしれない。それから男性客が多い。それも40代以降のサラリーマン風、女性についてきたという風情ではなく、自ら歌っている人が多かった。もしかして、NHK「プロフェッショナルたち」のテーマ曲の影響か?指定席の最前列には50代ぐらいの管理職らしき方々が座っていらっしゃって異彩を放っていたが、あの人たちは今回のライブをサポートしている千趣会の幹部だろう。
さて、ライブそのものは、いつもながら、楽しかった!!お疲れ気味だったのか、歌詞を忘れたり間違えたり、声が出ていなかったりしていたけれど。いつもライティングが凝っているので今回も楽しみにしていたが、すべての照明が落とされて真っ暗になったライブ会場で、曲の高まりとともに天井近くのライトが徐々に光りだし、曲の最高潮に合わせてすべてのライトが目つぶしのように観客を射る瞬間は、何度経験しても興奮するものだ。ライブというものの醍醐味の一つだ。今回は「13階のエレベーター」が良かった。この曲のSFアニメ的な雰囲気と、コンピュータ制御されたライティングの、無機質でありながら暴力的な感じが、絶妙にマッチしていた。中学生のときに見た「銀河鉄道999」劇場版アニメを思い出した。何かが起こりそうな不穏な空気を孕んだ闇、その闇の中で明滅し始める原色の小さな光、そして突如視界を真っ白にする強烈な光。ライブ会場という空間は子供の頃夢中になったSFアニメを思い出させる。
もう一曲、印象に残った曲は「夕立ち」。~ふいに君がくちずさむ ぼくはきいてる ききおぼえのないメロディ もう消えてしまうくらい ちいさな声で やがて途切れてしまう…CDでは何気なく聴いていたが、ライブで聴いていたら、この曲が持っている切なさが、ハッと胸に迫ってきた。恋人同士であっても、ある瞬間ふいに顔を出す、相手の理解できない部分。隣同士で座っていても、ふと湧いてくる、相手が遠いところにいるような感覚。そんな微細なものをすくいとれる感性をこの人は持っているのだなと、改めて思った。
お能で言えば、「清経」(きよつね)だ。平家の公達 平清経が戦いを前にして入水して果てる。嘆き悲しむ妻のもとに清経の亡霊が現れるが、せっかく来てくれた夫の亡霊に、妻は恨み言を繰り返し、夫もまた入水に至った自分の事情を話し続け、最後は自分だけ成仏して再び闇の中に消えていく。夫婦であっても二人は理解しあうことはない。「清経」について、歌人の水原紫苑さんは「白洲正子の見た能」(平凡社 別冊太陽『白洲正子の旅』)の中で、「愛し合う男女の間でも真の理解は不可能であり、心の闇はそのまま手つかずの闇として残る」と書いている。これは「夕立ち」のテーマそのものだ。「清経」をつくった世阿弥が現代的なのか、スガシカオが普遍的なのか。両方かな。
ライブも終盤に差し掛かると、スガシカオの作り出す世界に、自分の体が浸されているような気分になってきた。ライブ会場の空間が、油のようなねっとりしたものに満たされて、その中に浮いているような感じ。ああ気持ちいいな…また来年のライブでもこの雰囲気に浸りたい。